パルテノン多摩の講演会での質疑応答

2018年4月30日(月)、パルテノン多摩で開催中の「ニュータウン誕生~千里&多摩ニュータウンの都市計画と人々~」の関連講演会「ニュータウンとコミュニティ」にて講演をさせていただきました。
公演後の質疑応答の時間には、次のような質問がありました(会場で話した内容に一部加筆している回答もあります)。

Q:ディスカバー千里の活動資金はどうしているか? 行政等からどのような支援を受けているか?
ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)は任意団体であり、活動拠点もなく、ボランティアで活動しているので、資金(人件費など)がなければ活動できないわけではない。
活動で必要になる費用については、冊子、絵はがきなど千里グッズの売り上げ、街歩きの参加費などで全てまかなっており、行政等から補助金を受けているわけではない。例えば、行政から依頼を受けて街歩きを開催したりと、ディスカバー千里が行政を支援することもあり、このように行政に依存するのでなく、行政とは対等な立場で活動するのがよいと考えている。

Q:ディスカバー千里で参考としている国内・国外の事例はあるか?
ディスカバー千里が参考にしている活動はない。ただし、個人的には今日の講演で紹介したミルトン・キーンズのリビング・アーカイブ(Living Archive)のような歴史、アート、コミュニティをキーワードにするような活動ができたらいいと考えている。

Q:千里ニュータウンでは吹田市・豊中市はどう連携しているか?
千里ニュータウンにお住いの人々、千里ニュータウンで活動する人々が参加する千里市民フォーラムというネットワークがあり、吹田・豊中の両市からの参加がある。

Q:千里ニュータウンに近隣センターはいくつあるか? 近隣センター同士が連携する動きはあるか?
クラレンス・A・ペリーの近隣住区論に基づいて計画された千里ニュータウンで基本になる単位が住区であり、吹田市域に8住区、豊中市域に4住区が開発された。
当初、千里ニュータウンでは「1つの住区を2つの分区で構成する」ことが考えられた。

  • 「分区」ごとに近隣センター、幼低校(小学校低学年と幼稚園が通う)
  • 「住区」ごとに小学校(小学校中学年・高学年が通う)
  • 2つの「住区」ごとに中学校

けれども、途中から計画は次のように変更され、「1つの住区を2つの分区で構成する」は千里ニュータウンで本格的に採用されることはなかった。

  • 「住区」ごとに近隣センター、小学校
  • 2つの「住区」ごとに1つの中学校

そのため、初期に開発された高野台のみサブ近隣センターが建設された。佐竹台ではサブ近隣センターのための土地が確保されていたが、実際にサブ近隣センターが建設されることはなかった。従って、千里ニュータウンにおける近隣センターは高野台では2つ、他の住区では1ずつの合計13ヶ所である。

クラレンス・A・ペリーは近隣住区の原則の1つとして次をあげている。

「5.地域の店舗——サービスする人口に応じた商店街地区を、1か所またはそれ以上つくり、住区の周辺、できれば交通の接点か隣りの近隣住区の同じような場所の近くに配置すべきである。」
*クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論−新しいコミュニティ計画のために』鹿島出版会 1975年

しかし、千里ニュータウンでは近隣センターを住区の核とするため、近隣センターは住区の中央に配置された。その後、自家用車の普及に伴い、郊外型のショッピングセンターに買い物に行く人が増え、幹線道路に面していない近隣センターは立地上不利になったことから、後期に開発された竹見台・桃山台では、クラレンス・A・ペリーがあげている原則通り、幹線道路を挟んで向き合うように近隣センターを配置することで、2つの住区の近隣センターが1つの大きな近隣センターとして機能するような工夫が行われた。この工夫は多摩ニュータウンにも見られる。

Q:千里ニュータウンにはパルテノン多摩のようなミュージアムはあるか?
千里ニュータウン内にはミュージアムはないが、南千里駅前の千里ニュータウンプラザ内に千里ニュータウン情報館という部屋がある。千里ニュータウン情報館では、千里ニュータウンの地図、模型、ディスカバー千里が製作した「大きな本」などが展示されているが、専属のスタッフが常駐しているわけではない。この場所をもう少し上手く活用できればよいと考えている。

Q:場所の歴史にもとづいた地域をどう考えるか?
地域がその場所の歴史に基づいていることは大切だと考えているが、それはあくまでも1つのあり方で、場所の歴史にもとづかない地域もあり得ると思う。ただし、それも時間の経過とともに歴史になる可能性がある。そう考えると、最初から「地域は場所の歴史に結びつかなければならない」と強迫的に捉える必要はない。
ただし、今日の講演で紹介したように、千里ニュータウンの新千里北町にはユニークな車止めがあり、それは千里ニュータウン計画に携わった人々の重いという歴史に結びついたものであり、新千里北町にしかないという場所に結びついたものである。そして、車止めのペンキ塗り替えのように、「この地域でしかできないこと」は人々を地域に結びつける大きなきっかけであるため、場所・歴史にもとづいたことを見つけようとすることは大切だと考えている。