『豊中まちづくり物語』を読んで

芦田英機著(赤澤明編)『豊中まちづくり物語』(啓天まちづくり研究会, 2016年)を読みました。
1992年(平成4年)に制定された全国でも先駆的な「豊中市まちづくり条例」とそこに込められた理念、条例を生み出す背景、条例に基づいた「豊中方式のまちづくり」についてまとめられ、そして、先駆的であった「豊中方式のまちづくり」がなぜ下火となり、現在に継承されてこなかったかについて考察された書です。著者の芦田氏は、豊中市の市職員として条例の制定、「豊中方式のまちづくり」に携わってこられた方。
※ここで「まちづくり」とひらがなで表記しているのは、芦田氏の「制度とハード重視の「街づくり」」と「人とソフトを重視する「まちづくり」」という使い分けをふまえたものです。

芦田氏は、自身が携わってきた「豊中市まちづくり」は完璧なものではなく、課題もあったと指摘。しかし、この書を読むと、「豊中方式のまちづくり」の理念は、例えば自身が今までに関わってきた千里ニュータウンの再開発、東日本大震災被災地の復興といった場面など、時代や場所を越えて継承すべきだと感じました。

「豊中方式のまちづくり」の理念が最も端的に表された言葉が「行政参加」。
市民参加、あるいは、住民参加という言葉がしばしば使われます。これに対して芦田氏が指摘するのは、これでは市民の生活とは別の領域にまちづくりという活動があり(まちづくりの主体は行政であり)、市民はわざわざそこに参加するという意味である。まちづくりとは市民の生活に密接に結びついたものであり、行政こそがそこに参加していかねばならないのだと。「行政参加」という言葉には、市民がまちづくりの主体であるという意味、それと表裏一体をなす、行政がそれを支援するという意味がこめられています。これを実現するために制定されたのが「豊中市まちづくり条例」。
本書には市民がまちづくりの主体となり、行政がそれを支援するために考案された様々な仕組みが紹介されていますが、特に印象に残ったのが、①「まちづくり協議会」の前段階として立ち上げられる「まちづくり研究会」、②市民の「支援要請文」から始まる行政の支援、③「まちづくり語録・駄洒落集」の3つです。

①まちづくり研究会
「豊中方式のまちづくり」では、市民の主体性を大切にするために、初動期の試行錯誤の期間を重視にすること(初動期とは「事業実施の前段としての夢を描く段階」という意味)。「豊中市まちづくり条例」では「まちづくり協議会」を一度に立ち上げるのではなく、「まちづくり協議会」自体を立ち上げるプロセスも大切にされています。それが「まちづくり研究会」。

一気に「まちづくり協議会」を作るケースが全国では多かったのですが、前段階として、「まちづくり研究会」を位置付けて、協議会に移行するだけの熟度が高まって初めて認定するというものです。「手続きとしての協議会」ではなく、地域のまちづくりの仕組みとして自立した協議会はそれほど簡単にできるものではないと考え、協議会をつくるプロセスを重視しました。したがって、「まちづくり研究会」は、協議会の設立を目的とし、その準備にあたる組織として条例で位置づけ、2年を限度に支援の対象にしたのです。
このプロセスは、公開の議論の経験を積み、会則や運営方法を整え、組織や活動をしっかりしたものにしていくとともに、リーダーたちの自覚を高める重要なステップとなります。また、コンサルタント派遣制度などを活用した専門家との連携のほか、市への支援申請や活動報告、他の機関との連携などを通して対外的に説明し、活動の信用を高める経験をすることにもなるのです。(p88)
*芦田英機(赤澤明編)『豊中まちづくり物語』啓天まちづくり研究会 2016年

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②支援要請文
「支援要請文」も市民の主体性を大切にするための手続きの1つ。「豊中方式のまちづくり」では、まちづくりの初動期において、まず市民が「支援要請文」という文書を書いて、その上で行政が動くという手続きが重視されました。
文書がないと動かないというのは、一見すると行政の形式主義的な悪しき風習のように思われます。けれども、まず市民が「支援要請文」を書くという手続きに込められた意味は、市民が主で、行政が従であることを共有するため。本書では「行政の都合で「まちの改善に取り組んでください」と言った途端に「役所のためのまちづくり」になってしまうからです。行政のためにやる、やってもらうのではなく、自らの生活環境を改善するためには、行政職員が市民の要請を受けて、市民の指示のもとに動くという姿勢を崩してはいけません。」(p65)と指摘されています。

これを読み、一見すると形式主義的に見えることも、そこに込められた理念をふまえれば、悪しき風習だと批判するのは的外れだということ。上面だけを捉えて安易に批判することは慎まねばと思ったのと同時に、理念を見失えばこれも形式主義的な手続きへと堕してしまうこと、だからこそ、理念を継承していくことの重要性を感じさせられました。

