フィンランドのニュータウン:タピオラ

イギリスのエベネザー・ハワードによって提唱されたガーデン・シティ(田園都市)の考え方は、その後、世界各国の都市計画に影響を与えることになります。
北欧のフィンランドで開発されたタピオラ・ガーデン・シティ(Tapiola Garden City)もその1つ。アスントセーティヨ(Asuntsäätiö・住宅財団)という民間の非営利法人により、1950年代〜60年代にかけてエスポーに開発されたというニュータウンです。町の名前は「Tapio(森の精霊)」に由来します。

当初のタピオラの計画人口は15,000人。タピオラの面積は243ha(600エーカー)であることから、1haあたりの計画人口は約61.7人となります。土地利用構成は『タピオラ田園都市』(鹿島研究所出版会 1973年)によると「54.2%がオープン・グリーン・スペース、24.4%が宅地」。
*参考までに千里ニュータウンと比較すると、千里ニュータウンの計画人口は150,000人で、面積は1,160ha。1haあたりの計画人口は約129であり、タピオラに比べるとほぼ倍の人口密度。また、千里ニュータウンの土地利用構成は公園・緑地が21%、宅地が42%。これらから、タピオラがいかにゆったりと計画されているかが伺えます。

「繁栄する自足のコミュニティの開発」が目指されたタピオラでは、多くの職場を提供することが考えられました。千里ニュータウンが大阪に通勤する人々のベッドタウン(郊外住宅地)であることとは対象的です。この点について、『タピオラ田園都市』(鹿島研究所出版会 1973年)には次のような記述がなされています。

タピオラの計画者は、フィンランドの都市計画とハウジングに対して新しい方向を示すことをめざした。彼らはその目標を、繁栄する自足のコミュニティの開発においたのである。これは、出来る限り多くの職が供給されなければならないこと、出来る限り多くがこのヘルシンキからちょうど6マイルのところで供給されなければならないことを意味した。もう一つの基本的な条件は、タピオラのセンターは出来得る限り十分に住民のレジャーの、そして文化的な社会的な要求を満足させるような、多角的なビジネス、行政、文化の中心であることであった。
*ポール・D・スプライレゲン「タピオラについて」・ヘィッキ・フォン・ヘルツェン ポール・D・スプライレゲン(波多江健郎 武藤章訳)『タピオラ田園都市』鹿島研究所出版会 1973年

タピオラではタウンセンター(The Center of Tapiola)を中心と、東西南北の4つの近隣住区に分かれています。近隣住区の間には緑地帯がもうけられています。

タピオラの開発は、1952年から大体1970年にかけて継続して行われた。
1.東部近隣住区、1952−1956;居住人口5,000人
2.西部近隣住区、1957−1960;居住人口5,000人
3.タウンセンター、1958−1961−1970−最終的完成
4.北部近隣住区、1958−1965;居住人口5,000人
5.南部近隣住区、1961−1965;居住人口3,000人
6.東部近隣住区のイテランタ部分、1958−1964;居住人口2,000人
7.子供都市、1969−
*ヘィッキ・フォン・ヘルツェン「タピオラの建設」・ヘィッキ・フォン・ヘルツェン ポール・D・スプライレゲン(波多江健郎 武藤章訳)『タピオラ田園都市』鹿島研究所出版会 1973年

タピオラの住宅計画において注目すべきは、高層と低層の建物が交互に配置されていること。この点について次のように説明されています。

・・・・・・、タピオラの計画の原則のひとつは、必ず、高層の建物と低層の建物とを交互におくことである。・・・・・・。タピオラにおいては、この両者は、偶発的な社会的混合を育成する目的のために結合されたのである。低層建物と個人の庭は、高い建物に比して広さと多様性の感覚を与え、また逆に、高い建物は高いレベルのパブリック・サーヴィスを可能にする人口集中をつくりだす。高い建物がよりよきサーヴィスと長所に恵まれ、低い建物が広さを楽しむならば、これら2種の建物は共にお互いに益し、多様で美しくサーヴィスのよい都市環境をもつことを可能にするのである。
*ヘィッキ・フォン・ヘルツェン「タピオラの建設」・ヘィッキ・フォン・ヘルツェン ポール・D・スプライレゲン(波多江健郎 武藤章訳)『タピオラ田園都市』鹿島研究所出版会 1973年

