イギリスのハーロウ・ニュータウン

2011年5月14日(土)に開催された「第12回千里コラボ大学校」では、大阪府の職員という立場で千里ニュータウン開発に携わられた山地英雄氏が話をされました。
山地氏は、千里ニュータウンを計画するにあたって欧米10カ国、30カ所の都市開発・ニュータウン開発を視察されたとのこと。中でも、イギリスのハーロウ(ハーロー/Harlow)と、スウェーデンのベリングビーが印象に残っている、特に、ベリングビーでは千里の理想に近いものを見たと話されました。


1944年、イギリスにおいてロンドンへの過度の人口集中を改善することを目的として大ロンドン計画が立案された。計画では既成のロンドン市街地の中心部で再開発を実施するとともに、ロンドンを囲むグリーンベルトの外側に人口5万人から8万人の小都市を建設するとされた。これらの小都市がニュータウンと称された。
*Wikipedia「ニュータウン」の項より。

イギリスでは33のニュータウンが開発されましたが、ハーロウは、スティヴネイジ(Stevenage・1946年11月11日指定)、クローリー(Crawley・1947年1月9日指定)に次いで、3番目にニュータウンに指定されました。ハーロウのニュータウン指定は1947年3月25日。ロンドンの北東にあり、計画にあたってはクラレンス・A・ペリーの近隣住区論が取り入れられています。
2010年5月にハーロウを訪問する機会がありましたので、その様子をご紹介したいと思います。

ハーロウ・ミル駅

ハーロウには、タウンセンターの近くにあるハーロウ・タウン駅(Harlow Town Railway Station)、ハーロウの東にあるハーロウ・ミル駅(Harlow Mill Station)の2つの駅がありますが、ミュージアムの最寄り駅に行くために、まず、ハーロウ・ミル駅に向かいました。
ロンドンの中心部から地下鉄でトッテナム・ヘイル駅(Tottenham Hale Station)へ。トッテナム・ヘイル駅からハーロウ・ミル駅まで列車で50分近くかかりました。ただし、通常は20分程ということなので、列車が遅れていたのかもしれません。

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ハーロウ・ミル駅からミュージアムへ

ハーロウ・ミル駅からミュージアムまで南に歩いて行きます。車道の下を歩道がくぐり抜けるというのは、アメリカのグリーンベルトでも同じ光景を見たことがありますが、歩車分離が考えられてのことだと思います。

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地図を見ながらミュージアムの近くまで来ると、ミュージアムはこちらというサインがあったので、その方向に歩いたところ、入口が見当たらず迷ってしまう。たまたま表に出てきていた高齢の女性に道を尋ねて、駐車場のある入口からミュージアムに入ることができました。駅から1時間弱でミュージアムに到着したことになります。

ミュージアム(The Museum of Harlow)

ニュータウン時代だけを対象とするものではなく、先史時代からの地域の歴史が対象とされたミュージアム。ニュータウンに関しては、ニュータウンの開発公社から引き継いだ資料なども保管・公開されています。

  • 住所:Muskham Road, Harlow, Essex, CM20 2LF
  • オープン:火曜~土曜 10:00~17:00
  • 閉館:Bank Holidays, between Christmas and New Year
  • 入場料:無料

ミュージアムの建物は、貴族の邸宅を利用して開かれています。地図によっては、このミュージアムが「Mark Hall Manor House」と表記されているものもありますが、ここで書かれているManor House(マナー・ハウス)というのが貴族の邸宅という意味。

マナーハウス (manor house) とは中世ヨーロッパにおける荘園(マナー)において、貴族やジェントリに属する地主が建設した邸宅。マナーの語源はマンション(mansion)と同一であり、どちらも領主などが「滞在する」という意味のラテン語 manēre から派生した言葉である。
中世以降のカントリー・ハウスとほぼ同義であるが、マナーハウスはやや下級に位置する貴族が所有する邸宅であり、中世封建制における領土管理機構の最小単位としての役割があった、などの点で相違が存在する。
*Wikipediaの「マナー・ハウス」の項より。

