『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

道路を場所に(アフターコロナにおいて場所を考える-04)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は完全に収束していませんが、少しずつ社会を再開する動きが進められています。これに伴い、道路を場所にする動きが生じています。

街路について

経済学者の間宮陽介は、「場所の占め方のさまざまな様態が生活である」捉え、「多様な機能をもっていた街路」が「自動車道路と並行して走る一交通路とみなされ」るようになったことに現れているように、現代の都市からは「しだいに場所が失われている」と指摘しています。

「生活が消費とは異なっているように、場所は土地とは異なっている。現代の都市は土地の上に構築され、そこでは消費が人々の主要な活動様式になっている。これに対してほんらいの都市は場所としての都市であり、そこで営まれるのは人々の生活であるといえるだろう。生活は土地の上で営まれるものではなく、場所の占め方のさまざまな様態が生活である。あるいは場所を生きることが生活だといってもいい。だから善き生活を営むことは善き場所をもつことと同じである。」(間宮陽介, 1992)

「現代の都市においてはほんらい一体であるはずの生活と場所がしだいに分離し始めている。生活は場所から切り離されて消費の活動に収れんしつつあり、場所は生活から切り離されて土地に変質しつつある。歩くという活動は目的地をめざす活動でもあれば散歩や散策の活動でもあり、また路上での情報交換の活動でもあったのに、いまではそれは交通の一手段、しかも原始的な一手段としてしかみられなくなってしまっている。それに応じて、従来の多様な機能をもっていた街路は自動車道路と並行して走る一交通路とみなされている。現代の大きな都市問題は交通問題や住宅問題だとされているが、現代のほんとうの都市問題は、これらの問題以前に、都市からしだいに場所が失われていることではないだろうか。」(間宮陽介, 1992)

都市計画家・建築家のクリストファー・アレグザンダー(1984)は、パタン・ランゲージという「建設や計画に用いる」言語を提唱していますが、パタン・ランゲージでもしばしば街路に言及されています。253のパタンの中で、街路の単語を含むものが「32.買物街路」、「100.歩行者街路」、「101.通りぬけ街路」、「140.街路を見おろすテラス」、「164.街路にむかう窓」、「165.街路への開口」の6パタンありますが、例えば、「100.歩行者街路」では「人混みでの袖の触れ合いで生まれる素朴な社会交流は、最も本質的な社会「接着剤」の1つである」と指摘されています。

人混みでの袖の触れ合いで生まれる素朴な社会交流は、最も本質的な社会「接着剤」の1つである。

今日の社会では、このような状況、したがってこのような接着剤がほとんど失われている。それが失われるのは、主として、実際の人の移動プロセスの大半が屋外ではなく、屋内の廊下やロビーで発生するからである。これは1つには、車が街路を占領し人を追い出したからであり、また1つには、街路に対応する廊下がその傾向を促進したからである。だが事実上、それは損害を倍加しているのである。」(クリストファー・アレグザンダー, 1984)


「121.歩行路の形」では次のように指摘されています。

「街路は、今日見られるような単なる通過空間ではなく、人の留まれる場所にせねばならない。

何世紀ものあいだ、都市生活者にとって家のすぐ外で利用できる公共空間は街路であった。ところが現代都市の街路は、数々の狡猾な手段で、「留まる」場所ではなく「通り過ぎる」場所にさせられている。これを助長したのは、ぶらぶら歩きを犯罪と見なす規制、街路の外側に比べて街路自体の魅力の欠如、自宅に閉じ込もらざるを得ないほどの街路の吸引力の不足などである。」(クリストファー・アレグザンダー, 1984)

これらの指摘は、哲学者・思想家のイバン・イリイチによる自律行為の麻痺という指摘に通じています。イバン・イリイチは学校制度、病院制度、モーター輸送制度という産業サービス制度によって、学ぶ、癒す、歩くという自律行為が麻痺させられると指摘。

