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ニューヨークの計画住宅地:サニーサイド・ガーデンズ

ニューヨークのクイーンズ区(Queens)にサニーサイド・ガーデンズ(Sunyside Gardens)という住宅地があります。

サニーサイド・ガーデンズは、アメリカで田園都市(ガーデン・シティ)を実現するために設立された都市住宅会社(City Housing Corporation:CHC)の最初のプロジェクトとして、1924年から1928年にかけて開発。1984年にアメリカ合衆国国家歴史登録財(National Register of Historic Places)に指定、2007年にニューヨーク市の歴史地区に登録されました(New York City Landmarks Preservation Commission, 2007)。

建築設計はクラレンス・スタイン(Clarence Stein)とヘンリー・ライト(Henry Wright)、ランドスケープはマージョリー・シーウェル・コートレイ(Marjorie Sewell Cautley)が担当しています。

サニーサイド・ガーデンズでは、当初計画されていたスーパーブロックは実現されませんでしたが、細長い長方形の区画の外周にとって住棟を配置することで、住棟の内部に共有の中庭が作り出されています。

「この住宅地開発はスタインとライトが中心になって建設したものであるが、・・・・・・、その特徴は、①ブロック周辺に住宅を建て、共同の中庭を広いオープン・スペースにしたことである。これによって緑の中庭を憩いの場として利用できるし、幼児の遊び場にもなる。また景観上もすぐれた効果をもつ。②3.5エーカーの公園を共有しているので、レクリエーション・スペースとして大いに役立っている。ここでは現在、音楽会や、スライドを使った子供の教育や、バーゲンセールなどを催している。③共有財産の管理の必要から、住民組織(Sunnyside Community Association)がつくられ、住民の組織活動を通して住民間の交流が高まり、住民組織が高揚するという社会的な効果も生まれている。」(倉田和四生, 1975)

近隣住区論を提唱したクラレンス・A・ペリーは、次のようにサニーサイド・ガーデンズを「コミュニティを計画的に創ることによって経済的、社会的利益がもたらされることを示した非常にすぐれた例」と評しています。

「市の公式の地図に示された境界に災いされ、その計画者は街路のレイアウトを思いどおりに設置することができなかった。それにもかかわらず、彼らは住宅地区の全体計画のなかでオープン・スペースを配置し、快適さを生み出すさまざまな方法があることを例証した。この地域開発はコミュニティを計画的に創ることによって経済的、社会的利益がもたらされることを示した非常にすぐれた例である。いま市住宅供給会社はサニーサイド・ガーデンズの経験を生かして、ニュージャージーにあるラドバーン(Radburn)のモデル産業町の開発と建設を進めている。」(クラレンス・A・ペリー, 1975)

クラレンス・A・ペリーが紹介されている通り、都市住宅会社(※引用文中では「市住宅供給会社」と表記)はサニーサイド・ガーデンズの次に、ニュージャージー州にラドバーン(Radburn)の開発に着手します。

ラドバーンは、クラレンス・A・ペリーの近隣住区論を具現化した郊外住宅地で、1928年から開発が始められ、1929年から入居が始められました。しかし、1929年の世界恐慌の影響を受けて、都市住宅会社が倒産。結果としてラドバーンは一部しか完成しませんでしたが、千里ニュータウンをはじめ日本のニュータウンにも大きな影響を与えることになります。

世界恐慌を克服するため、フランクリン・ルーズベルト大統領はニューディール政策を実施。ニューディール政策で、3つのグリーンベルト・タウン(Greenbelt Town)が開発されました。メリーランド州のグリーンベルト(Greenbelt)、オハイオ州のグリーンヒルズ(Greenhills)、ウィスコンシン州のグリーンデイル(Greendale)の3つの郊外住宅地です。


■参考文献

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