まちのインフラとしての「まちの居場所」

「まちの居場所」は人々が緩やかに出会える場所という街にとっての基本的なインフラであること、そして、現在「まちの居場所」には多くの役割が期待され過ぎているのではないかということ。先日、ある会議で意見交換させていただき、「まちの居場所」についてこのようなことを考えていました。


「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ、地域の茶の間、まちの縁側、交流の場など)は2000頃から各地に同時多発的に開かれるようになってきた場所。近年ではその役割に注目が集まり、2015年施行の「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)でサービスの1つとして盛り込まれた「通いの場」は、「まちの居場所」をモデルにしたものとされています*1)。

「まちの居場所」は既に珍しい場所ではなくなりましたが、黎明期に「まちの居場所」を立ち上げた人々は、どのような場所になることを期待していたのか。それは、人々が目的がなくても気軽に立ち寄り、話をしたり、新たな活動を始めたりすることを実現するための、緩やかな出会いの場所を実現すること。


千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」は2001年9月にオープンした場所ですが、初代代表の女性は次のように話されています。

「ニュータウンの中には、みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はありませんでした。そういう場所が欲しいなと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです」。

ニュータウンとは集会所、公民館をはじめとする各種施設が整えられた街だと言えますが、施設を整えるだけでは「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」を実現することはできなかったということです。「ひがしまち街角広場」はこうした状況への問題提起として開かれた場所です。

2000年4月、大阪府の府営下新庄鉄筋住宅に「下新庄さくら園」がオープンしました。「下新庄さくら園」は大阪府が府営住宅で進めている「ふれあいリビング」整備事業の第一号として開かれた場所。「ふれあいリビング」は、当時高齢化が進んでいた府営住宅において、「高齢者の生活圏、徒歩圏で、「普段からのふれあい」の活動があれば、高齢でも元気で、お互い元気かどうか確認できて、何かあったら助け合うこともできるのではないか」という考えで始められた事業で、次のように「いつでも気軽に立ち寄れる場」になることが目指されたものです。

「ふれあいリビングは、わかりやすいように「集会所型」と呼んでいますが、集会所とは違う使い方を目指しています。集会所は、前もって予約して、かぎを借りて、使う時だけ開けるという使い方がどうしても多いと思うのですが、ふれあいリビングは、決まった時間はオープンにするために、ボランティアの方々に常駐していただき、いつでも気軽に立ち寄れる場になるようにと、「ふれあい喫茶」をそのボランティアの方々で運営していただいています。」*2)

新潟市では、1997年7月に「地域の茶の間・山二ツ」が開かれています。主宰者の思いが次のように紹介されています。

「『地域の茶の間』の『地域』は、“社会性のある”っていう意味をふくんでいるんです。・・・・・・。自分からわいわいと、どこへでも入っていける人は別にかまわないけど、そうじゃない人はね、『あの人、だれ?』っていう目つきをされなくて、しかも行ったらいつも開いていて、どうぞと言ってもらえる場がほしいの。そういう場が一か所でもあればいいなって」
デイサービスのような場所と、どこが違うのだろうか。
「デイサービスは送迎、日常動作訓練、食事、入浴といったきまった内容とスケジュールです。ここではメニューをつくったりせず、お話したい人が集まればおしゃべりをし、囲碁やマージャンを楽しみたい人は、それをする。寝たい人は横になる、何もしたくない人はしなくてもいい、といったぐあいに、自由な場にしたいと考えたんです」*3)

あらかじめ予約して鍵を借りて利用する集会所や、スケジュールが決められたデイサービスと違って、黎明期の「まちの居場所」が目指していたのは「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」、「いつでも気軽に立ち寄れる場」、メニューのない「自由な場」。全く異なる背景で生み出されたにも関わらず、3つの場所は人々が緩やかに出会える場所を目指すという共通点がある。実際に「まちの居場所」がこれを完全には実現できていないとしても、原点にはこうした狙い、あるいは問題提起があったという歴史は忘れてはならないことです。


現在、「まちの居場所」は高齢者の生活支援・介護予防、高齢者の生き甲斐作り、教養の習得、子育て支援など多くの役割が期待されています。社会の変化に伴い、「まちの居場所」に多くの役割が期待されることはもちろん良いことですが、多くを期待され過ぎることで、人々が緩やかに出会えるという当初の狙いが忘れられるとすれば残念なことです。
この意味では、「通いの場」というのは、当初の「まちの居場所」とは全く別の場所だと捉えた方が良いと考えています。人々が緩やかに出会える場所は、学校(通学)、病院(通院)、福祉施設(通所)、職場(通勤)のように「通う」場所ではない。これは「通いの場」を否定するものではなく、ただ単に別のタイプの場所であるということです。

上で紹介した黎明期の3つの「まちの居場所」ですが、「ひがしまち街角広場」は現在までボランティアで運営が継続され、また、地域に同じような場所を生み出すきっかけにもなっています。「下新庄さくら園」も現在までボランティアでの運営が継続されており、2017年7月の時点で39ヶ所の府営住宅で「ふれあいリビング」が開かれています。「地域の茶の間・山二ツ」を主宰していた女性は、2003年から常設型の「地域の茶の間」として「うちの実家」をオープン(2013年に閉鎖)。さらに、2014年からは新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス「実家の茶の間・紫竹」をスタートさせています。また、新潟県が2000年に策定した「新潟県長期総合計画」において「地域の茶の間」の全県普及が打ち出されたことにより、当時70ヵ所ほどしかなかった地域の茶の間が、2003年度には687ヵ所、2013年度には2,063ヵ所と県内全域に広がっています*4)。

このような場所の継続、広がりは何を意味しているのか。それは、人々が緩やかに出会うという当初の狙いが、現在社会において的確であったことの表れではないかと考えています。
もしかすると、かつては井戸端、田畑のあぜ道、道端、神社の境内など、人々が緩やかに出会える場所があちこちにあったのかもしれません。「まちの居場所」はそれを人為的に作ろうとしたもの。井戸端、田畑のあぜ道、道端、神社の境内などの場所がたとえ生活支援・介護予防、生き甲斐作り、教養の習得、子育て支援などの役割を直接的にもたらさないとしても、これらの場所が不要だという話にはならないのと同じことが、「まちの居場所」にも言えるのではないか。

人々が緩やかに出会える場所は、暮らしにおいて不可欠なもので、あって当然のもの。この意味で「まちの居場所」は基本的なインフラと捉えるべきではないか。
もちろん、それが生活支援・介護予防につながったり、新たな活動や仕事が生み出したりすることを期待しますが、これらはインフラが結果としてもたらす効果の1つなのだと考えています。


注・参考文献