『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

『千里ニュータウンウォーク・ガイド:「千里ニュータウン計画」の思想を巡る』

千里ニュータウン計画の思想と、まちびらきから50年を経た千里ニュータウンの今の姿を伝えるための、まち歩きコース付きのガイドブックです。


  • タイトル:千里ニュータウンウォーク・ガイド:「千里ニュータウン計画」の思想を巡る
  • 監修:太田博一
  • 編集:太田博一・田中康裕・鈴木毅
  • 発行:千里グッズの会/千里ニュータウン研究・情報センター
  • 発行年月日:2012年10月15日
  • ページ数:B5サイズ 20ページ
  • 値段:300円(イベント会場などで販売)

はじめに

戦後の高度経済成長期、多くの人々が地方から都市へと集まってくることで、都市では住宅需要が増大し、既成市街地周辺は十分な基盤整備がなされないままスプロール的に開発されていきました。このような状況に対応して、良好な住環境を備えた大量の住宅を供給するために計画・開発されたのが千里ニュータウンです。
千里は大阪都心から北に約15km、吹田市と豊中市にまたがる千里丘陵地に計画・開発された日本で最初の大規模ニュータウンです。1958(S33)年に大阪府の施策としての開発が決定し、1961(S36)年に起工、万国博覧会(大阪万博)が開催された1970(S45)年に事業が終了しました。わずか10年足らずの期間に北大阪の副都心としての機能も併せもつ面積1,160ha(吹田市域791ha、豊中市域369ha)、計画人口15万人、計画住戸数3万戸(後に3万7330戸)の住宅都市を建設したこと自体が偉業だといえますが、千里ニュータウンには、大阪府と多くの専門家が総力をあげて取り組み、新しい理論と提案に基づいて建設された先進的・総合的な「実験都市」という側面もあります。
千里ニュータウンは1962(S37)年から入居が始まり、2012(H24)年にまちびらき50年を迎えました。人工的に作られたこの街も、既に半世紀の歴史が蓄積されています。そして、集合住宅やセンター地区の建物の建替えによって、住環境・景観が大きく変わりつつある今、千里ニュータウンがどのような思想で計画されたかを振り返り、それらの何を継承し、何を変えていくべきかを考える時期になっているといえます。
このガイドブックでは南千里、北千里、千里中央をスタート・ゴール地点とする街歩きコースを3つ紹介しています。是非、ガイドブックを手に、実際に街を歩いて、千里ニュータウン計画の思想に触れてみてください。このガイドブックが、これからの千里ニュータウンのあり方を考えるための一助となれば幸いです。

千里ニュータウンウォーク・ガイド〈目次〉

  • はじめに/千里ニュータウンへのアクセス(p2)
  • 近隣住区論/住区と分区(p4)
  • 千里ニュータウン計画(集合住宅の供給主体、平行配置と囲み型配置、戸建住宅地のクルドサック、千里ニュータウン開発と法、千里ニュータウン開発の主体、千里ニュータウンの学校システム)(p6)
  • 南千里コース(マップ/コースのみどころ)(p8)
  • 北千里コース(マップ/コースのみどころ)(12)
  • 千里中央コース(マップ/コースのみどころ)(p16)
  • 千里ニュータウンのあゆみ(p20)

※現時点では入手していただけない状況にあるため、3つのコースのまち歩きマップを無料で公開しています。まち歩きマップはこちらからダウンロードしていただけます。