③まちづくり語録・駄洒落集
本書には多数の「芦田まちづくり語録・駄洒落集」が掲載されています。例えば「まちづくりは『造園』。完成してからが始まりで、普段の手入れが必要」という言葉。

「豊中方式」のまちづくりの本質は、「建築」ではなくて、「造園」だと思っています。「建築」だと建物や施設が完成すれば、そこで「めでたし、めでたし」となって終わりですね。しかし、「造園」は完成してからが始まりなんですね。丹念に水をやり肥料をまいて、絶えず「手入れ」をしながら、「どんな花を咲かせていくのか」が大切なんです。しかも、まちの主役は市民ですから、行政は花の育て方を市民に教えるのではなく、現状の説明をしながら、「どんな花を育てていくのか」を確認し続けていく営みが必要になります。(p139)
*芦田英機(赤澤明編)『豊中まちづくり物語』啓天まちづくり研究会 2016年

この他にも、「まちづくりの「ヨコシマ・タテジマ・ナガシマ」」、「支援職員は「教師」ではなく「助産師」」、「まちづくり支援とは「花見のときの場所取り」」、「みんなの計画、役所の支援」、などの数々の言葉。いずれも深い言葉ばかりですが、こうした言葉でまちづくりを語ろうとする芦田氏の行為、つまり、難しい専門用語・行政用語ではなく、関西人らしい(?)駄洒落も交えた言葉によってまちづくりを語ろうとする行為がもつ意味について考えさせられました。こうした行為自体が、まちづくりを行政や専門家が囲い込むのを防ぎ、市民が主体となってまちづくりを進めていくための、行政職員による、専門家による支援の1つのあり方になっているのだと感じました。


このような「豊中方式のまちづくり」が、なぜ現在に継承されることがなかったのか。
この点について芦田氏は、

  • 支援者である行政が、「まちづくり協議会」が策定した「まちづくり構想」を受け止めないという、行政が支援者としての義務を果たさなかったという誤算
  • 市民は「緩やかな合意形成」により「まちづくり構想」を策定することはできた。しかし、「緩やかな合意形成」は可能でも、構想実現のための事業を進める上で「強い合意形成」をすることはできず、あとは行政に任せてしまえばいいという行政への依存を払拭できなかったこと
  • 「強い合意形成の場づくりや権利調整の仕組み」が存在しなかったこと

などの要因をあげて考察されています。しかし、繰り返しになりますがこれらの課題はあったとしても、「豊中方式のまちづくり」には、時代や場所を越えて継承すべき点は多いと考えています。


「豊中方式のまちづくり」において考案された個々の仕組みを越えて、やや広い観点から市民、まち(地域)というものを捉える時、「豊中方式のまちづくり」が投げかけているのは、市民、まち(地域)をどのようなものとして見なすのかという問いかけです。
つまり、市民と行政の関係は固定化したものなのか? まち(地域)は誰のものか? という点についての問題提起です。

本書で興味深かったのは以下の文章です。

住民主体のまちづくりに「外部支援」として関わった行政でしたが、まちづくり活動をともに実践することによって「支援」されたのは、実は、皮肉なことに市民生活を快適にすべき任務を負った「まちづくりの事務局」として活動を行なうべき「行政」であったのではないかということに気付いたのです。・・・・・・、「行政参加」を経験したまちづくりの最前線にいる職員は、「市民から学ぶ」という姿勢で、合意された趣旨に則り施設や仕組みをつくり、より良い支援の技術を身につけようと考えるに至ったのです。
「支援」とは、相互連関なのですね。行政のみが行う行動ではなく、「行政・住民の双方からサイクルをもって緊張関係を保ちつつ信頼し相互変革をし続けていくもの」です。「都市計画における国家高権」や「行政の無謬性」、これらの概念を克服して、行政支援を住民が行ない、住民支援を行政がおこなうという「支援の循環」が成功するとき、まちづくりは順調に活動し続けるのではないでしょうか。(p77)
*芦田英機(赤澤明編)『豊中まちづくり物語』啓天まちづくり研究会 2016年

地域のまちづくり活動は、「行政と市民がお互いを信頼し、初めはお互いが不完全であることを認め合い、活動を継続する過程で、市民は市民の組織、行政は行政の組織を活動にふさわしいように訓練・変革を重ねながら成長し、『生活と事業の共通の場』である『まち』に、仕組み(社会計画=コミュニティ政策)、仕事(産業計画〜経済政策)、施設(教義の都市計画=空間政策)を、つくり、維持し、手入れして、利用していく活動」であると私は思います。(p56)
*芦田英機(赤澤明編)『豊中まちづくり物語』啓天まちづくり研究会 2016年

「豊中方式のまちづくり」で大切にされていたのは、市民が主体となり、行政は市民を支援すること。けれども、上で指摘されているように行政が市民から支援されることもあったとのこと。この意味で、市民と行政の関係は一方的なものではないということです。