「学校においては、教師が他律的な教育サービス労働でもって教育商品を提供し、子どもたちの学ぶ自律性=自律行為を麻痺させる。病院では医者が他律的な医療サービス行動でもって治療商品を提供し、患者の癒す自律行為を麻痺させる。モーター輸送においては他律的な速度商品が加速化として供され、通勤者・通学者の「歩く」自律行為が麻痺させられている、となる。」(山本哲士, 2009)

それでは、自律行為としての歩くとはどのような行為か。山本哲士(2009)は、「歩くとは「行う」ことではない、ただ「する」ことそれ自体である」と述べ、目的意識的な実践であるプラクシス(Praxis)でなく、目的が意識されない実際行為で、慣習行動にもなっているプラチック(Pratique)として捉えることの必要性を指摘しています。

好ましい街路

街路が場所でなくなりモーター輸送制度というサービスを消費するだけの土地になっている。それにより、街路における行為も痩せ細ってしまっている。
それでは、好ましい街路とはどのような特徴を持つのか。例えば、クリストファー・アレグザンダーは、先に紹介した「100.歩行者街路」のパタンにおいて次のように指摘しています。

「公衆の移動のなかで、できる限り社会的交流を再生するには、部屋間、オフィス間、部門間、建物間などの人の移動を現実に屋外で行なう必要がある。つまり、車に侵されない真に公的な屋根つきの歩道、アーケード、歩行路、街路などである。個々の棟、小さな建物、部門などには、できるだけ多くの専用出入口を設けねばならない——そうすれば街路に面する人口が増え、街路に生活が戻ってくるのである。」(クリストファー・アレグザンダー, 1984)

アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグ(2013)は「インフォーマルな公共の集いの場」で、「第一の家、第二の職場」に続く「第三の場所」としてサードプレイスという概念を提示し、次のように「サードプレイスが最もよく育つ場所」は「街路が家の延長になっている」と述べています。

「サードプレイスが最もよく育つ場所は、社会生活に気取りがなく、人びとが目的地まで自動車を使うよりも徒歩で向かうことのほうが多く、近場にいろいろと面白いものがあるおかげでテレビへの依存度が低いところだ。こうした環境では、街路が家の延長になっている。地域への愛着と、そこから得られる場所の感覚は、個人が自分の足で歩きながらなじんでゆくとともに広がりを増す。そういう場所では、親も子も自由に歩きまわる。街路は安全なだけでなく、人と人とのつながりも生む。」(レイ・オルデンバーグ, 2013)

レイ・オルデンバーグが、サードプレイスの例としてあげているのが戦前の田舎町のアメリカにあった「メインストリート」。「メインストリート」では店先の大きな窓と屋外座席が「通りの活気」を生み出したと述べられています。

「その昔、夜の十時に街じゅうが店を開けていることについての定番ジョークがあった。同じように、現代の町民も遅くまで店を開けているだろう。ところが今や人びとはほとんど路上から消え、かつて彼らの居場所となっていた物理的な施設も消えている。メインストリートの建物は目に見えて変わった。昔は店先に大きな窓があるのが特徴で、屋外にはたいてい座る場所があり、多くの場合それらは店の構造上不可欠なものだった。広い階段と、入口の側面にあるカソタ石〔ミネソタ州カソタ産の石灰岩〕の厚板は、夏場に腰をおろして涼むのにいいと気づいた人びとに重宝された。中央入口の左右に木製ベンチを一台ずつ置いて利用に供する店もあった。大きな窓と、入口付近に客を寄せることの相乗効果によって、店の内と外が一つにつながり、「通りの活気」も促された。そんな屋外座席も、今ではすっかり過去のもの。新たな店先は道路との間に余裕がないうえ、窓がずっと小さいので、店内をのぞきこんだり店外を見やったりすることがほとんどできない。現代の商人たちは、今でも店の中や周囲に少しばかり客をとどめようとするかもしれないが、改装された建物がそれを許さない。」(レイ・オルデンバーグ, 2013)

