『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

EUR(エウル):ムッソリーニが万博のために建設した都市

イタリア・ローマの南にあるEUR(エウル)という計画都市があります。
ファシスト党の党首であったムッソリーニが、1942年に開催される予定であったローマ万国博覧会(Esposizione Universale di Roma)の開催に向けて、1935年に建設した都市。EURの都市名はローマ万国博覧会(Esposizione Universale di Roma)の略称。なお、ローマ万国博覧会は第二次世界大戦のため開催されることはありませんでした*1)。


1年ほど前、EURを訪れる機会がありましたのでご紹介したいと思います。
ローマのターミナルである、ローマ・テルミニ駅から地下鉄で30分弱でEUR Fermi駅に到着。

EUR Fermi駅を出てViala Amerika(アメリカ大通り)を少し西に歩くと、EURのメインの大通りに出ます。真っ直ぐに走る通りの向こうにはマルコーニのオベリスク(Obelisco di Marconi)が見えます。

EUR Fermi駅の南側の広場ではフリーマーケットが開催されていました。
Viala Amerika(アメリカ大通り)の南側には噴水のある大きな池。カヌーをしている人もいました。池の周りは公園になっています。
メインの大通りはViala Amerika(アメリカ大通り)で2つに分岐。ここから左右対称の2本のブリッジとなり池の南側へと走っていきます。

上でViala Amerika(アメリカ大通り)を紹介しましたが、Viala Europe(ヨーロッパ大通り)、Viala Asia(アジア通り)、Viala Africa(アフリカ大通り)といった名前のついた通りもありました。
*帰国後調べたところ、この他にViala Shakespeare(シェイクスピア大通り)、Viala Beethoven(ベートーベン大通り)、Viala Chopin(ショパン大通り)といった有名な人の名前がついた大通り、Villa dell’Industria(産業大通り)、Villa dell’Agricoltura(農業大通り)、Villa dell’Urbanistica(都市大通り)、Villa della Musica(音楽大通り)、Villa dell’Astoronomia(天文大通り)などの通りがあることもわかりました。万博の都市として、地球、宇宙にあるものを位置づけようとする意志が通りの名前に現れているように思います。

マルコーニのオベリスク(Obelisco di Marconi)は大きなラウンドアバウトの中心に設置。背後は左右対称に建物が建ち並んでいます。

マルコーニのオベリスク(Obelisco di Marconi)から北西へ歩くと、イタリア文明館(Palazzo della Civiltà Italiana)が見えてきました。
*イタリア文明館はローマ万国博覧会のために建設されたファシズムの建築ですが、現在はFendi(フェンディ)の本社として利用されています。

イタリア文明館(Palazzo della Civiltà Italiana)と軸線を挟んで向き合うようにイタリアのモダニズム建築運動を代表する建築家、アダルベルト・リベラによるEUR会議場が建っています(写真の奥に写っている白い建物)。

この後、北西にあるEUR Magliana駅から地下鉄で、ローマ・テルミニ駅に戻りました。


ローマには、バール(Bar)やカフェなど飲食のできる小規模なお店がいたるところにあることが印象に残っています。

それに対してEURのブロックは大きく、ローマに見られたバールやカフェなどの飲食のできる小規模なお店はほとんど見かけませんでした。
大きなブロック、左右対称の景観から受ける整然とした感じは、日本を含め計画された街に通じるところがあるように思います。これが計画された街らしい、ニュータウンらしい景観ということなのかもしれません。
また、千里ニュータウンのすぐ隣が大阪万博であることを考えると、ニュータウンと万博には相通ずるものがあるような気もします。


(更新:2019年5月6日)