まちづくりにおいて、市民と行政の関係の取り方は難しい問題です。行政が上に立ち、市民は行政に言われた通りに動くのは論外としても、市民が上に立ち、行政は市民に言われた通りに動くという関係も豊かな関係だとは言えないのではないか。市民と行政は互いに支援し合い、学び合える関係こそが豊かな関係だと言えるのではないか。なぜなら、市民も行政も一人ひとりの人であり、変わっていける存在だから。「豊中方式のまちづくり」が投げかけるのは、市民や行政を構成する一人ひとりに注目することの必要性です。


もう1つは、まち(地域)は誰のものかという点。
「豊中まちづくり条例」に基づき、「豊中駅前まちづくり構想」を策定するにあたっては、公開の議論を徹底するために「まちづくり討論会」は16回、「まちづくり講演会」は7回開催されています。一部の人だけで構想を作るのではなく、多くの人々の意見をふまえたものにすることが考えられてのこと。
ここで投げかけられているのは、まち(地域)の将来について意見を言える権利は誰が持っているのかということです。「みんなの計画、役所の支援」という言葉における「みんな」とは誰のことなのか言い換えてもよいと思います。

まち(地域)に住んでいる住民や地権者がまず思い浮かびます。もちろん、住民や地権者にとって良いまち(地域)にすることは当然。けれども、住民や地権者にとってよいまち(地域)を実現するためにも、多くの人々の協力を得なければならないのも事実。そのまち(地域)で仕事をしている人、学んでいる人、買物したり遊びに来たりしている人、これらの人々にはまち(地域)の将来について意見を言える権利はないのだろうかと考えさせられます。
本書では「地域外のまちの利用者からも幅広い意見やアイデアを集約する」(p111)という表現が用いられていますが、「豊中駅前まちづくり構想」の策定にあたって公開の議論が徹底されたのは、まち(地域)を良いものにするための権利を開かれたものにしておくという意志の現れだったのではないかと思います。

この点において、「豊中市まちづくり条例」にもとづく「まちづくり協議会」と、現在、豊中市で進められている「豊中市地域自治推進条例」による「地域自治協議会」とは思想が異なっていると感じます。

前者の「まちづくり協議会」においては個人単位の加入が基本とされていましたが、現在、千里ニュータウンで設立されている「地域自治協議会」は、自治会や福祉、防犯、公民分館といった組織内で選出された人が役員になっている傾向があります。何らかの組織に所属していないと「地域自治協議会」の正式メンバーになりにくいという点が大きく異なっています。

千里ニュータウンは近隣住区論に基づいて計画されています。近隣住区とは小学校区を基本とする単位であり、千里ニュータウンの各住区には1校ずつ小学校が計画されています。「地域自治協議会」においても小学校区が単位とされており、近隣住区論との関連は見られますが、住区の要とも言うべき小学校の先生方は(住民でない限り)「地域自治協議会」の正式メンバーにはなれない。この点で、近隣住区論の思想と「地域自治協議会」の思想とは大きくことなっています。


少し話は逸れてしまいますが、三浦展氏はニュータウンの特徴として「郊外住宅地は、私有財産の街だ。だから、よそ者が入りこむ余地がない」、「そもそもニュータウンには「外部」がない。つまり、ニュータウン以外の人間を受けいれる土壌がない」と指摘しています(『「家族」と「幸福」の戦後史』講談社現代新書, 1999年)。哲学者の鷲田清一氏はニュータウンに欠けているものとして「大木と、宗教施設と、いかがわしい場所」をあげ、これらの共通点として「大木と宗教施設といかがわしい場所に共通しているのは、どうもこの世界の〈外〉に通じる入口や裂け目であるということらしい」と指摘しています(『普通をだれも教えてくれない』潮出版社, 1998年)。
2人の指摘に共通しているのは、ニュータウンは現在の住民だけの空間であり、外部が入り込める余地がないということ。住宅が核家族のためのプライベートな空間になっているのと平行して、ニュータウンという町自体も(プライベートな空間に住む)住民のためのプライベートな空間になっているということ。

本書の表現を借りれば「利用者」にも開かれたまち(地域)を目指そうとする「豊中方式のまちづくり」は、プライベートなニュータウンを開いていける可能性をもっていたのだと思います。
ニュータウンにおいて、今、改めて問われていることは、ニュータウンを住民や地権者の私的財産(の集合)というところから議論をスタートさせるのか、あるいは、誰にとっても開かれた共有財産というところから議論をスタートさせるのかということ。日本で最初に開発された千里ニュータウンを郊外住宅地にするのか、あるいは、21世紀にも誇れる良好な生活環境をもった計画都市・住宅都市とするかは、この点にかかっていると言えます。