もう何年も前になりますが、タピオラを訪れる機会がありましたのでその様子を紹介させていただきます。

タウンセンター(The Center of Tapiola)

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タウンセンターにはHackmanという老舗の百貨店。タピオラを案内してくださった方の話によると、Hackmanに来れば一通りの物が揃うとのこと。入口の近くではイチゴ、キノコ、エンドウ豆などを売る屋台が出されていました。タピオラの建物をした模型が置かれた遊び場には、多くの子どもたちの姿。

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タウンセンターには池があります。池に面して立つホテル(Sokos Hotel Tapiola Garden)1階部分はカフェ・レストランになっており、多くの人々が飲食していました。池の北側には屋内・屋外のプール。屋外プールの周りには柵はなく、自由に入れるように見えました。プールでは多くの子どもたち。プール周辺の芝生などでは日光浴をしている人もいました。

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タウンセンターの池のすぐ東側にはタピオラの教会(Tapiola Church and Parish Centre)があります。設計はアルノ・ルースヴオリによるもの。教会には墓地も。人々の暮らしとは死というものを含んだものであるとするならば、墓地をタウンセンターに配置するというのも自然なことのように感じました。大阪府により開発されたため、政教分離に則り宗教施設が計画されなかった千里ニュータウンとは、この点でも対象的です。

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タウンセンターから北西に歩き、中央に警官の銅像が立つロータリーを越えて少し西側に歩いたところにWeeGeeの建物があります。元々は印刷会社でしたが、現在は①EMMA(Espoo Museum of Modern Art)、②KAMU(Kaupunginmuseo / Espoo City Museum)、③Finnish Museum of Horology、④Finnish Toy Museum、⑤Helinä Rautavaara Museumの5つのミュージアムが入居。5つの全てのミュージアムにチケットが10ユーロで販売されていました。エントランスを入ると広いロビーになっており、赤いソファが並んでいます。KAMUでは、エスポーの歴史の1つとして、Tapiolaに関する展示もなされていました。

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タウンセンターの北にはSilkkiniitty parkという広いオープンスペース。芝生に座ったり寝転んだりして日光浴をしている人や、サッカーをしている若者の姿を見かけました。

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東部近隣住区(Eastern Residential Area)

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案内してくださった方の話では、東部近隣地区にあるThe Ketju row housesとThe Kolmirinne apartment buildingsは最初に開発された住宅。1954年に完成した住宅ですが、全く古さは感じません。また、大きく育った木に囲まれ、まるで森の中にあるような印象を受けます。

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西部近隣住区(Western Residential Area)

土地に起伏がありまるで森の中を歩いているよう。

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特徴的な形態をもつ4棟の高層住棟(The Säästökontu, Tornitaso, and Nelostorni buildings)は高いところに建っていました。

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北部近隣住区(Northern Residential Area)

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南部近隣住区(Southern Residential Area)

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ここに建つThe Hakalehto Atrium housesは外部から見ると閉ざされているが、内部は中庭のある非常にオープンな空間になっているという興味深い住宅。1階建ての住宅で、それぞれの住宅では、各部屋が中庭を囲むようにコの字型に配置。各部屋は中庭に向かってオープンになっているが、外部からは中庭の様子が伺えないため、プライバシーは確保されている。こうした形態をもつ住宅が連続して配置されています。訪れた時は、一部の住宅が改修工事をしているところでした。

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「Tapio(森の精霊)」という名前の通り、タピオラは森の中を歩いているようだと感じがしました。大きく育った木々からなる森の中に、こっそりと住宅が置かれている。そんな感じがしました。
人口密度、緑地の割合を見るとタピオラと千里ニュータウンは大きく異なっていることがわかりますが、森のようなという感じは実際に歩かなければ気づかなかったかもしれません。
ただし、タピオラを訪れたのは7月上旬で、最も日が長い季節。もし、冬場に訪れていたとすれば、また違った印象を持ったと思います。


参考文献

  • ヘィッキ・フォン・ヘルツェン ポール・D・スプライレゲン(波多江健郎 武藤章訳)『タピオラ田園都市』鹿島研究所出版会 1973年