クリストファー・アレグザンダー、レイ・オルデンバーグの指摘からは、自動車に侵食されないこと、家や店などの建物と街路が連続していることという共通点が浮かび上がってきます。

アメリカの建築家・エッセイストのバーナード・ルドフスキーは、このことを「街路はエリアではなくしてヴォリュームである」と表現し、そこは子どもたちとって「晴らしい挿絵の人った開かれた本」だと述べています。

「というのは、街路はエリアではなくしてヴォリュームであるからだ。街路は何も無い場所には存在し得ない。すなわち周囲の環境とは切り離すことができないのである。言い換えるなら、街路はそこに建ち並ぶ建物の同伴者にほかならない。街路は母体である。都市の部屋であり、豊かな土壌であり、また養育の場でもある。そしてその生存能力は、人びとのヒューマニティーに依存しているのとおなじくらい周囲の建築にも依存している。
完璧な街路は調和のとれた空間である。取り囲むのがアフリカのカスバのごときほとんど密室のような家々であろうと、あるいはヴェニスの繊細な大理石の宮殿であろうと、要はその囲いの連続性とリズムである。街路はそれを縁どる建物があってこそはじめて街路であるといえよう。摩天楼と空地では都市はできない。西欧建築の成功は、(くどくどしい美術史家が説くように)個々の建物が担っているのではなく、町の街路や広場の全体が担っているのだ。アノニマスな建物はモニュメンタルな建築に劣らず町の様相を決定する。貴重な芸術作品、すなわちランドマークたる築造物は、一つの町を形づくるうえではパンに入っている乾しぶどうの役割を果たすにすぎないのである。」

「ヨーロッパの子供にとって街路は、十分に親しんでいてしかもそこから得るものは尽きることのない、素晴らしい挿絵の人った開かれた本だったのだ。」(バーナード・ルドフスキー, 1973)

アメリカの社会学者、ウィリアム・H・ホワイトは「いい街路の要素」を次のようにまとめています。

「いい街路の要素を要約してみよう。次のようになる。
・建物は歩道に沿って一列に並んでいること。
・歩道に沿った間口は店舗が並んでいること。
・入口や窓が歩道に面していること。
これでは、目新しいことはあまりない。前の特徴なら既存の多くの街路に当てはまる。ところが、その受け継いできた遺産を実感できる都市は少ない。・・・・・・

先ほどの要素を続ける。
・二階は外が見えるように窓をつけること。
・ちょうどよい広さの歩道。ピーク時に少々混雑する程度の広さがあること。わき道は一五フィートあれば十分。主要街路は二五フィート。
・街路樹は大きな樹木にすること。
・座れる場所とシンプルなアメニティ設備をつくること。
歩行者天国や街路の再開発では、デザインが凝りすぎているところが多すぎる。画一化した看板や賞をもらった照明を基準にするなど、一般的に趣味が上品すぎる。あるいは、上品ぶっているといったらいいだろうか。デザイナーの多くが同じようなテイストをもっているために、差し障りなくまとまりすぎる結果になっている。
必要なのは、シンプルなベンチが利用度に応じて配置されていること、時計や水飲み場のような基本的なアメニティ設備、それに役に立つゴミ箱があることだ。」(ウィリアム・H・ホワイト, 1994)

ここでは物理的な側面から「いい街路の要素」がまとめられていますが、人の側面も忘れてはなりません。ウィリアム・H・ホワイトは「人を最も引きつけるのは人である」として、主(ぬし)が存在することの重要性も指摘しています。

