『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ひがしまち街角広場

「ニュータウンの中には、みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はありませんでした。そういう場所が欲しいなと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです。」

「ひがしまち街角広場」は、地域の人々のこのような切実な思いから、千里ニュータウン新千里東町の近隣センターに開かれました。2001年9月30日のオープンから、約20年にわたって住民ボランティアによる運営が続けられてきた、空き店舗を活用したコミュニティ・カフェのパイオニアの1つです。

新千里東町近隣センターの再開発により、「ひがしまち街角広場」は2021年6月から活動を縮小し、2022年5月31日で運営を終了しました。運営終了となりましたが、「ひがしまち街角広場」が実現してきたことの意味がなくなるわけでないため、引き続きこのページを記録として残したおきたいと考えています。


ウェブサイトはこちら、最近の活動の様子はこちら、活動の歩みはこちらをご覧ください。

ひがしまち街角広場の概要

  • オープン:2001年9月30日
  • 運営主体:任意団体「ひがしまち街角広場運営委員会」
  • 建物:近隣センター(商店街)の空き店舗を活用
  • メニュー:コーヒー、紅茶などの飲み物が100円の「お気持ち料」で提供

「ひがしまち街角広場」の誕生

オープンの背景

2000年、新千里東町が建設省(現・国土交通省)の「歩いて暮らせる街づくり事業」のモデルプロジェクト地区に選定されました。事業では住民へのアンケート、ヒアリング、3回のワークショップが開催。これらをふまえ住民組織代表、行政、学識経験者による検討委員会、懇談会において「①多世代居住のための多様な住宅を」、「②学校をコミュニティの場へ」、「③近隣センターを生活サービス・交流拠点へ」、「④千里中央を地域の生活・文化拠点へ」、「⑤公園を緑の交流拠点へ」、「⑥緑道を出会いのある交流空間に育てよう」、「⑦交流とまちづくりのための場と仕組みを育てよう」の7つが提案され、特に②、③、⑥については社会実験として取り組むことが提案されました(山本茂・宮本京子, 2001)。この提案を受け、豊中市の社会実験としてスタートしたのが「ひがしまち街角広場」です。

千里ニュータウンは日本で最初の大規模ニュータウンとして専門家、研究者、行政から常に注目されており、数多くの調査が行われてきました。「歩いて暮らせる街づくり事業」を行うにあたって、住民から行政や研究者に次のような話がなされました。今まで多くの調査に協力してきたが、協力した結果が何も地域に還元されてこなかった。今回はそのようなことがないようにして欲しい、と。「歩いて暮らせる街づくり事業」が、「ひがしまち街角広場」という具体的なかたちで実現した背景には、このような住民の思いがあります。

オープンに向けて

2001年9月10日、自治会連絡協議会、公民分館、校区社会福祉協議会、地域防犯協会の各組織の代表者らによる発起人会が設立され、実行委員会の構成、運営方法、実行委員会への参加の呼びかけ方法などが検討されました。これを受け実行委員会が立ち上げられることになりましたが、第1回目の実行委員会が開催されたのは「ひがしまち街角広場」オープンのわずか10日前の9月20日。この日の実行委員会で「ひがしまち街角広場」の名称と代表が決められました。

「地域交流、コミュニケーションの場所が欲しいんだから、まぁお茶ぐらい飲めるようにしましょう。お茶を飲むのはどうしたらいいか。素人ができることだから、紅茶かコーヒーぐらいしかないねぇ、日本茶も出しましょう。それぐらい、誰がどんなふうにいれるかかも何も決まっていません。今から考えたら恐ろしいようなかたちでオープンしました。」

近隣センターの空き店舗を蘇らせる

近隣住区論によって計画された街

千里ニュータウンは大阪府吹田市と豊中市にまたがる千里丘陵に開発された日本で最初の大規模ニュータウン。面積1,600ha、計画人口15万人のニュータウンとして、吹田市域に8住区、豊中市域に4住区、計12住区が開発されました。1962年に吹田市域の佐竹台から入居が始まり、「ひがしまち街角広場」のある豊中市域の新千里東町は1966年に入居が始まりました。12住区の中で、全ての住宅が集合住宅になっているのが、新千里東町の特徴です*1)。
豊中市の住民基本台帳によれば、2018年4月1日現在の人口は8,754人、世帯数は4,230戸。高齢化率は約31%です。

