近隣住区論(近隣住区理論)は、都市の匿名性・相互の無関心などの弊害を、コミュニティの育成によって克服することを目的として、アメリカの社会・教育運動家、地域計画研究者であるクラレンス・A・ペリー(Clarence Arthur Perry:1872〜1944)によって提唱された理論です。
クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論:新しいコミュニティ計画のために』(鹿島出版会 1975年)*1)では、幹線道路で囲まれた小学校区をひとまとまりのコミュニティである近隣住区と捉え、その原則、その原則を導き出した理論的背景、近隣住区がもたらす利益などが説明されています。
- 1)書籍は、1929年にRegional Plan of New York and Its Environsが刊行した『Regional survey of New York and its environs, Volume VII, Neighbourhood and community planning』に所収されている論文、Clarence Arthur Perry「The neighborhood unit」を翻訳したもの。
目次
クラレンス・A・ペリーの近隣住区論
近隣住区論の提案にいたる背景
ペリーは「現代文明がもたらした恩恵の一つは、人々がちょうど置かれている生活の段階に応じたタイプの住宅に住むことができるということであ」り、「いろいろな住宅のうちで、子どもを養育している家庭用の住宅は、ことに周辺の資源や地域の特質に全面的に依存している」と述べています。
「現代文明がもたらした恩恵の一つは、人々がちょうど置かれている生活の段階に応じたタイプの住宅に住むことができるということである。多くのアメリカの勤労者の生活歴の中に種々の居住類型が例示されている。子供時代には農業あるいは小都市の中の1戸建住宅で過ごし、高校、大学時代は寮で、勤め始めるころは下宿屋やクラブの施設で暮らしている。新婚時代はアパートで過ごすがその後、子供の養育のため、より広々とした家庭生活を求めて、彼は郊外の庭つき住宅に移り、明確な社会的地位やコミュニティの地位がもたらす恩恵を受けようとする。しかし子供が成長し、家庭から巣立った後は、彼と妻は再びアパートや居住向きホテル暮らしにもどっていくであろう。」(p10)
※クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 1975年
ペリーが近隣住区論を提案するにいたった研究は、「本来、ニューヨーク大都市圏における遊び場の配置と配分についての指針として役立つ方式をつくりだす意図で始められた」もの。けれども「遊び場のシステムは近隣関係の複合体の中のほんの一構成要素にすぎないことが理解」されたことから、近隣住区論が生まれることになりました。ペリーはこの経緯を次のように述べています。
この研究は、本来、ニューヨーク大都市圏における遊び場の配置と配分についての指針として役立つ方式をつくりだす意図で始められた。それはさしあたって、すべての子供のために提供しなければならない何十平方フィートかの遊び場をどのようにして確保するかということ、および家からの距離を定め、それを越えないようにすることだと考えられる。しかしながら、すぐにもっと多くの事柄が要求されていることがわかった。遊び場は基準より広く、そして家庭の近くに設置されていたとしても、もし子供たちが運動場に通うのに主要幹線道路を横断しなければならないとしたら、自動車時代の今日では決して適切な配置とはいえない。さらに、それが安全で、しかも到達しやすくても、仮に自分の子供が他人の子供を一緒に混じり合って遊ぶことを許さない階層の人々に利用されるのであれば、満足できないであろう。
要するに、遊び場のシステムは近隣関係の複合体の中のほんの一構成要素にすぎないことが理解される。その同じ居住地に学校が一つ、教会は一つ以上、そして商店街地区が一つ含まれていなければならない。それぞれの施設は近隣サービスを遂行しているので、それ独自の機能に応じた適正な規模と位置を備えた敷地を必要としている。学校はある種の街路施設を必要とするのに対して、商店はこれと違って幹線道路を必要とする。すべてこれらのサービスは同じ領域の中で同時に作用しており、しかも同一の人々を対象にしているのである。これらの事実を考えに入れると、これらのいくつかのサービスの間の矛盾は避けることができる。またすべてを一つの調整され、しかも調和した体系の中に適合させることによってのみ、それぞれのサービスの稼働能率を十分に高めうることは明らかである。
一度、近隣を一つの構造として、あるいはもっと正しくいえば、さまざまな要素がそれぞれ独自の機能を遂行している有機体として考えると、今まで暗闇であったところに光が射し始める。そこで私たちは、過去にどうしてこのような欠陥が生じたかが明らかになり、そして将来どうしたら同じような欠陥を避けうるかを知ることができる。(p15)
※クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 1975年
近隣住区の原則
ペリーは、研究を通して「家族生活の普遍的な要求を充たそうとすると、居住地コミュニティは、いずれも同じような機能を果たす類似の構成要素からなっているということが明らかになった」とし、近隣住区の原則として次の6つをあげています。
- 規模——近隣住区の開発は、通常、小学校が1校必要な人口に対して住宅を供給するものであり、その実際の規模は人口密度に依存する。
- 境界——住区は通過交通の迂回を促すのに十分な幅員をもつ幹線道路で、周囲をすべて取り囲まれなければならない。
- オープン・スペース——特定の近隣生活の要求を充たすために計画された小公園とレクリエーション・スペースの体系がなければならない。
- 公共施設用地——住区の範囲に応じたサービス領域をもつ学校その他の公共施設用地は、住区の中央部か公共広場のまわりに、適切にまとめられていなければならない。
- 地域の店舗——サービスする人口に応じた商店街地区を、1か所またはそれ以上つくり、住区の周辺、できれば交通の接点か隣りの近隣住区の同じような場所の近くに配置すべきである。
- 地区内街路体系——住区には特別の街路体系がつくられなけなければ〔つくられなければ〕ならない。まず、各幹線道路は、予想発生交通量に見合ってつくられ、次に、住区内は、循環交通を促進し、通過交通を防ぐように、全体として設計された街路網がつくられる。
ペリーは、近隣住区について「上の標題は、この研究の主な結論として引き出されてきた、家族生活を営むコミュニティのために用意された計画案について、議論を促すためにつけられた名称である」とし、この計画案は「この計画案は詳細な計画としてではなく、単にモデル・コミュニティの骨格を示すものとして、提唱されたものである。したがって、ここの宅地開発地において実際に施行する際に、都市計画家、建築家および開発者によって、具体的に表現され、細部にわたって装飾される必要がある」とも指摘しています。
近隣住区の原則を導く際に検討されたこと
ペリーは「近隣住区の四つの主な機能」として、①小学校、②小公園と遊び場(playground)、③地域の店舗、④居住環境(居住環境もしくは性格)をあげています。そして、①小学校、②小公園と遊び場(playground)、③地域の店舗の3つは「サービスを提供するものであ」り、④居住環境(居住環境もしくは性格)は「少なくとも部分的には、他の三つの機能の適合と調和から生まれる特性である」ため、「サービスに対する空間的要件をまず最初に考えることにする」としています。
ペリーが近隣住区の原則を導くにあたっては、当時の住宅地開発の事例や、社会学などの理論が参照されています。『近隣住区論』(鹿島出版会 1975年)の目次からは、次の項目が検討されていることがわかります。
第3章.規模と境界
- 1戸建住宅地におけるサービス範囲
・通学距離
・遊び場の誘致圏
・買物の距離- 小学校に望ましい人口
・理想的な基準
・建設中の学校規模
・生徒数と人口の比率- 住宅密度と面積
- 安全性を考える
- 総合交通と閉ざされた細胞
- 地区と居住特性
・居住地の「品格」の物的側面
・「性格」と開発管理
・「性格」の保持- 面積と地域組織
- 基準になる規模からの偏差
- 共同住宅住区の広さ
- 住区の物理的な範囲
- 境界設定の方法
第4章.公園とレクリエーション・スペース
- 面積
- オープン・スペースの配置と管理
- 教育管理委員会(School Board Administration)
- 街区内の遊び場
- 中央の荒廃した地域
- 進歩的な市行政
第5章.コミュニティ・センター
- 学校用地の規模
- 教会
- その他の施設
第6章.商店街地区
- 店舗の種類
- 必要面積
- 立地
第7章.街路体系
- 境界街路
- 内部の街路
- 共同住宅住区
ペリーはこれらの項目について体系的な検討を行い、次のようにまとめています。
「これからわれわれの研究は近隣住区の特別な計画の構想へと進む。それは新しくつくられる都市の居住地区あるいは再計画される都市の居住地区の住区計画を配置するため、ある程度まで融通のきくパターンとして考えられうる。その望ましい規模は、一般的な条件で、一つの小学校が必要な居住地域と定められる。一つの敷地に1戸建の住宅を建てることが規定されているところでは、約160エーカーの面積で5,000人から6,000人の人口が住んでいることを意味している。それはコミュニティ・センターの周りに整然と集められた学校や施設敷地をもち、そしてその周囲の交通の交差点に商店街地区が配置されている。住区は主要幹線道路で壁のように囲まれ、その内部には、直接の循環交通を提供する特別な街路システムをもっているが、そこには通過交通を招き入れることはない。その内部は居住者の利用に完全に制限されている。そして理想的にはその地域の10パーセントが、共同住宅地区の場合にはそれ以上の割合が、小公園やレクリエーションの空間に提供されているのである。」(p121)
※クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 1975年
ペリーは近隣住区がもたらす利益として、安全性に加えて、市民的利益、道徳と社会的価値の3つをあげています。
市民的利益
「自治の問題にたいして実質的に効果のある市民参加をはかるためには、市民は単に、年に一度か二度、投票するだけにとどまらず、もっと多くの機会を必要としている。民主的な権利を行使するとはいうものの、彼が影響を与えようとする領域との接触がない場合には、投票はむしろ形骸化したゼスチュアにすぎない。・・・・・・。市民を行政に結びつけるような出来事がたびたび起こるのは、近隣コミュニティにおいてである。歩道の補修が必要なとき、街路が清掃されていないとき、樹木が動物におびやかされたときなど、急を要する場合、市民と市当局との個別の接触がもたれる。委員会が開かれ、その結果は近隣組織に報告される。このような過程を通じてはじめて、多くの人々が市当局と行政の能率について直接的な知識を得ることができる。調査研究や、いろいろな地域の選挙運動を行なうとき、若い人ははじめて公的活動を経験することができ、そこで政治的なことにたいしても潜在的な素質をもっていることを自覚する。このようにいろいろなやり方で、近隣住区の居住者——広々とした郊外の住宅地であれ、単一の中央中庭によって結びつけられた普通のアパートの集まりであれ——は健全な市民の政治的な生活にとって重要な経験と知識を得るであろう。」(p186)
※クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 1975年
道徳と社会的価値
「近隣住区計画の主な功績の一つは、法律によって、荒廃した居住地区を改善する進歩的な開発計画を援助し刺激を与えようとする案の基礎づくりを可能にするということである。そのような目的をもつ方法は地区方式なしに形成することはできない。その地区——簡単に見分けることができるようにはっきりしており、密度に応じて変化するよう弾力性があり、さらに保存し発展させることを社会的に認めてもらえるほどその構成は有機的である——に住む人口を定めることは可能であるに違いない。そのような構図は近隣住区計画案としてのみ提案されると信じている。それは日照の計画、混雑の緩和、密集したところにオープン・スペースを設けるために設計された多様な事業に必要な視野を与える。それは用途地域規制と建築規制を補うものである。近隣住区計画案は用途地域規制および建築規制と相たずさえて、居住地区の経済的悪化——これは結局のところ、社会的障害、そして市民的、道徳的な結果の基本的原因である——の問題に勇敢に挑戦するであろう。」(p190)
※クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 1975年
近隣住区論の展開
『近隣住区論』の訳者である倉田和四生は、「解説 近隣住区理論の形成と発展」において「ハワードの田園都市運動をアメリカ合衆国においていち早く受け止め、これをアメリカに建設しようとした」2つの動きとして、マンフォード、スタイン、ライトなどの建築家グループによる都市住宅会社(City Housing Corporation:CHC)によって開発されたサニーサイド・ガーデンズ(Sunny Side Gardens:1924〜1928年にかけて開発)と、ラッセル・セージ住宅会社によって開発されたフォーレスト・ヒルズ・ガーデンズ(Forest Hills Gardens:1909年〜開発)の2つをあげています。そして、「ラッセル・セージ財団の職員でありながら、建築家グループに接触するとともに1924年1月、ついに近隣住区案を完成した」と述べています。倉田は次のようにも述べています。
「このように一方は、建築家のグループによる田園都市をアメリカにつくりたいという動きと、他方、財団の支援による社会運動の一環としてのより良き住宅の開発が、同じニューヨーク周辺を舞台に、別々にくりひろげられてきたものが、運命の糸によって一つに結びつけられることになった。その媒介者となったものがほかならぬペリーであった。そして、その理論と具体案が「近隣住区論」であったことはいうまでもない。」(p196)
※倉田和四生「解説 近隣住区理論の形成と発展」・クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 1975年
近隣住区論を「ほぼ完全に具体化した」のがアメリカ・ニュージャージー州のラドバーン(Radburn)。サニーサイド・ガーデンズを成功させた都市住宅会社によって、1928年から開発が開発された郊外住宅地。ラドバーンでは歩車分離を図るため、住区を幹線道路で囲んだスーパーブロックとし、住区内の道路は自動車の通り抜けを排除するためにクルドサック(袋小路)が採用。このような歩車分離の仕組みは「ラドバーンシステム」(ラドバーン方式)と呼ばれています。
