『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

遊廓建築による街並み:橋本遊廓(京都府八幡市)

京阪電車の橋本駅(京都府八幡市橋本中ノ町)の西側は、かつて遊廓であり、現在でも遊廓だった建物が残されています。

江戸時代に整備された五街道の1つである東海道には53の宿場がありました(東海道五十三次)。東海道は日本橋(江戸)から京都の三条大橋に至りますが、東海道の延長として大阪の高麗橋(京橋)に至る京街道が整備され、1619年(元和5年)、伏見宿(54番)、淀宿(55番)、枚方宿(56番)、守口宿(57番)の4つの宿場が設置。これら京街道の4つの宿場を含めて、東海道五十七次と呼ばれることもあります*1)。

橋本は、淀宿と枚方宿の中間に位置。

橋本の名前は、日本三古橋の1つで、行基が725年(神亀2年)に淀川に架けた山崎橋(山城国山﨑〜橋本間)の最寄りであったことに由来します。元々、橋本は石清水八幡宮の参拝者が宿泊する場所として賑わっていました。江戸時代(1619年)に京街道の宿場が整備されてからは、淀宿と枚方宿の中間にある宿場として栄えたとのこと。江戸幕末には、京街道の関所としての役割を担う楠葉台場が橋本のすぐ南に設置されました。

写真は木津川にかかる御幸橋(ごこうばし)から撮影したもの。左が岩清水八幡宮のある男山。木津川は御幸橋の少し下流の橋本付近で、宇治川、桂川と合流して淀川になります(三川合流)。橋本は男山と淀川の間に挟まれたところに位置します。

写真は橋本駅の南側から北側に向かって撮影したもの。京阪電車の線路の左手(西側)に、元遊廓の建築が建ち並んでいます。

明治10年(1877年)、橋本に遊廓が設置されます。
1930年(昭和5年)に刊行された『全国遊廓案内』では、橋本遊廓が「八幡町遊廓」として次のように紹介されています。「夜間の不夜城、川岸に弦歌のさんざめく邊りは實に別世界の感じがある」という表現から、遊廓として栄えていた当時の様子が伝わってきます。

「八幡町遊廓 は京都府綴喜郡八幡町字橋本に在つて、京阪電鉄橋本駅以西が全部遊廓の許可地に成つて居る。明治十年の創立で、歌舞伎で有名な「引窓」の「橋本の里」が今遊廓の在る所だ。淀川、桂川、宇治川の三川の合流に沿つて居るので、風景もよく、夏は涼しく、多数の網船が出漁して、夜間の不夜城、川岸に弦歌のさんざめく邊りは實に別世界の感じがある。丁度京、阪の中間に位置して居るので、斯うした情景を慕ひ寄つて来る者が多いので花街はめきめきと繁昌し、今では貸座敷の組合員が七十五人居り、娼妓は四百七十人、藝妓は三十名と云ふ大舞台に成つて居る。・・・・・・。店は陰店式で、娼妓は居稼ぎもやれば、又送り込みもやつて居る。遊廓は勿論時間花制又は通し花制で廻しは絶対に取らない。・・・・・・。附近には石清水八幡宮、淀競馬場、柳谷観世音、関西漕艇クラブコース、等があり、松茸、川魚等が名物だ。」

「居稼ぎ 藝娼妓等が、抱え主の家で客を取つて稼ぐ事。」

「送り込み制 關西方面に多く、置屋は置屋、揚屋は揚屋と、各専門店的に營業して居る處で、娼妓は置屋から屋へと送り込まれて行くので此の称がある。」

※日本遊覧社編(復刻編者 渡辺豪)『全国遊廓案内』カストリ出版 2014年
※一部、旧字体を新字体に改めている。

このように賑わった橋本の遊廓ですが、1958年(昭和33年)に売春防止法が施行されたことで廃止。しかしその後も多くの建物が残され、遊廓の面影を残す街並みとなっています。

橋本の近くで生まれ育ったこともあり、橋本駅の近くにあった立本内科小児科医院がかかりつけ医でした。先生は女性で、子どもの目にはかなり高齢に見えましたが、正確に何歳ぐらいだったのかはわかりません。現在、立本内科小児科医院は閉鎖され、再開発で住宅に建て替わっています。

子どもの頃から、元遊廓の建物が建ち並ぶ通りを何度も通っていましたが、当時は建物に目をとめることもなかったように思います。大学で建築学科に入った頃、デジタルカメラが普及し始めました。デジタルカメラを購入してから、実家の近くに変わった建物があると写真を撮影していました。最初に橋本の写真を撮影したのが2002年。しかし、その頃も変わった建物があるという程度しか認識しておらず、この建物が何なのかを調べることもありませんでした。変わった建物だと思っていた建物が、かつて遊廓だったと知るのはもう少し後のことです。

昔撮影した写真を改めて見直すと、一部の元遊廓の建物は駐車場になったりしていますが、2000年代には今よりも多くの元遊廓の建物が残されていることがわかります。

2002年〜2008年撮影

(元旧歌舞練場の建物)

2012年撮影

2018年6月、大阪府北部地震が発生しました。同じ年の9月には、台風21号による被害も受けました。地震と台風のどちらの被害かはわかりませんが、こ橋本の元遊廓の建物も被害を受け、屋根にブルーシートがかけられている光景を見かけるようになりました。現在でも、ブルーシートが架けられたままになっている建物もあります。
2018年の地震と台風、そして、近年の橋本駅周辺の再開発により*3)、元遊廓の建物は10〜20年前に比べても減少したと感じます。その一方、2020年には元遊廓の建物を使った旅館が開業するなど、新たな変化も見られます。

橋本には、遊廓から旅館に転業した「多津美旅館」(旧いろは楼)という旅館がありました。そして、2020年には同じ通りに、元遊廓の建物を改装した旅館「橋本の香」(旧三桝楼)が生まれています*4)。

2021年撮影

(多津美旅館)

(橋本の香)

(元歌舞練場の建物があった土地)

遊廓の建物は橋本の歴史を伝える貴重なもの。一度、取り壊されると元に戻すことはできません。その一方で、遊廓は負の歴史であり、残すべきでない、残したくない歴史と捉える立場もあると思います。どちらが正しいのか、難しい問題です。

興行収入の国内の1位を記録した『鬼滅の刃 無限列車編』の続編として、『鬼滅の刃:遊郭編』がTVアニメ化されることが発表されました。これが、遊廓という歴史を見直すきっかけになるかもしれません。


■注