近隣センターというのは、クラレンス・A・ペリーの近隣住区論(クラレンス・A・ペリー, 1975)に基づき計画された千里ニュータウンにおいて、各住区の中心と位置づけられている場所です。近隣センターには住区の人々が歩いて日常生活を送れるように、日用品を扱うお店や郵便局、公衆浴場、集会所などがもうけられていましたが、車社会化の進展や、集合住宅の住戸内の風呂場の増築という生活環境の変化に伴い、次第に空き店舗が目立つようになってきました。こうした状況にあった「近隣センターを生活サービス・交流拠点へ」へと蘇らせることを目的として開かれたのが「ひがしまち街角広場」です。

近隣センターの空き店舗を活用

「ひがしまち街角広場」が開かれたのは、長い間空き店舗となっていた近隣センター北西角の面積30㎡ほどの店舗。千里中央から歩行者専用道路(もみじ橋通り)を歩いて行った時に正面に位置します。空き店舗の改修費用は豊中市からの支援を受けたもので、地域の人々も空き店舗の改修、清掃に参加しました。

「「街角広場」の場合は、もう一から十までありあわせを集めてこしらえたような場所ですから。もうそれこそ、スプーン1本、箸1本、全部持ち寄りのありあわせです。」

「自分たちの家で余ってる物を持って来てるから、自分の身の丈に合ったものばっかりなんですね。来るおばさんたちも自分の身の丈に合ったもの。だからそれを使い、上手く使いこなせたんだと思います。」

テーブルや椅子などの家具、食器、掲示板などは家庭や公民館などからの持ち寄りによって揃えられました。


  • 1)集合住宅には、大阪府住宅供給公社、大阪府営住宅、UR都市再生機構という公的住宅と、民間の分譲マンションがある。

住民による自主運営

豊中市の社会実験としてスタート

「ひがしまち街角広場」は豊中市の社会実験として2001年9月30日にオープン。オープン時の空き店舗の改修、清掃の費用は豊中市が負担。社会実験の間も豊中市から財政的な支援を受け、豊中市から業務委託を受けた財団法人・生活環境問題研究所が事務局を担当していました。
当初、2001年12月末までの約3ヶ月間だけ社会実験として運営される計画でしたが、せっかく開いた場所を閉めるのはもったいないという住民の声に応えるかたちで、社会実験の期間は2002年2月末まで延長。さらにその後、2003年3月末まで再延長されました。そして、社会実験が終わった後は地域の人々により運営が継続されることになりました。

住民による自主運営

社会実験終了後から現在に至るまで、行政からの補助金、事務局の支援を受けることなく地域の人々による「自主運営」が続けられています*1)。「自主運営」を始めるにあたっては、次のような約束がされたということです。

「ボランティアが一生懸命エプロンかけて待機してても、誰も来てくれなかったら意味がないんです。誰も来なくなったら補助金をもらうよりも閉めましょと。地域に必要のない、みなに必要とされてない場所は潔く閉めましょといつでも言ってます。ですから、補助金にすがって安穏と生活をしておりません。」

「ひがしまち街角広場」ではコーヒー、紅茶などの飲み物が「お気持ち料」100円で提供されています*2)。食事は提供されていませんが*3)、お弁当や、近隣センターのスーパーマーケットなどで購入した食事の持ち込みは可能。最近では、新千里東町の近隣センターで運営が始まった「あいあい食堂」*4)の食事メニューが「ひがしまち街角広場」内に掲示されており、「あいあい食堂」の食事を「ひがしまち街角広場」で食べる人もいます。

運営時間は11時~16時ですが、16時以降は会議などの場所として有料で貸切利用をすることができます。
「ひがしまち街角広場」は飲物の「お気持ち料」と16時以降の会場使用料によって店舗の家賃、水道光熱費、食材費など全ての経費をまかなっています。

