『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

西圓寺:廃寺をリノベーションした地域の場所

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先日、社会福祉法人・佛子園が運営する三草二木西圓寺(以下、西圓寺)というコミュニティの場所を訪問しました。西圓寺を見学させていただき、これから地域の場所を考える上で多くのことを教わりましたのでご紹介させていただきます。
西圓寺があるのは石川県小松市野田町。野田町は西圓寺がオープンしてからUターンで町に戻ってくる人(野田町の出身で、一度町外に出たけれど、町に戻ってくる20〜30代の方が中心)がいて、世帯数・人口が増え、現在約70世帯になったとのことです。

社会福祉法人・佛子園は日本版CCRC(正式名称は「生涯活躍のまち」)で注目されているシェア金沢を運営する法人でもあり、シェア金沢はこの西圓寺の試みを参考にされています。「まち・ひと・しごと創世本部」によると日本版CCRCは市町村レベルを対象とする「タウン型」、地区レベルを対象とする「エリア型」、より狭い範囲を対象とする「施設型」の3つに分類されており、シェア金沢は「エリア型」、西圓寺は「施設型」に対応するとのことでした。

西圓寺は、200〜300年前に野田町に移築されたお寺。2005年に住職が亡くなり廃寺となった後、佛子園が土地・建物の寄贈を受け、リノベーションして、2008年1月に障害者の参画と地域の協力によるコミュニティの場所としてオープンしました。
佛子園は障害者の入所施設作りから生まれた法人ですが、障害者の地域移行においては地域にグループホームを建てたり、障害者が地域の中に出ていくのではなく、福祉が日常的になり町ごと変えていくことが考えられています。
このことは三草二木(さんそうにもく)という西圓寺の理念に表されています。
三草二木とはお経の中の言葉であり、西圓寺のウェブサイトでは次のように説明されています。

太陽の光は万物に平等に降り注ぎ、雨もまた平等に大地を潤します。等しく恵みを受けた草木は、けれども上草・中草・下草、大樹・小樹と、それぞれに違った成長をし、違った花を咲かせ、違った実を結びます。この地上には、大きさはもちろん、姿や形が違うさまざまな草木が生い茂り、それぞれが持ち前を発揮しているのです。西圓寺では一草一木、一人ひとりに応じた福祉サービスの創造を通して、人と人が支え合う町づくりに貢献します。
*西圓寺ウェブサイトより

西圓寺では障害を持っていても、高齢であっても「できる仕事をやれる範囲で」担いながら地域に関わっていくこと、そして、その仕事に対しては対価を支払うことが大切にされています。

地域の人々は障害者のサポートをしたり、漬物、梅干し作りなどを行ったり、カフェの運営を担当するなど様々なかたちで西圓寺に関わっているとのこと。つまり、地域の人々は銭湯を利用したり、食事をするだけのお客さんではなく、西圓寺という場所を共に作りあげる一員だと言えます。
千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」にも、岩手県大船渡市の「居場所ハウス」にも共通しますが、誰かが提供するサービスをフリーライダーとして利用するのではなく、一人ひとりが場所を作りあげる当事者になること、そのためには主客の関係を緩やかにしておこと。このことの重要性を改めて感じました。
上で3種類の日本版CCRCをご紹介しましたが、西圓寺のような1つの場所において実現されているような緩やかな主客の関係が、より規模の大きな「タウン型」「エリア型」において実現しようとするのが佛子園のプロジェクトです。

西圓寺では本堂だった場所がカフェスペースとなっています。食事もでき、ラーメン、うどん、とんかつ定食、アジフライ定食、昔ながらのカツカレーに加えて、加賀丸いも餃子、たこ焼き、枝豆、もつ煮などメニューも多様。飲物はコーヒー、ジュースに加えて、同じ町内で醸造されているお酒や、佛子園が作っている地ビールをはじめとするお酒も販売されています。
近年ではお寺をカフェスペースとして開放する事例もありますが、西圓寺が興味深いのは温泉があることです。佛子園が西圓寺をスタートするにあたって、地域の方から銭湯があったらいいという声があがったとのこと。温泉は有料ですが、西圓寺のある野田町の住民は入湯料も不要です。カウンター前に野田町内の家の名前がかかれた札がかけられたボードがあり、銭湯に入る時は札をひっくり返すというシステムになっています。ただし、野田町の住民の中には銭湯の掃除に来てくれる人がいたり、年に1回は野田町の住民に銭湯掃除を有線放送で呼びかけたりと、野田町の住民は決して無料で銭湯に入るだけのお客さんではありません。
西圓寺では様々な試みがされていますが銭湯に入る、食事をする、買い物をするという行為は地域の人々が西圓寺を訪れる理由(名分)になっているのだと思います。交流スペースが時として行きにくくなってしまう理由の1つは、交流するために行くという目的が重くのしかかるからです。
最初から交流することを目的にせずとも、場所に来ることの結果としてコミュニケーションが生まれ、関係が築かれていく。そのためには銭湯に入る、食事をする、買い物をするをはじめ、多様なきっかけがあることは非常に重要だと感じました。
公共施設では営業が禁止されたり、お酒が禁止されたりしている場所が多いですが、西圓寺ではお金を介在させたり、お酒を含めて共に飲食することが上手く取り入れられていると感じました。

場所の雰囲気を作る上で、廃寺がリノベーションされた空間であることも大きな影響を与えていると感じました。
本堂は天井も高く、非常にゆったりしており、落ち着くという空間の魅力が1つ。
もう1つは西圓寺は数百年も地域で大切にされていた場所であり、形態上でもはやお寺ではありませんが、建築自体はお寺であったことを常に思い起こさせてくれるのだと思います。数百年にわたって地域で大切にされてきた建築であり、その建築は地域における意味や記憶を継承してくれる。このことも、地域の人々が西圓寺を自分たちの場所だという考えをもつのに大きく寄与しているのではないかと感じました。もしそうであるなら、建築がもつ力は非常に大きいということになります。

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