「よく利用されている場所には、ほとんど「主【ルビ:ぬし】」のような存在がいる。ビルの守衛さん、新聞スタンドの売子、食べ物屋台のおじさんのこともある。一日中、人々はこういう主と言葉を交わしているのに気づくであろう。たとえばおまわりさん、バスの配車係など街路を職場としているいろいろな人やビジネスマン、買物客までが、ハーイと声をかけたり、ちょっとおしゃべりするのに立ち止まる。主たちはすばらしいコミュニケーションの中心であり、通常のパターンから少しでもはずれる動きに気づくのも早い。」(ウィリアム・H・ホワイト, 1994)

アメリカの文筆家・運動家のジェイン・ジェイコブズ(2010)は、「見知らぬ人にきちんと対処して、その見知らぬ人々の存在そのものを、それ自体として安全に貢献する資産にできる街路」は3つの条件を備えていると指摘しています。

「成功した都市近隣の街路はすべてそうですが、見知らぬ人にきちんと対処して、その見知らぬ人々の存在そのものを、それ自体として安全に貢献する資産にできる街路は、以下の三つの大条件を備えています——。
まず、何が公共空間で何が私的空間かというはっきりした区分が必要です。公共空間と私的空間は、郊外環境や低所得者向けプロジェクトで典型的に見られるように、じわじわと段階的に推移したりしてはいけません。
第二に、街路に目が光っていなければなりません。その目とは、街路の自然の店番とでも言うべき人々の目です。見知らぬ人々を扱い、そして住民と見知らぬ人々両方の安全を保証できるような街路の建物は、街路に顔を向けていなくてはなりません。街路に背を向けたり、のっぺらぼうの側面を向けて街路を見ないというのではいけません。
そして第三に、歩道には利用者がかなり継続的にいなくてはいけません。これは街路に向けられる有効な目の数を増やすとともに、街路沿いの建物にいる人々が十分な数だけ歩道を見るように仕向けるためです。だれもいない通りを、ポーチや窓から眺めたりして楽しいと感じる人はいません。だからほとんどだれもそんなことはしないのです。多くの人は、街路での活動を見て楽しむのです。」(ジェイン・ジェイコブズ, 2010)

ジェイン・ジェイコブズは、街路に目を光らせることで安全が実現されるというと陰気に思われるかもしれないが、これは現実生活では陰気ではなく、「街路の安全が最高の形で最も自然に、陰悪さや疑惑を最低限に抑えた形で機能するのは、人々が都市の街路を自発的に利用して大いに楽しみ、自分が治安活動を行っているということを通常はほとんど意識しない場合」だとも指摘しています。

街路における行為

街路に関するいくつかの指摘をみてきましたが、これらの指摘においては、次のように街路における行為が豊かなものとして描かれています。しかし、その豊かさは、目的意識的な実践の観点からは捉え損ねてしまう。

  • 「歩くという活動は目的地をめざす活動でもあれば散歩や散策の活動でもあり、また路上での情報交換の活動でも」ある(間宮陽介, 1992)
  • 「通り過ぎる」場所ではなく、「留まる」場所としての街路(クリストファー・アレグザンダー, 1984)
  • 「歩くとは「行う」ことではない、ただ「する」ことそれ自体である」(山本哲士, 2009)
  • 「地域への愛着と、そこから得られる場所の感覚は、個人が自分の足で歩きながらなじんでゆくとともに広がりを増す」(レイ・オルデンバーグ, 2013)
  • 「ハーイと声をかけたり、ちょっとおしゃべりするのに立ち止まる」(ウィリアム・H・ホワイト, 1994)

ジェイン・ジェイコブズは、街路の信頼を生み出す「街頭で交わす数多くのささやかなふれあい」を次のように生き生きと描いています。

「都市街路の信頼は、街頭で交わす数多くのささやかなふれあいにより時間をかけて形づくられています。ビールを一杯飲みに酒場に立ち寄ったり、雑貨店主から忠告をもらって新聞売店の男に忠告してやったり、パン屋で他の客と意見交換したり、玄関口でソーダ水を飲む少年二人に会釈したり、夕食ができるのを待ちながら女の子たちに目を配ったり、子供たちを叱ったり、金物屋の世間話を聞いたり、薬剤師から一ドル借りたり、生まれたばかりの赤ん坊を褒めたり、コートの色褪せに同情したりすることから生まれるのです。慣習はさまざまです。飼い犬についての情報交換をする近隣や、家主についての情報交換をする近隣もあります。」(ジェイン・ジェイコブズ, 2010)