「ひがしまち街角広場」は行政による働きかけをきっかけとし、社会実験としてスタートしました。社会実験期間中は行政からの支援を受けて運営されていたが、その後、地域の人々は行政に依存せず、また、行政も地域の人々を補助金漬けにすることはなかった。この部分は、地域の人々と行政との協働のモデルケースとして評価されるべき点です。


  • 1)社会実験の終了により、豊中市と生活環境問題研究所からの支援は公的には終了したが、豊中市職員、生活環境問題研究所の職員による個人的な関わりは継続している。2002年から活動している「千里グッズの会」には、このように個人的に「ひがしまち街角広場」に協力する豊中市職員、生活環境問題研究所職員も参加していた。
  • 2)100円はあくまでも目安とされているが、現在では100円を支払うことが定着している。当初、「お気持ち料」は、テーブルの上に置かれた貯金箱に自分で入れるようにされていました。けれども、2011年からは「お気持ち料」を貯金箱に入れ忘れる人がいるということで飲物を運んできたボランティアに直接渡すように変更された。
  • 3)「ひがしまち街角広場」でも食事を作り、食事をしたり、高齢者などへの配食をしたりしたいという希望が出されたこともあったが、現在のところ実現していない。
  • 4)2015年11月、社会福祉法人・大阪府社会福祉事業団が運営する「豊寿荘ひがしまち」が新千里東町近隣センターの空き店舗を活用してオープンした。「あいあい食堂」は、「豊寿荘ひがしまち」の1階を利用して、2015年12月から運営されている。

ふらっと立ち寄れる場所

ニュータウンになかった場所

豊中市による半年間の社会実験の期間中、「ひがしまち街角広場」では「フリーマーケット」、「ミニコンサート」、「ペン字クリニック」、「小学生囲碁教室」、「しめ縄づくり」などのイベントや、写真、水彩画、郷土玩具などの展示が定期的に行われていました。けれども、地域の人々による「自主運営」が始まってからは「ひがしまち街角広場」主催のプログラムは、5月の「竹林清掃」と、10月の周年記念パーティーを除いてほとんど行われていません*1)。
「ひがしまち街角広場」は地域の人々にとって、プログラムに参加するために訪れる場所ではなく、気が向いた時にふらっと立ち寄り、飲物を飲んだり、話をしたり、新聞や本を読んだりして思い思いに過ごせる場所であり続けています。

「ニュータウンの中には、みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はありませんでした。そういう場所が欲しいなと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです。」

ニュータウンとは学校、病院、集会所、店舗など種々の施設が計画的に配置された、完成品としての町だと言えます。けれども、この言葉からは、種々の施設を寄せ集めただけでは「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」という、地域での暮らしの基本となる場所は実現されないという、街を計画することに対する大きな問題提起となっています。

毎日運営する場所

あらかじめ時間が決められたプログラムに参加するために訪れるのではなく、気が向いた時にふらっと立ち寄ってもらえる場所にするために、「ひがしまち街角広場」では毎日運営することが当初から意識されてきました。2001年9月30日のオープンから2002年1月31日までは週7日、2002年2月1日からは月曜から土曜までの週6日運営されています。

「始めた時の趣旨としましては、何はともあれ毎日する。・・・・・・。どうして毎日かと言いますと、週に1回とか、月に何回っていうのでは、誰でもいつでも行ってみようかなと思った時に行けない、自由に出入りしてもらえない。「今日行ったら閉まってたわ」、「今日はお天気悪いから閉まってたわ」ってなったら、「行ったら開いてるかな?」と心配になったら、来てもらえないようになるから、いつでも行ったら開いてるという安心感が一つの目的で毎日やっておりました。」

11時~16時という運営時間は、「ひがしまち街角広場」のボランティア・スタッフである女性の負担にならないよう、朝の家事を終えてから出て来れるように、そして、運営を終えてから夕食の支度ができるようにと考えられたものです。

