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日常を研究すること:ウィリアム・ホワイト『ストリート・コーナー・ソサエティ』を読んで

アメリカ合衆国の社会学者のウィリアム・ホワイトによる『ストリート・コーナーソサエティ』(有斐閣, 2000年)を読みました。

ボストンのノースエンド(Nort End)における「街かどのギャング団」を対象としたフィールドワークをまとめた書籍ですが、「私は『ストリート・コーナーソサエティ』をアカデミックな世界を超えて読まれるものにしようと心に決めていた」とウィリアム・ホワイト自らが書いているように、非常に読みやすい書籍です。

(※写真はボストンのノースエンド)

一般的に、『ストリート・コーナーソサエティ』は都市社会学の分野の書籍とされることが多いですが、ウィリアム・ホワイトの大学時代の先行は経済学でした。

「しだいに私は自分自身が経済学者ではなく、社会学者ないしは社会人類学者と考えるに至った。」
※W・F・ホワイト(奥田道大 有里典三訳)『ストリート・コーナーソサエティ』有斐閣, 2000年

ウィリアム・ホワイトの経歴を知り、既存の学問領域に過度にとらわれてはフィールドをきちんと捉えることができないのかもしれないと思う反面、自らもフィールドワークに携わる者として、既存の学問領域(先人たちが築きあげてきた領域)にしっかりとした足場があるからこそ、既存の学問領域を越える視点を見出せるのではないかとも感じます。

『ストリート・コーナーソサエティ』に書かれた「街かどのギャング団」におけるリーダーシップのあり方、メンバーのボウリングの成績が集団における地位と関係していること、「コーナー・ボーイズ」(街かどの若者たち)と「カレッジ・ボーイズ」(大学生たち)との出世や友情に対する考え方の相違などは興味深い内容ですが、本編の後につけられた「A『ストリート・コーナー・ソサエティ』のその後の展開過程」も非常に参考になりました。
ここでは参与観察の方法が書かれているだけでなく、フィールドにおける不安や戸惑い、やらかしてしまった失敗なども書かれています。ウィリアム・ホワイトと比べるのはおこがましいですが、自身にとっても身に覚えがあるだけに、「私がしでかしたのを書いたのは、単に私の気持ちを清めることではない。もっと重要なことは、将来のフィールドワーカーが、愚かしい誤りや深刻な失敗を犯してもなお、価値ある研究を生み出すことができることを理解する一助になればと考えたからである」という言葉に励まされました。

次の言葉も印象に残っています。

「私はボウリング場ですごす土曜の夜を、単に私と私の友人たちのレクリエーションとみることにした。私はボウリングをエンジョイするあまり、時々私の研究を怠っているのではとちょっと罪の意識を感じたほどである。私が仲間とボウリングしたのは、彼らをインタビューしたり、重要な事柄を観察できるような社会的位置を確立するのが目的であった。しかしこの重要な事柄とは何であったのか。私はこの統計の宝庫を捨てると、突如として定期的なボウリング場の試合での仲間たちとの行動こそが、私が観察すべき完全なモデルであったことに気づいた。他の何かを観察するためにボウリングをする代わりに、ボウリングを観察するために、ボウリングをすべきであったのだ。私は仲間たちの日常の決まった活動こそが、私の研究の基礎データを構成するのだ、ということも学んだ。」

「もし調査者が、科学的テストに耐えうるような普遍化を求めるならば、私たちは文化のなかでも直接的、あるいは間接的に観察できるか、測定できるような要素に焦点を合わせなくてはならない。それが街かどのギャング団の研究において私のしたことなのだ。」

「言葉を学ぼうとする努力は、私自身や私の仕事について人びとの語ることができるというよりも、彼らへの私の関心の誠意を確立する上で役立つ。言葉を徹底的に学べば、どうして調査者が“うちの人間を批判”するようなことをするだろうか。言葉は理解力をますものだが、人びとを理解しようとしなければ、彼らを単に批判することは、もっとたやすいことなのだ。」
※W・F・ホワイト(奥田道大 有里典三訳)『ストリート・コーナーソサエティ』有斐閣, 2000年

同じことが書かれた文章を、別の本でも読んだことがあります。

「二年ほど前になるが、私のアメリカ留学時代の恩師がハーバード大学を退官された。・・・・・・。十年以上前のとある冬の日、大学の中庭を一緒に歩いていると、ふと、師がつぶやいた。
「どんな場所であれ、最初のうちは、語るのが容易いものです」
その場所に長くいればいるほど、そして、知れば知るほど、その場所をどう語ればよいのか、いや、そもそも語り得るものなのか、覚束なくなるということだ。生粋の紳士であった師の知的誠実さに感銘し、かつ自分の未熟さを恥じた瞬間だった。
アメリカから遠ざかるほどにアメリカを語るのは容易くなり、周囲が欲するアメリカを語ることにも長けてくる。今回、取材を通して、さまざまなアメリカに接したわけだが、その都度、頭をよぎるのは、あの時の師のさりげない一言であり、あの日の雪景色だった。ひとりよがりのアメリカを語ってしまいたくなる誘惑を断ち切りながら、アメリカをより丁寧に読み解いてゆきたい。」
※渡辺靖『アメリカン・コミュニティ:国家と個人が交差する場所』新潮社, 2007年

「日常の決まった活動こそが、私の研究の基礎データを構成する」。ウィリアム・ホワイトはこのように書いていましたが、「日常の決まった活動」を研究することは簡単なようで、実は難しいのだと思います。

外部の存在である研究者にとって、フィールドにおける「日常の決まった活動」は新奇な経験であるため、研究者は「新奇なものを報告する」というスタンスを取ることもできる。そして、研究者の目に「日常の決まった活動」が新奇なものと映っている限り、いくらでも語ることがありそうに思えてしまう。しかし時間が経過するにつれて、その「日常の決まった活動」は研究者にとっても新奇なものでなくなっていく*1)。そうすると、以前のようには語ることができなくなってしまう。
先に引用した「どんな場所であれ、最初のうちは、語るのが容易いものです」という言葉は、このようなことだと捉えています。

この時、また新たな研究対象を探すことで「新奇なものを報告する」というスタンスを取り続けるという選択肢もあり得る。しかし、それは研究対象を消費する、言わば、焼き畑的な研究なのかもしれないと思います。


■注

  • 1)それゆえ、フィールドにおける「日常の決まった活動」が新奇なものに見える初期の段階から、(どのようなかたちであれ)フィールドノートを書いておくことも重要だと考えている。もしフィールドノートがなければ、研究者がフィールドの何を新奇なものと見ていたのかを振り返ることは困難である。

(更新:2022年6月20日)