千里ニュータウン・新千里北町のユニークな車止めを対象とする調査・活動の意義

新千里北町の戸建住宅地エリアを中心としてリスやゾウ、ウサギなど動物型の車止め、丸、三角、四角の窓が開いた四角い幾何学型の車止めが見られます。
ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)では、昨年から新千里北町に特徴的な車止めの調査を続けてきました。

ディスカバー千里のTさんが調べたところ、現在、新千里北町には動物型が24基、幾何学型が28基あることが確認できたとのこと。車止めの設置場所についてはいくつかのルールがあり、北丘小学校の近づく動物型が多いこと、北丘小学校から離れても公園付近には動物型が設置されていること、高低差がある歩道には高い方に逆三角形の穴が開いた幾何学型が設置されていることもわかってきたとのことです。また、最近では千里ニュータウン開発に携わった元・府職員にインタビューも行い、動物型・幾何学型の車止めがどのような経緯で設置されたのかが少しずつわかってきたという話も伺いました。

さらに、Tさん、Oさんらディスカバー千里のメンバーは北丘小学校の子ども、保護者を対象とする講義を行ったり、子どもたちと車止めを巡るまち歩きをしたりされてきました。


以上のようなディスカバー千里による車止めを対象とする調査、活動には次の意味があると考えています。

①都市計画の方法論における意義:歩車分離を実現するための試行錯誤の過程を明らかにできる
これまで千里ニュータウンを対象とする数多くの調査が行われてきましたが、車止めが対象とされることはありませんでした。けれども、新千里北町の車止めは歩車分離の仕組みを進化させる過程で採用されたものだということが明らかになってきました。
新千里北町は、千里ニュータウンの中期に開発された住区。千里ニュータウンは当初、「一団地の住宅経営」という法律に基づいて開発されていました。名前の通り、団地を作るための法律です。しかし、新千里北町からは「新住宅市街地開発法」(新住法)に切り替えての開発が行われることになりました。新千里北町は、日本で初めて「新住宅市街地開発法」が適用されたのが町でもあります。

「一団地の住宅経営」から「新住宅市街地開発法」への移行において、住区は団地の集合ではなく1つの都市として捉えて開発がなされることになります。それが特徴的に現れているのが、住区内を巡回する歩行者専用道路。新千里北町より前に開発された住区では、団地の囲み型配置、戸建住宅地エリアのクルドサック(袋小路)によって歩車分離が図られていましたが、それはあくまでも団地の中、戸建住宅の中に限られています。団地と戸建住宅地の間には車道が走っており、住区内を巡回する歩行者専用道路は見られません。それに対して新千里北町の後に開発された住区では、住区内を巡回する歩行者専用道路が設けられています。ここに、住区を1つの都市として全体的に俯瞰する視点が現れています。
新千里北町では住区内を巡回する歩行者専用道路がもうけられましたが、歩行者専用道路から戸建住宅の各住区にアクセスする際には自動車と歩行者が共存せざるを得ない。
少しでも歩行者の安全を確保するために考えられたのがループ状の道路です。ループ状の道路とは、幹線道路からコの字型に住宅地内にアクセスする形状の道路で、これにより戸建住宅地から通過交通を除くことが考えられました。つまり、コの字型の部分は、通過交通は入って来ず、最小限の自動車しか通らない。そして、ループ状の道路の間には歩行者専用道路(この歩行者専用道路は住区内を巡回する歩行者専用道路へとつながっている)がもうけられました。歩行者専用道路に自動車が誤進入しないように、歩行者専用道路の進入口に車止めが設置されたと考えることができます。

それでは、なぜ新千里北町の後に開発された住区には動物型・幾何学型の車止めがないかと言うと、(この点については今後の調査が必要ですが)道路形状の見直しが行われ、ループ状の道路がなくなったから、即ち、車止めがなくても自動車が歩行者専用道路に誤進入しないような形で歩行者専用道路と車道とが交差するようになったからだと思われます。地図を見れば、道路形状が変化していることを確認することができます。
このように見てくると、新千里北町の車止めからは、歩車分離を何とか実現しようとする当時の試行錯誤の過程を垣間見ることができます。
都市計画の方法論の歴史において、重要な位置づけをもっていると言っても過言ではありません。

②地域活動における意義:住民が地域に関わるための様々な契機を生み出すことができる
現在、新千里北町の車止めの中には塗装が剥げたままになっているものもありますが、子ども時代を過ごした方に話を聞いたり、現在の子どもたちに話を聞いたりすると、動物型・幾何学型の車止めは待ち合わせをしたり、上にのって遊んだりと大切な場所になっていることがわかります。