地域の情報の交差点

「ひがしまち街角広場」の表の掲示板には、新千里東町で2ヶ月に1度発行されている地域新聞『ひがしおか』、地域の各種団体からのお知らせなど、地域に関する様々な情報が掲示されています。その1つが、小中学校の学校通信*3)。子ども、あるいは、孫が小中学校に通っている家庭は、学校通信を通して、学校の様子を伺うことができますが、そうではない家庭には学校の様子が伝わりにくい。そのため、「ひがしまち街角広場」を起点として、学校の情報を地域に発信することを考えたらどうですかという呼びかけによって、掲示板には小中学校の学校通信が貼られることになりました。
訪れた人々はこの掲示板を見たり、おしゃべりをしたり、あるいは、他の人の話を耳にはさんだりすることを通して、地域のことを知ることができる。さらに、様々な人々が出入りし、様々な情報が集まると思っているがゆえに、「地域の情報の交差点」と表現される場所になっています。

「直接誰に言ってわからないことを、ここで大きな声で叫べば誰かが聞いてくれる。・・・・・・。独り言みたいな顔して、大きな声で言ってみる。誰かが聞いてて、またそれが、それなりにちゃんと、いきていく。」


  • 1)歌声喫茶、ウクレレ教室、NPO法人「千里・住まいの学校」による「街角土曜ブランチ」が行われていた時期もある。
  • 2)2014年5月から毎月第4土曜日も定休日、2020年6月から毎週土曜日も定休日とされた。そして、2021年6月からは、近隣センターの再開発に伴い週3日の運営になっている。
  • 3)最近では学校通信は掲示されなくなっている。

住民ボランティアによる運営

任意団体としての運営

運営主体は「ひがしまち街角広場運営委員会」という任意団体です。NPO法人など法人化してしまうとその枠からはみ出たことがやりにくくなると考えられ、任意団体のままでの運営が続けられています。現在、「ひがしまち街角広場運営委員会」は日々の運営を担当するボランティア、地域防犯協会支部、公民分館、校区福祉委員会の地域団体の代表者、大学教員らによって構成されています。

個人としてのボランティア

「ひがしまち街角広場」ではオープン当初、ボランティアの人数を確保するために自治会連絡協議会、公民分館、校区福祉委員会、地域防犯協会という地域の既存の団体に担当日を割り振っていました。けれども、しばらくすると団体に所属していない人が入りにくいという不都合が出てきたということです。

「今日は福祉の日ですよとなると、福祉関係以外の人が入りづらい。防犯担当の日は、防犯関係者以外は覗いて、「今日は防犯の日や」って人が帰るようなことがありました。」

「例えば公民分館の日があったり、社協の日があったりするわけでしょ。そしたら、みなやっぱり裃着てるんでしょうね。自分はそうじゃないつもりでも、やっぱりそう見えるのか、気がついてしまう。団体同士の競争もあるんですよ。昨日きっちりしてはったから、うちの団体の時もちゃんとせないかんとかね。こうせないかんとか。あれ不思議、自然発生的にそうなるみたいです。何もそうしなくちゃいけませんとは言ってないんだけど、やっぱりそうなっていくのかな。」

こうした状況になったため、以降は地域の既存の団体とは関係なく個人としてボランティアに入るように変更されました。現在のボランティアは、オープン当初に地域の団体のメンバーとして運営に関わり、その後は個人としてボランティアを続けている人もいれば、地域の団体とは無関係に個人としてボランティアになった人もいます。日々の運営は、15人ほどのボランティアが、2人ずつ日替わりで担当しています*1)。ボランティアは全員が女性で、新千里東町に住んでいる人がほとんどです。

個人としてのボランティアで運営することになってから、ボランティアの担当日は、室内の見えやすいところに貼られた1月ごとのカレンダーに、ボランティアできる日に自分の名前を書くことで決められており、空白になっている日を埋めていくようにして調整されていました*2)。


  • 1)ボランティア2名で1日の運営を担当することがほとんどだが、3名の場合や、午前・午後でボランティアが交代する場合もある。
  • 2)現在でもカレンダーによって、担当者が決められているが、各曜日の担当者が定着・固定してきたことから、カレンダーには必ずしも毎日、担当者の名前が書かれているわけではない。カレンダー自体も奥まったところに掲示されており、来訪者がカレンダーを見ることはできなくなった。

