実家の茶の間・紫竹:住民と行政との協働として

新潟市東区の「実家の茶の間・紫竹」は月曜・水曜の週2回、10時〜16時まで運営されています。日々の運営を中心になって担うのは4人の当番で、4人のうち2人は「食事担当」、2人は「居場所担当」で午前・午後で担当を交代することにされています。しかし、4人の当番だけで運営しているのではなく、サポーターとして運営を支えている方がいたり、当番・サポーター以外の人からも様々な形での協力がなされています。

先日(2017年4月17日(月))、「実家の茶の間・紫竹」の食事の時間に、サポーターの男性と新潟市役所の方が駐車場に設置している雪を溶かすための設備の話をされていました。
「実家の茶の間・紫竹」では、管から水を流すことで駐車場の雪を溶かすための設備を設置されています。今年は雪が積もらず設備を使う機会がなかったが、長期間水を流さないと管が詰まってしまうとのこと。この話をしていた時、サポーターの男性が、夏、暑い日に打ち水がわりに水を流してみると話されました。ささやかな会話だったのですが、この会話から2つのことを感じました。

1点目は、住民が主体になることについてです。
多くの公共施設においては、施設管理は行政職員の役割で、住民は(行政職員が管理する)施設の利用者。住民は自分の手では何もできないから、行政職員に「こうして欲しい」、「こうすべきだ」と苦情を言うことになる。
けれども、先日の会話は住民が行政職員に、雪を溶かす設備を何とかして欲しいと言うのではなく、自分たちでメンテナンスすると話されている。しかも、単にメンテナンスするのではなく、夏の暑い日に少しでも快適に過ごせるように打ち水がわりにするということまで考えておられる。
この話を聞いて、「実家の茶の間・紫竹」が住民の方に大切にされているのだと感じたと同時に、住民が居場所/茶の間の主体になること、オーナーになることの現れだと感じました。

もう1点は会話の内容でなく、住民と行政職員が一緒に食事をしている状況についてです。このような光景が(特別な時だけでなく)見られる居場所/茶の間は、そう多くないように思います。
地域における活動において、住民と行政はどのような関係を築くかは大きな課題。行政から全く独立した活動もあれば、行政が定めた枠組の中で行われている活動もある。これらの活動も重要ですが、これらに対して「実家の茶の間・紫竹」では住民と行政とが協働することが大切にされています。
新潟市は開設の準備費用、家賃、水道光熱費を負担、河田さんが代表をつとめる任意団体「実家の茶の間」は日々の運営に関わる資金を負担。これによって、居場所/茶の間の空間を維持することが保障されると共に、日々の運営においては創意工夫が行われるようになっています。
このような意味での協働も大切ですが、なぜ「実家の茶の間・紫竹」が行政からの委託事業ではなく、行政との協働事業とされているかの方がより重要です。委託事業であれば、行政職員は監査の時ぐらいしか居場所/茶の間に行きにくく、住民の方も行政職員が来ると身構えてしまう。それに対して協働事業であれば、行政職員も共に運営するパートナーとして居場所/茶の間に出入りしやすくなる。食事の時、住民と行政職員が雪を溶かすための設備について話をしていたという光景が生まれている背景には、こうした協働の思想があると言えます。
「実家の茶の間・紫竹」をモデルとして、新潟市内の全区に「地域包括ケア推進モデルハウス」を展開していくにあたって、行政職員が現場に足を運びやすいことは非常に重要です。

河田さんは著書『河田方式「地域の茶の間」ガイドブック』(博進堂, 2016)においても住民と行政の協働について触れており、住民と行政の協働は目的を共有した上で、住民は「自発性、即応性、先駆性、社会性、信頼性」、行政は「平等性、公平性、確実性、安定性、信頼性、継続性」という立場にあることを明確にし、互いの立場を尊重する必要があると書かれています。こうした協働によって「必要に迫られ、何とかしたいと、始めた活動が普遍化」されると。

「実家の茶の間・紫竹」では色々な話を聞かせていただきましたが、最も心に残っている言葉の1つは、「実家の茶の間・紫竹」において介護予防・生活支援は結果としてもたらされるものだというものです(結果としての介護予防・生活支援)。
これは次のような意味だと理解しています。
「実家の茶の間・紫竹」では、高齢者をはじめとして誰もがサービスの一方的な受け手ではなく、自分にできる役割を担うことで誰かを支える側の存在にもなれることが大切にされています。支える側になることが、結果としてその人自身の介護予防・生活支援につながり、そのような関係が地域に広がることで、お互いに支えたり/支えられたりしながら暮らせる地域が実現する。そのための基本が「矩を越えない距離感」が大切にされる関係です。
このような状態を外から、事後的に見れば、「実家の茶の間・紫竹」は介護予防・生活支援を目的として活動してきた「ように見える」。けれども、このプロセスを理解せず、介護予防・生活支援のためのサービスを提供し、高齢者がそれを利用するだけになれば、(その人自身の介護予防・生活支援にはなるかもしれないが)サービスの利用者が増えるだけで、お互いに支えたり/支えられたりしながら暮らせる地域の実現にはつながっていかない。
その一方、行政が動くためには、税金を使うためには、介護予防・生活支援を目的として掲げる必要がある場面も出てくる(目的としての介護予防・生活支援)。
住民と行政との協働が難しいのは、「結果としての介護予防・生活支援」と「目的としての介護予防・生活支援」を両立させることに起因するところが大きいのではないか。

この点についての答えは持ち合わせていませんが、当面は現場で生まれている「結果としての介護予防・生活支援」の価値を十分に理解した上で、あえて「目的としての介護予防・生活支援」を掲げるというしたたかさが必要なのかもしれません。
現在、福祉に限らず様々な場面でコーディネーターの重要性が言われていますが、コーディネーターの職能とは既に価値あるものを組み合わせるだけでなく(既存の関係を前提とした上でサービスを提供するのではなく)、今あるものの組合せによって新たな価値を生み出していくなのかもしれません。介護予防・生活支援とは、このような組合せによって現場に生まれる新たな価値の1つではないかと思います。