道路を場所にするということは、そこをある目的地に向かって移動するための通過路として捉えるのではなく、そこにおける行為を目的意識的な実践から解放して豊かなものにしていくことだと考えることができます。

新型コロナウイルス感染症への対策としての屋外ダイニング

今回の新型コロナウイルス感染症の発生により、感染防止対策の結果として、道路を場所にする動きが生じつつあるように感じます。それが、レストランの屋外席です。

例えばアメリカでは、当初、感染防止のためレストランを閉鎖し、テイクアウト、配達、ドライブスルーのみを許可するという措置がとられました。その後、社会を再開する動きが始まり、屋外席での飲食から再開が可能とされています。この措置に伴い、次のようにこれまでにない光景が見られるようになっています。

ストリータリー

ストリータリーは、ストリート(Street)と、飲食店を意味するイータリー(Eatery)を組み合わせた造語で、「Streetery」、あるいは、「Streatery」と表記。車両通行止めにした道路にテーブル・椅子を並べることで、レストランの屋外席にするというものです。

ストリータリーは各国で行われていますが、例えば、メリーランド州モンゴメリー郡(Montgomery County)のベセスダ(Bethesda)では、2020年6月10日から、ダウンタウンを管理するベセスダ・アーバン・パートナーシップ(BUP:Bethesda Urban Partnership)という組織によりベセスダ・ストリータリーが開かれています。

ベセスダ・ストリータリーは、ダウンタウンの2つの道路を中心とするエリアにおいて、毎日11時~22時までオープン。

ベセスダ・ストリータリー
ベセスダのダウンタウンの屋外に、レストランの席を追加するダイニングのコンセプト。「ベセスダ・ストリータリー」は、全てのテーブルが少なくとも6フィート離して配置され、1テーブルあたりの人数が4人に制限されたオープンな座席(open seating)として設置されています。レストランの利用者は、地元ベセスダのレストランで飲食物を受け取った後、この屋外エリア内で食事をすることができます。テーブルは利用されるたびに清掃されます。
※Bethesda Urban Partnerの「Bethesda Streetery」のページの翻訳。

(メリーランド州ベセスダ)

歩行者天国というと珍しくないと思われるかもしれませんが、ベセスダ・ストリータリーが興味深いのは、週末だけ、特別な日だけ開かれているのではなく、毎日11時~22時まで開かれていることです。

ソーシャル・ディスタンシングのためテーブルを自由に移動させることができない、1テーブルに4人までしか座れない、レストランの利用者しか座れない、そして、雨の時は座れないといった不便さはあるものの、車道を堂々と歩ける、車道で過ごせる、車道から街並みを眺めることができるという新たな体験を生み出しています。

レストランの屋外席

ストリータリーが開かれている道路以外でも、歩道にテーブルや椅子を置くことで、屋外席にしているレストランがあります。

(ワシントンDC)

(メリーランド州ベセスダ)

(メリーランド州パイク・アンド・ローズ)

元々、歩道にテーブルを置くことを想定していなかったと思われるため、屋外席にするとやや窮屈な感じがしたり、ゆったりと心地良く座れない感じがしたりする屋外席もありましたが、歩道を人々が過ごせる場所にする動きとして捉えることができます。

メリーランド州のケントランズでは、レストラン前の車道の一部を囲い、テーブルや椅子を置くことで、屋外席にしているレストランも見かけました。

(メリーランド州ケントランズ)