緩やかな主客の関係

ボランティアと来訪者の緩やかな主関係

日々の運営は住民ボランティアによって担われていますが、住民ボランティアは給与や交通費など金銭的な支給を一切受けない無償ボランティアです。これは、わずかでも金銭的な支給を受けるとサービスする側/される側という関係が固定されてしまう。きちんとした金額の給与を支払えるならそれでもよいが、仮に給与を支給するとしても中途半端な金額にしかならない。それなら無償ボランティアにする方がよいと考えられてのことです。

「いくらかでもお金をもらってるとなったら、・・・・・・、お金を出した方ともらってる方になりますよね。それよりも、みんな、どっちもボランティア。来る方もボランティア、お手伝いしてる方もボランティアっていう感じで、いつでもお互いは何の上下の差もなく、フラットな関係でいられるっていうのがあそこは一番いい。その代わり暇な時は一緒に座ってしゃべる。忙しくなったら、お当番じゃない人がいきなり立って来て、エプロンもかけてないのに手伝いをする。」

「普段着で生活してる。来る人も普段着で来る。その普段着同士の付き合い、フラットなバリアフリーのつきあい、それがいいんだと思うんですね。」

スタッフと来訪者との関係はサービスを提供する店員とサービスを提供されるお客さんではありません。実際、ボランティアと来訪者とが一緒に話をしている光景をよく見かけます。加えて、来訪者による運営への協力も見られます。例えば、ボランティアが忙しい時はコーヒーを運ぶのを手伝ったり、テーブルの後片付けを手伝ったりする人もいます。写真を展示したり、竹細工を展示したりする人もいます。旅行のお土産や、近くの店で売っているたこ焼きを差し入れる人もいます。2006年5月に新千里東町近隣センターの別の空き店舗に移転した際にも、多くの人々の協力により移転作業が行われました。

「ボランティアに来てる人は、来てて楽しい、しんどくない、肩がこらない。自分らの自由に振る舞える。お金もらわないから座れる時は座れるし、友だち来たりできるし、そういう自由がある。お金もらったらそんなわけにいかないでしょ。・・・・・・。「サービスが悪いの、いいの」って言われるでしょ。お金もらわないことで、そういうこともないし、お互いもうみんなわかってるから、そのへん。」

多様な来訪者が思い思いに過ごせる場所

思い思いに過ごせる場所

来訪者は1日に30~40人で、その中心は地域の高齢者です。プログラムが提供されていないため、訪れた人は思い思いに過ごします。他の来訪者やボランティアと話をして過ごす人が多いですが、決して無理な関わりが求められることはなく、本や新聞を読むなど1人で過ごしている人もいます。
ただし、1人で過ごしているとしても、それぞれのテーブルに座っている人は全くの無関係ではないこと。1人で座っている人同士が、テーブル越しに会話している光景が見られるのも「ひがしまち街角広場」の特徴です。

多世代にとっての場所

来訪者の中心は中心の高齢者ですが、対象者が属性によって限定されているわけではありません。

「地域の人どなたでものコミュニティっていって作ったんです。だから高齢者に限定してるわけじゃないし、年齢層がどういう人っていうんじゃなくて、誰でもって。ここは誰でも何でもありの場所っていうかたちで、もう全部受けとめることにしてます。」

「応じたっていうことがものすごい大事なんですよ。それぞれに応じたものを、その場でできるというのが。青少年とか、成人期とか、高齢者とかに応じたじゃなくて、同じ成人でも色んなレベルの人がいるでしょ。だから、どこにも応じたことがやれる場所じゃないといかんわけでしょ、こういうところっていうのは。枠にはまってない、枠からはみ出た人には対応できないって言ったらだめじゃないですか。」

小学生が学校帰りに「おばちゃん、お水ちょうだい」と言って水を飲みに立ち寄るのは、「ひがしまち街角広場」ならではの風景の1つ。小学生は寄り道が禁止されていますが、「ひがしまち街角広場」に立ち寄ることは学校公認とされています。中に入って来ない時でも、下校時には子どもたちが「ひがしまち街角広場」の前を通り過ぎていく様子が伺えます。近くの幼稚園に子どもを預けている母親グループが集まることもあります。
「ひがしまち街角広場」では、毎年七夕の時期には表に笹を飾り、短冊に願い事を描いてもらうようにしていますが、願い事を書いていく子どももいます。
このように「ひがしまち街角広場」は、子どもや若い世代を感じることができる場所でもあります。