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建物を入ると受付と販売コーナー。販売コーナーでは絵葉書、グッズ、ハーロウに関係のある本、ハーロウ50周年の時に作成されたというCD-ROM、ハーロウの写真が記録されたCD-ROMなどが売られていました。ミュージアムの展示室は大きく3つに分かれており、順をおって時代が新しくなっていきます。最初の展示室には化石なども展示。
3番目の部屋は1850〜2000年までの時代が展示されています。この展示室の奥の方に、ニュータウンに関する展示があります。ニュータウンのマスタープラン、各年代ごとに近隣住区の開発の進行状況を示した地図、写真、あるいは、最近の開発に関する展示もなされており、マネージャーの方は、ハーロウは常に変わり続けていると話してくださいました。出口脇には、この5年間で収集されたものを展示するショーケースがあり、携帯電話などが展示されていました。

展示室の外側には、裏庭に面したガラス張りのテラスがあります。棚には開発公社から引き継いだニュータウン開発についての書籍、昔の写真、新聞のバックナンバーなどが保管されているとのこと。パソコンは、昔の写真を検索することができるという葉暗視でした。
展示室には古い自転車が展示されていますが。以前、この建物は地域で自転車屋を営んでいた人のコレクションを展示する自転車のミュージアムだったとのこと。

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マネージャーの方に、ミュージアムについて話を伺いました。ミュージアムにはフルタイムのスタッフが4人いるとのこと(Manager、Education Officer、Local History Officer、Museum Assistant)。みなCouncilに雇用されているようです。この他に大学生のインターンが何人かいるようでした。
ミュージアムの成り立ちについて次のような話を伺いました。元々、1973年にボランティアによって、タウンセンターの近くにコレクションを展示するミュージアム(当時の名前はHarlow Museum)が開かれた。それとは別に、元々教会だった建物に、解散した開発公社の資料を引き受けるための場所がもうけられた。その後、何年かの議論を経て、2002年に現在の建物にコレクションや資料などを集めた新たなミュージアムがオープン。名前は「The Museum of Harlow」。ミュージアムについてのポリシーが変更されたことが、名前に現れているという話でした。
ここは、ハーロウにあるミュージアム(Harlow Museum)ではなく、ハーロウ“の”ミュージアム(The Museum of Harlow)だ、と。

マネージャーの方の話を伺っていると、ハーロウのことを大切に、そして、誇りに思っておられるということを感じました。

ハーロウの町並み

ミュージアムを出た後、タウンセンターを目指して西に向かって歩いていきます。ハーロウの町は高層の住宅もありましたが、大抵は2階建ての連続型住宅で、ゆったりと計画されているというのが最初の印象。空が広く感じます。50年以上前、山地氏もこれと同じ風景をみられたのかもしれません。

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町の中にはいくつもの教会があります。大阪府によって開発されたため、政教分離が図られた千里ニュータウンには宗教施設がありません。宗教施設の有無はハーロウと千里ニュータウンの違いの1つです。

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写真はストウ・センター(Stow Centre)という近隣センター。奥にはスター型の中層の住棟が見えています。

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タウンセンターに近づくに連れて、高層の住棟もちらほら見かけるようになってきました。

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タウンセンター

ミュージアムを出て、1時間ほどでタウンセンター(Harlow Town Centre/The High)に到着。店舗が並んでいますが、この日は土曜日だったからか、あるいは、夕方だったからか、人影はまばらでした。タウンセンターには開発公社によって設立されたモニュメントも。

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ハーロウ・タウン駅

タウンセンターからハーロウ・タウン駅までは少し距離があるためタクシーで移動することに。5分ほどでハーロウ・タウン駅に到着しました。帰りは、ハーロウ・タウン駅からトッテナム・ヘイル駅まで20分ほどで戻ることができました。

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(更新:2016年8月28日)