ラドバーンと町を管理・運営するための体制

千里ニュータウンにおいて採用された計画手法として、必ず名前が出てくるといっていいのが「ラドバーン方式」です。車道の下を歩行者専用道路がくぐる写真を目にされた方もいるかもしれません。
「ラドバーン方式」は、1929年に入居が始まったアメリカ・ニュージャージー州の住宅地であるラドバーン(Radburn)で用いられた計画手法。スーパーブロック方式や、車道をクルドサック(袋小路)にすることで住宅地内部への通過交通を排除するとともに、クルドサックの先端を歩行者専用道路で結ぶことによる歩車分離方式が千里ニュータウンに採用されました。実際、以下の高野台の写真のように、千里ニュータウンでは初期に開発された住区でクルドサックが採用されました。

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日本のニュータウン計画においては歩車分離方式だけが注目される傾向にありますが、ラドバーンで試みられたことは歩車分離方式だけでありません。
『プライベートピア』(世界思想社 2002年)の著者、エヴァン・マッケンジーは次のように述べています。

「ラドバーン構想」は、車道と歩道の分離と、住戸の「逆転」、すなわち広い内庭的な緑地帯側にリビングを配置し、道路側には台所やトイレなどのサービスエリアを備えるという配置計画のゆえに有名になった(35)。ラドバーン方式のなかでももっとも長く後世へ寄与するものと考えられるのは、弁護士で政治学者でもあったチャールズ・アッシャーによって編み出された、住宅所有者組合をつうじて運営される制限約款にもとづいた私的政府形態であろう(36)。ラドバーン政府は、進歩党のシティ−マネージャーモデルにもとづくもので、今日のCID体制の原型となったものである。
*エヴァン・マッケンジー(竹井隆人 梶浦恒男訳)『プライベートピア』世界思想社 2002年

ここに書かれているCIDとは「コモンを有する住宅地」(Common Interest Developments)のことで、エベネザー・ハワードの田園都市の構想を継承したものです。

彼〔=チャールズ・アッシャー〕はコミュニティによる私的所有権に立脚したエベネザー・ハワードの構想に魅せられていたが、制限約款を利用することによって、彼の構想した住宅地をより私有化し防御する必要を感じた。私的政府をこれらの制限約款と結びつけることによって、彼は今日の住宅地において最も支配的になっている近代的な住宅所有者組合(HOA)という制度をつくりあげた。(p22)
*エヴァン・マッケンジー(竹井隆人 梶浦恒男訳)『プライベートピア』世界思想社 2002年

エヴァン・マッケンジーが、CIDがもつ法的特徴として①「資産の共同所有権」、②「住宅所有者組合(HOA)への強制的加入」、③「同じ住宅地もしくは建物の住民により執行される制限約款という私的な法体系のもとでの生活を要求されること」の3つをあげている通り、CID体制は現在の日本の分譲マンションの管理体制にも取り入れられていますが、こうした特徴を持つものである限り、CIDは決してハワードの田園都市構想をそのまま受け継いだものではなく、「ハワードのユートピア的な構想とアメリカのプライヴェテイズムとの混成」だとエヴァン・マッケンジーは指摘しています。

私は、CIDが本質的に悪であるといっているのではない。逆に、自分が生まれた町のような神話的で牧歌的なアメリカの郊外や小さな町をロマン化しないし、実際はそのようにロマンティックなものではなかった過去に戻ろうとは望まない。おそらく人口密度が高まり、コーポラティヴ的な居住空間が計画されるのは、必然的な流れであり、とりわけ、中・低所得層の住宅需要に応えるためには、そのような居住空間が適当なのだろう。私はコミュニティ全体を丸ごと計画するという考えや、私的な土地利用の計画および管理が適切なかたちでなされるのであれば、それは有効で有益なものだという信念に異論はない。共有の資産を伴う、新しい私的な住宅所有権や借家権が、さらに探求されるべきだと思っている。
もちろん、地方の民主主義の力を強めることには何の異存もない。
私の頭を悩ませるのは、これらの方針ではなく、それらの名目のもとに実際になされてきたことである。
*エヴァン・マッケンジー(竹井隆人 梶浦恒男訳)『プライベートピア』世界思想社 2002年

CIDについての詳細は)『プライベートピア』を読んでいただくとして、話は千里ニュータウンに戻ります。
千里ニュータウン計画においては、上にも述べたようにラドバーンは歩車分離方式が採用された住宅地という側面から言及されますが、千里ニュータウンがラドバーンから採用しなかったものがある。それは、開発した町をどういう体制で管理・運営していくかという視点だったと言えます。
エヴァン・マッケンジーが指摘するようにラドバーンを原型とするCID体制が万能だとは思いませんし、千里ニュータウンにおいてCID体制を真似する必要はなかったかもしれません。けれども、千里ニュータウン計画ではラドバーンから空間的な計画手法だけを取り入れ、町をどのような体制で管理・運営するかという点について議論されなかった可能性があります(もしかすると大議論されたかもしれませんが、それが現在に継承されているわけではありません)。いずれにしても、千里ニュータウンは今、この町をどのような体制で管理・運営していくかが宙に浮いたままになっていることに変わりはありません。
もちろん、個々の分譲マンションや団地には管理・運営体制が存在しますが、千里ニュータウンにおいて基本とされている住区レベルではそうした管理・運営体制が整っているわけではありません。このことは、今後の千里ニュータウンのあり方を考える上で考えていかねばならない重要な点だと思います。