近隣センターでの運営を重視した移転

他の店舗への移転

「ひがしまち街角広場」は2001年9月30日、新千里東町近隣センター北西角の空き店舗を利用してオープンしましたが、2006年の春で北西角の店舗の利用契約が切れることになりました。
「ひがしまち街角広場」の運営を続けるため移転先が検討された際、「やっぱりこの近隣センターから外へ出たら意味のないことだと思った」という考えから、近隣センターで運営を継続することが模索されました。結果、以前パン屋だった空き店舗を借りることができました。この移転先が、現在の「ひがしまち街角広場」の運営場所です。

移転作業

2016年4月末から移転に向けた作業が始められました。移転先の店舗に置かれていた不要な家具の撤去、清掃、壁・天井へのペンキの塗装、カウンターやテーブル、椅子などの搬入など、全ての作業は豊中市からの財政的な支援を受けることなく、「ひがしまち街角広場」のスタッフや来訪者、ペンキ職人の男性をはじめとする地域の住民、「千里グッズの会」のメンバーなどにより行われました。移転作業はゴールデンウィーク期間中に行われたため、「ひがしまち街角広場」の運営は1日も休むことなく、2006年5月6日から移転先での運営が始まりました。移転前の店舗は約30㎡でしたが、移転後の店舗は75㎡と面積が広くなりました。

移転前の店舗の床には千里ニュータウンの地図が描かれていました。この地図はモニュメントとして移転後の「ひがしまち街角広場」内に設置されることになりました。移転先での運営が始まると、話し声が反響してうるさいことがわかったため、壁に多孔板を取り付けるという対応が行われました。

地域への還

周年記念行事

「ひがしまち街角広場」は2001年9月30日にオープン。オープンを記念して、毎年10月上旬には周年記念行事が開催されてきました。周年記念パーティーは2013年10月の12周年記念までは毎年開催。その後、2016年に15周年記念が開催されています。2014年にはパーティーに代わり、バースデーウィークの期間がもうけられました。

周年記念パーティーは近隣センター北西角の広場で開催。プログラムは年によって異なりますが、次のように多彩な内容です。

  • 和太鼓クラブ八鼓、第八中学校バトン部、末崎小学校児童によるよさこいソーラ、住民の尺八、ウクレレ伴奏による歌、マジックショーなど歌・踊りなどの演奏・演舞
  • 大阪大学の学部生・大学院生による「ひがしまち街角広場」や千里ニュータウンに関する研究発表
  • 「千里ニュータウン研究・情報センター」によるスライドショー上映、「大きな本」の展示など「ひがしまち街角広場」の歩みの振り返り、今後を考えるワークショップ

参加者にはバーベキュ、最近ではおでんが振る舞われました。周年記念の最後は、景品付きのビンゴゲームが恒例です。

周年記念パーティーは日々の運営を担当するスタッフだけでなく、来訪者、そして、地域の人々の手により準備から後片付けまでが行われており、まさに地域の人々が自分にできる役割を担うことで作り上げられたものだと言えます。

周年記念パーティーには地域への還元という側面もあります。若干の参加費が必要ですが*1)、バーベキュー、おでんなどの食べ物、飲み物、ビンゴゲームの景品などは、日々の運営への協力に対する地域への還元という趣旨で開かれていました。

地域への還元

地域への還元が考えられたのは周年記念パーティーだけではありません。「ひがしまち街角広場」で使われている家具や電化製品の中で、補助金を受けて購入したのは、2014年10月に民間の団体から助成により購入したカウンターと冷蔵庫だけですが、冷蔵庫は近隣センターの店舗から購入されました。その他の備品や食材を購入する際にも、「「街角広場」で必要なものは、この商店街で全て調達しております。この商店街で調達できるものは全て」と話されているように、地域とつながりをもつことが意識されており、近隣センターで購入されています*2)。

「ひがしまち街角広場」のには様々な作品が展示されています。壁などは地域の人々が作品を発表できる場所として開放されており、地域の人々の手による写真や川柳、竹細工などが展示されてきました*3)。「千里グッズの会」(現・千里ニュータウン研究・情報センター)による絵はがき、「千里竹の会」による竹酢液や竹炭などを販売するコーナーもあります。
このように「ひがしまち街角広場」では、地域にいかに還元するかが大切にされてきました。