一般的には、ニュータウンの住区はどこも同じ無個性なものだと思われがちですが、以上のような話を伺うと、車止めが新千里北町の個性をさらに醸成していける可能性は十分あると思います。
しかも、車止めは住民が関わるための手頃なサイズの具体的な物であり、そこは公共の場所になっていることが重要です。千里ニュータウンでは計画されが町であるが故に、住民が自分たちの手で加えることのできる場所が
(他の町に比べると)少ないですが、車止めは誰の所有物でもない公共の物。車止めを巡るまち歩きをしたり、マップを作ったり、車止めのペンキを塗り替えたりと、車止めには住民が地域に関わるための多くの可能性を秘めています。

計画者は、動物型・幾何学型の車止めが住民が地域に関わるためのきっかけになることまで想定していなかったかもしれません。けれども、計画者が作ったものを大切に継承することで、計画者が想定していなかった可能性が広がっていく。町を育てていくとはこのようなことを言うのだと思います。


新千里北町を対象とする調査、活動には大きな意義があると考えていますが、まだいくつか明らかにすべき点は残されています。

①どのような経緯で動物型・幾何学型の物を車止めとして使われることになったのか
新千里北町で車止めとして使われている動物型・幾何学型の物は、当時、公園の遊具として使われていたことがわかっています。そして、ディスカバー千里のメンバーらの調査により、遊具を作っていた会社の女性写真が大阪府にカタログを持って、利用しないかと営業に来たことも明らかになっています。しかし、厳密に言えば、

  • 遊具を作っていた会社が、動物型・幾何学型の物を車止めにしないかと提案した
  • 遊具を作っていた会社はあくまでも遊具として動物型・幾何学型の物を紹介しただけで、別の誰かが動物型・幾何学型の物(遊具)を車止めに採用することを決めた

この部分についてはまだ明らかにされていません。

②動物型・幾何学型の車止めが新千里北町の後に開発された住区で見られないこと
新千里北町と、新千里北町の後に開発された住区では、上に書いた通り道路形状が違います。それゆえ、車止めを置かなくても、自動車が歩行者専用道路に誤侵入する危険性がなくなった。それゆえ、動物型・幾何学型の車止めが見られなくなったと推測されます。
しかし、他の可能性として、動物型・幾何学型の遊具の生産量が減少したため、動物型・幾何学型の遊具を購入できなくなったという可能性も除外できません。

③動物型・幾何学型の物は「車止め」なのか
これまでディスカバー千里では動物型・幾何学型の物を車止めと呼んできました。もちろん、自動車が歩行者専用道路に誤進入するのを防ぐ役割をしているので車止めの役割を担っていることは明らかです。けれども、純粋な車止めではないように思います。

Wikipediaには車止めが次のような説明がなされています。

車止め(くるまどめ)とは、停止すべき位置を越えて走行してきた、自動車または鉄道車両を強制的に停止させるための構造物である。自動車の駐車場や鉄道線路の終端に設置される。
*Wikipediaの「車止め」の項より。

この説明によれば、車止めとは名前通り、自動車を停止させる役割を担うもの。これに対して、新千里北町の動物型・幾何学型の物は子どもにも親しまれる形をしていることで、この先を自動車が走っていることを注意喚起したり、高低差があることを知らせたりというように、人に対しての場所の情報を伝える役割も持っています。この意味では、人にその場所の情報を伝える「看板」の役割も担っていると言えそうです。
だから、動物型・幾何学型の物を、他の地域でよく見られる鉄パイプの車止めに置き換えるだけでは不十分なわけですが、動物型・幾何学型の物を、人にその場所の情報を伝える「看板」という側面からも捉えることで、計画者が動物型・幾何学型の物に込めた思いを捉えることができる可能性が出てくるかもしれません。単純なことでは、当時の計画者たちは動物型・幾何学型の物を「車止め」と呼んでいたかどうかも気になるところです。

なお、新千里北町の公園、集合住宅の中庭にも動物型の物が遊具として設置されています(自動車が通らない場所にあるので、車止めの役割を担っていないことは明らか)。車止めと呼んできた物と公園・中庭の遊具とは、同じ部署によって設置されたのか、そうでないのか、そして、両者は関連づけて設置されたのか、全く別の物として設置されたのか。これらの点についても明らかになっていません。

(更新:2017年5月9日)