なお、大恐慌の影響を受け、1933年に都市住宅会社は倒産。ラドバーン開発は途中で頓挫することになります。
アメリカで生まれた近隣住区論は海外に波及し、イギリスのハーロウ(Harlow)では近隣住区論を厳密に適用されています。
千里ニュータウンの近隣住区論
千里ニュータウンの近隣住区論
千里ニュータウンでも近隣住区論、ラドバーンシステムの考え方が取り入れられて計画され、「街をつくるまとまり(単位)」として次のような段階的で秩序だった構成が計画されました。
- 近隣グループ(隣保区)
- 分区
- 住区
- 中学校区
- 地区
- 住宅都市
計画にあたっては歩車分離が原則とされ、前期に開発された住区の戸建住宅地を中心にクルドサック(袋小路)が採用。後期に開発された住区では歩行者専用道路が採用されています。
全地区は幹線道路によって分けられた12の住区からなっている。住区は住民の日常生活圏であり、戸数2,000〜2,500戸の規模をもつ。住区は二つの分区からなり、住区がいくつか集まって地区を形成する。地区の中心には駅を中心とした地区センターを配置し、専門店、デパート、市役所出張所、銀行などの都市的な施設を配置する。
このように住民の生活圏の各段階に応じて、各種の施設を配置する方式は住民の生活、通学、ショッピング等の利便と安全を考慮したものである。とくに住区の中に二つの分区を設け、これを日常生活の中心とする考え方は、小学校を高学年校と低学年校とに分ける教育施設の配置計画からうみ出されたもので、マスタープランにおいては、分区が千里ニュータウンの構成単位であったということができる。なお、小学校の分校システムが、事業の実施に当たって実現しなかったので、分区のもつ意味が薄れることとなり、住区がニュータウンの構成単位となった。
※大阪府編『千里ニュータウンの建設』大阪府 1970年
「近隣住区」はそのコミュニティ構成の基本単位として、小学校、幼稚園、保育所や街区公園などの子供たちの活動に必要な身近な施設を整備するとともに、商店街、診療所や近隣公園などそこに住む大人の日常生活にも必要な施設群を備えた徒歩圏で構成される単位です。
次には「近隣住区」のなかを街区公園などを中心に二分化した居住単位を「近隣分区」とし、さらに近隣分区をもっと小単位に区分して80戸から250戸の「近隣グループ」に分け、また、逆に「近隣住区」を二つ集めて中学校を核とする「中学校区」としました。
※山地英雄『新しき故郷』NGS 2002年
さらに中学校区を2〜3校区合わせて「地区」としましたが、これに地下鉄御堂筋線と阪急千里山線の駅の「千里中央」「南千里」「北千里」をからめて、それぞれの地区中心を整備しました。そして、ここに地区公園やスーパーマーケットなどの大量販店。それから南千里には病院、保健所。千里中央には百貨店や娯楽センターなどを誘致しました。
※山地英雄『新しき故郷』NGS 2002年
千里ニュータウンは近隣住区論、ラドバーンシステムという海外の理論を取り入れて計画されましたが、千里ニュータウンならではの独自の工夫がなされているのは注目すべき点です。例えば、千里丘陵の山の部分に歩行者専用道路を、谷の部分に車道を通すことで歩行者専用道路と車道との立体交差を実現。また、団地の住棟配置も工夫されており、北入りと南入りタイプの住棟をペアにした平行配置、府営住宅における囲み型配置など、居住者の関わりの機会、活動の場所を創り出すことが考慮されています。住宅は、単一の社会集団を対象とするのではなく、様々なタイプを混在させることが考慮されました。
教会(宗教施設)と店舗
千里ニュータウンは、ペリーが提案したオリジナルの近隣住区論をそのまま忠実に適用したものではありません。両者の大きな違いは、教会と店舗に見られます。
ペリーによる近隣住区論は小学校(公立の小学校)を住区の中心とするものですが、同時に重要視されているのが教会。『近隣住区論』の「第5章.コミュニティ・センター」では「学校用地の規模」に次いで「教会」が検討されています。そして、学校と教会以外は「その他の施設」にまとめられている。このことからも、教会が重視されていることが伺えます。
プランナーが、将来のコミュニティにおける宗教的要求について確実な知識をもっていないなら、プランナーは、アメリカの標準的な人口をもつ近隣住区の中に三つの教会の敷地を十分に確保しておくかもしれない。この中の二つ——一つは儀式をやる集団のために、もう一つは儀式をやらない集団のために——はシビック・センターの構成要素となるだろう。三つ目の敷地は、おそらく住区の中の、商店街地区に予定されていないコーナーの、どこか重要な交差点に設定されるであろう。ここで適用する原則は、近隣住区サービス範囲と同じサービス範囲をもつ施設は、中心地区に置くべきであり、住区の外からも人々と車を引きつけるような施設は、近隣住区の境界またはその付近になければならないということである。そのような場所を設定することは、住区の外から来る人の多い教会を、教会に通う人が利用する公共交通機関に便利なところにおくことにもなる。
※クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 1975年
大阪府企業局によって開発された千里ニュータウンの場合は、政教分離の必要があったため、宗教施設が住区の中心として重視されることはありませんでした。代わって、住区の中心に配置されたのが近隣センター。住区の住民が歩いて日常生活を送ることができるようにと考えられ、近隣センターには集会所、各種店舗、銭湯、郵便局などが開かれました。
ただし、ペリーは近隣住区の原則の1つとして次のように述べているように、店舗は住区の周辺に配置することが原則とされています。この部分は、店舗が近隣センターとして住区の中心に配置された千里ニュータウンとの大きな違いです。
「地域の店舗——サービスする人口に応じた商店街地区を、1か所またはそれ以上つくり、住区の周辺、できれば交通の接点か隣りの近隣住区の同じような場所の近くに配置すべきである。」
※クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 1975年
千里ニュータウンの近隣センターは、各住戸への風呂場の設置、自家用車の普及によるライフスタイルの変化に伴い空き店舗が目立つようになります。こうした状況に対して、千里ニュータウンの最後に開発された竹見台・桃山台では、幹線道路を挟んで2つの住区の近隣センターを向き合うように配置することで、2つの住区の近隣センターで1つの大きな近隣センターとして機能することが考えられており、ペリーがあげている原則に忠実に従った計画となっています。
現在の千里ニュータウンから近隣住区論を考える
ペリーの近隣住区論に対しては、様々な批判がなされることになります。近隣住区論を採用した千里ニュータウンでも、様々な課題が生まれることになります。近隣住区論が検討されたアメリカと日本とでは、また、1900年代前半と現在とでは事情が異なるため、千里ニュータウンで生まれた課題をもってペリーの近隣住区論を否定することは適切ではありません。ただし、現在の千里ニュータウンの状況をふまえれば、近隣住区論を再考する作業が必要だと考えています。
ペリーは子どもの遊び場を切り口として近隣住区論を導くことになる研究をスタートさせており、「子どもを養育している家庭用の住宅」が主な対象とされています。子育てを終えた人々については、「子供が成長し、家庭から巣立った後は、彼と妻は再びアパートや居住向きホテル暮らしにもどっていくであろう」としか述べられていませんが、千里ニュータウンでは、子育てを終え高齢になっても近隣住区論に基づいて開発された場所に住み続けている人が多数いるのが現状です。従って、次のような観点からの再考が必要になります。
まず、近隣住区論の核となる小学校については、小学校に必要な子どもの人数が1住区だけで維持できるのかという点。これに関連して、世代交代をどう進めていくかという点。中古住宅が市場に流通しており、引越し回数が多いアメリカと異なる日本独自の状況かもしれませんが、千里ニュータウンで少子高齢化が進んでいることは、近隣住区論自体には世代交代をどう進めていくかという視点がないことの表れだとも言えます。
高齢者が近隣住区論に基づいて開発された地域にどう住み続けることができるのかという点も重要になってきます。「ひがしまち街角広場」(新千里東町)、「さたけん家」(佐竹台)、カフェコーナーのある「笹部書店」(新千里西町)などのコミュニティ・カフェ(まちの居場所)が生まれるなど興味深い動きがありますが、千里ニュータウンにおいては、近隣センターを高齢社会に対応した場所にすることを考えていく必要があります。
住区内での仕事をどう考えるかという点も今後は重要になってきます。千里ニュータウンはベッドタウンとして開発されていますが、ペリーの近隣住区論自体が住宅地を開発するための理論であり、住区内で働くことは想定されていません。高齢者の地域デビュー、保育所の不足、通勤ラッシュ、遊び場であるはずの住区内の公園が危険な場所として避けられている(人目が届かない場所がある)など、ベッドタウンであることに起因して生じている課題に対応するためには、職住近接の暮らし、起業、高齢になっても仕事を続けるなど多様なライフスタイルに対応する必要があります。住区の中でどう働くかとう視点、住区内での仕事によりコミュニティ形成に結びつけるという視点が求められます。
■参考文献
- クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論:新しいコミュニティ計画のために』鹿島出版会, 1975 年
- 大阪府編『千里ニュータウンの建設』大阪府 1970年
- 山地英雄『新しき故郷』NGS 2002年
(更新:2022年9月25日)