  • 1)初期には周年記念パーティーへの参加者は、受付で参加費を支払っていたが、途中から参加費ではなく、おでんを注文した際に代金を支払うかたちへと変更された。
  • 2)現在、この部分は必ずしも徹底されているわけではなく、近隣センターより安く売っている店で備品や食材などが購入されることもある。この背景には、補助金を一切受けていない「ひがしまち街角広場」では、運営資金が十分でないという理由もある。
  • 3)展示されている写真を見た人が、「このような写真を撮れるようになりたい」と希望したことがきっかけとなり、写真を展示していた人を講師として「写真サークル・あじさい」が立ち上げられるなど、新たな活動を生み出すきっかけにもなっている。

地域活動の拠点

生まれたグループ

「ひがしまち街角広場」は地域の人々が日常的に出入りする場所であるため、訪れた人同士が意気投合し、新たな活動を始めることがあります。
以前、活動していた「写真サークル・あじさい」は、「ひがしまち街角広場」内に展示されていた写真を見た人が、このような写真を撮れるようになりたいと希望したことがきっかけとなり、写真を展示していた人を講師とするサークルとして立ち上げられたものです。「千里竹の会」は、「ひがしまち街角広場」で公園の竹薮が荒れているという話が出たのがきっかけとなり、「ひがしまち街角広場」での話し合いを通して立ち上げられた竹林を整備するグループ。住まいのサポートと街の再生についての活動を行う「NPO法人・千里・住まいの学校」、千里ニュータウンのお土産の作成・販売、歴史の収集・発信を行う「千里グッズの会(現・ディスカバー千里)」は、「ひがしまち街角広場」に集まった地域の人々、専門家、大学教員・学生らによって立ち上げられた団体です*1)。

グループでの利用

「ひがしまち街角広場」のカフェとしての運営時間は10~16時ですが、16時以降と日・祝日は貸し切り利用が可能になっています*2)。上にあげた「千里グッズの会」、「千里・住まいの学校」の他、東丘小学校の子どもの父親たちのグループである「東丘ダディーズクラブ」、豊中市地域防犯協会東丘支部、少年野球チームの「千里ツインズ」などの集まりに利用されています。

地域の団体が集まりや会議に利用できる場所として、集会所や公民館があります。けれども、集会所や公民館はある程度の体制が整い、目的がはっきりとした団体が利用する場所としては適しているが、その反面、これからメンバーを集めたり、活動内容をはっきりさせたりするというように、活動を立ち上げようとする初期の段階では利用しにくい場所です。初期の段階においては、「ひがしまち街角広場」のように事前の予約がなくても、気軽に集まり、話ができる場所が必要だということです。

「「街角広場」は便利なところで、「今日の夕方これに使いたいねんけど、貸して欲しい」って飛び込んで来た人にもすぐ貸せる状況です。」

「ひがしまち街角広場」をグループで利用する際には、集会所や公民館のような事前の手続きは必要ありません。利用できる時間が制限されている集会所や公民館と違い、時間を気にせず夜遅くまで利用することもできます。夜はアルコールを持ち込むことも可能。
このように「ひがしまち街角広場」は「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」であると同時に、地域活動を生み出したり、活動拠点になったりする場所にもなってきました。


  • 1)この点について、直田春夫(2005)は「興味深いのは、この街角広場をふだん利用している住民がつながり、新しい活動をはじめるきっかけとなっていることである。たとえば、千里ニュータウンの竹林の整備を手がける「千里竹の会」や、千里グッズの開発というねらいから絵はがきづくり(「千里ポストカード・プロジェクト」)が生まれるなど、新しい活動を生み出す「場」にもなっている。いわば、市民活動の「ネットワーキングのノード」や「インキュベーションスペース」と言えよう」と述べている。
  • 2)グループでの貸切利用の利用料金は何度か変更されているが、2017年11月1日からは次の値段とされている。2時間まで:500円、2時間以上3時間まで:800円、3時間以上4時間まで:1,100円