パークレット

レストラン前の車道の一部を囲って屋外席にされている場所からは、サンフランシスコ発祥のパブリック・パークレット(Parklet)が思い出されます。

パブリック・パークレットは、新型コロナウイルス感染症への対策として作られた場所ではありません。サンフランシスコで、2010年に世界で初めて公式に設置されたとされています。2019年5月時点でサンフランシスコには50のパブリック・パークレットがあり、アメリカの他の都市にも広がっています。

※サンフランシスコでは、新型コロナウイルス感染症への対応として、歩道や路肩の駐車スペースなどの屋外空間を、レストランの屋外席にしたり、商業のための場所にしたり、イベント会場にしたりするための、従来からのパブリック・パークレットを含むシェアード・スペースが設置されています。詳細はこちらを参照。

パークレットとは何ですか?
パークレットは、歩道に隣接する道の一部を人々のためのパブリックスペースとして再利用するものです。このような小さな公園では、座席、植栽、駐輪場、アートなどのアメニティが提供されています。パークレットは近隣のビジネス、住民、コミュニティ団体によって資金提供され、メンテナンスされていますが、誰もが自由にアクセスできるパブリックな場所です。パークレットには、スポンサーやデザインを担当するする人々や組織の多様性と創造性が反映されています。また、徒歩や自転車の利用を促進し、コミュニティを強化するサンフランシスコ市の取り組みも反映されています。
※Groundplayの「Parklets」のページの翻訳。

実際にパブリック・パークレットを訪れると、ゆったりと心地良く座れない感じのする場所もありますが、道路を人々が過ごせるパブリックな場所にしようとする動きとして捉えることができます。

興味深いのは、地域の中小企業、コミュニティ団体、学校、住民などコミュニティの人々や団体がスポンサーとなり設置、維持管理されていること。
道路は公共セクターが管理する公共的な空間だと言えますが、それを人々が過ごせるパブリックな場所にする上では、屋外席をもうけるレストランや、パブリック・パークレットのスポンサーのようなプライベートなものが意味を持っていること。アフターコロナにおけるリアルな場所のあり方を考える上では、プライベートが契機となり生み出されるプライベートな場所という視点が重要になってくると考えています。

先にも書いた通り、レストランの屋外席やパークレットの中には、ゆったりと心地良く座れない感じのする場所があったのも事実ですが、道路を場所にする動きとして注目すべきだと考えています。
新型コロナウイルス感染症はまだ完全に収束したわけではありません。ストリータリーやレストランの屋外席が新型コロナウイルス感染症が収束するための過渡的なものに終わるのか、収束後も街の風景として定着していくのかには注目したいと思います。

ブラック・ライヴズ・マター・プラザ

2020年5月25日にミネソタ州ミネアポリス近郊で、黒人男性が警察官の不適切な拘束方法によって死亡させられた事件を受け、各地で「ブラック・ライヴズ・マター」(Black Lives Matter:黒人の命が大切だ)をスローガンとするデモが行われています。これを受け、ワシントンDCでは6月5日にホワイトハウス前の16番街(HストリートとKストリートの間)がブラック・ライヴズ・マター・プラザ(Black Lives Matter)と改名され、路面に「Black Lives Matter」の文字が描かれました。

ブラック・ライヴズ・マター・プラザはデモが行われない日も車両通行止めとされており、多くの人々が訪れています。周囲の建物に描かれたミューラル・アート(壁画)を見たり、壁やフェンスに貼られたメッセージを読んだりしているのを見かけました。音楽を演奏している人がいたり、「ブラック・ライヴズ・マター」の文字が入ったTシャツなどを販売する屋台が出されたりしているのも見かけました。

新型コロナウイルス感染症と同列には語ることができないかもしれませんが、現在のアメリカではこのようなかたちでも道路を場所にする動きが生まれています。


参考文献

(更新:2021年9月5日)

※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。

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