まちと共にある居場所

まちとの関わり

「ひがしまち街角広場」ではスタッフと来訪者との関係がサービスする側/される側に明確に分かれておらず、忙しい時は来訪者も飲物を運び、逆に時間がある時はボランティアも来訪者と一緒に話をするというように、主客の関係が緩やかになっています。
この背景にはスタッフも来訪者も第一世代*1)の住民として、新たに開発された千里ニュータウンでの暮らしを半世紀にわたって共にしてきたという暮らしの歴史の共有があります。

「ひがしまち街角広場」がオープンした2000年頃は、新千里東町の第一世代の人々が高齢になりつつあった時期。ただし第一世代の人々の中心はまだ50~64歳であり、多くの男性はまだ定年を迎える直前でした。ベッドタウンである千里ニュータウンにおける当時の地域活動の担い手は、専業主婦の第一世代の女性が中心。この時期に開かれた「ひがしまち街角広場」のスタッフが全員女性であることは、ここにも起因しています。

2000年頃は「ひがしまち街角広場」だけでなく、新千里東町が大きく変化した時期でもあります。人口が減少しつつあった、最大で1,400人以上いた東丘小学校の児童数が約200人にまで減少していた、集合住宅の建替が進みつつあった、近隣センターに空き店舗が目立つようになっていたなどの状況から、地域の見直しがなされていた時期。「歩いて暮らせる街づくり事業」のモデルプロジェクト地区への選定という地域外からの働きかけがきっかけとなり、2000年頃の新千里東町では「東丘ダディーズクラブ」の設立(2000年)、自治会連絡協議会、公民分館、校区社会福祉協議会、地域防犯協会の各組織の広報誌を統合した地域新聞「ひがしおか」の創刊(2001年1月)、東丘小学校の空き教室を活用したコミュニティ・ルームの開設(2001年)、小学校の運動会と地域の運動会の合同による「東丘ふれあい運動会」*2)の開催(2002年)など、その後につながる様々な変化が起きています。
「ひがしまち街角広場」も、新千里東町のこうした大きな変化の1つの現れです。「ひがしまち街角広場」はまちのあり方と密接に関わっており、この意味でまさに「まちの居場所」と捉えることができます。

まちの状況を背景とする運営の課題

現在の「ひがしまち街角広場」が抱える課題の1つに、スタッフの後継者を見つけ、育てていくことがあります。

全ての住戸が集合住宅によって構成されている新千里東町では、半世紀前のまち開きの際にも、近年の集合住宅の建替の際にも、同じ世代の人々が一度に入居するため、住民の年齢が特定の世代に偏る傾向があります。「ひがしまち街角広場」のオープン以来、運営を担ってきたスタッフは第一世代の女性ですが、そのすぐ下の年齢の人々は少なくなっています。2015年時点で人口が多いのは40代ですが、共働きの夫婦が多い、ベッドタウンである千里ニュータウン内には仕事場がほとんどないなどの理由で、この世代の人々は昼間、地域にいない。

「ひがしまち街角広場」が抱えている課題は、新千里東町がニュータウンであることに起因するところが大きくなっています。そのため、これからの「ひがしまち街角広場」を考えて行くためには、課題をカフェの運営方法に矮小化せず、なぜ「ひがしまち街角広場」が開かれたのか、「ひがしまち街角広場」はこれまで何を実現してきたのかをまち全体として共有し、継承していく必要があると考えています。


  • 1)千里ニュータウンのまち開き当初に入居した人々を、ここではニュータウンの「第一世代」と呼んでいる。
  • 2)「東丘ふれあい運動会」は、その後、集合住宅の建て替えが進み児童数が増加したため、2009年からは小学校の運動会と地域の運動会とはまた別々に開催されるようになった。

■参考文献

  • 直田春夫(2005)「千里ニュ-タウンのまちづくり活動とソ-シャル・キャピタル」・『都市住宅学』No.49
  • クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)(1975)『近隣住区論:新しいコミュニティ計画のために』鹿島出版会
  • 山本茂, 宮本京子(2001)「千里ニュ-タウンにおける取り組みと展望」・『地域開発』Vol.444, 2001年9月

(更新:2022年6月4日)