千里ニュータウンはクラレンス・A・ペリーによる近隣住区論に基づいて計画されました。近隣住区論は都市の匿名性・相互の無関心などの弊害を、コミュニティの育成によって克服することを目的として提唱された理論です。
ペリーは『近隣住区論』で次のように述べています。
明らかに、共同住宅構造が居住者の日常生活に提供できる主な外部便益は、ある種の戸外空間である。空気とか日光は、多分、このような便益の最も単純な例であろう。しかし、それは、近隣生活の基礎を形づくるには、決して十分ではない。しかし、共有の公園のレクリエーション空間は、人々の間に自然な交際の基礎を生み出すものである。そして、このような地域を、完全に、もしくはほとんど囲むような共同住宅群は、必ず近接性から生み出される社会生活を営むであろう。しかしながら、共有空間は、建物によって確実に囲まれるべきである。さもないと、居住者がそれを楽しむことは困難であろう。
*クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論:新しいコミュニティ計画のために』鹿島出版会 1975年
団地の住棟配置においては、日当りを確保するために南側に部屋を配置することが重視されます。結果として、団地では東西に細長い住棟(東西軸の住棟)が平行に配置されることになります。いわゆる平行配置と呼ばれるものです。
それに対して、千里ニュータウン計画においては、大阪府企業局が住棟を中庭を作るように配置する囲み型配置(コの字型配置)の団地を提案。計画に携わった山地氏が「「コの字型」配置は住宅棟の囲みによるコミュニティの構成を企図したものです」(山地英雄『新しき故郷:千里ニュータウンの40年』NGS 2002年)と述べるように、囲み型配置は居住者によるコミュニティ形成を考慮したもの。
ただし、囲み型配置の団地に対して、次のような問題が提起されることになりました。囲み型配置においては南北軸の住棟が出てきてしまうが、そのような住棟の住戸は日当りが悪くなるのではないかと。
この点について調べたところ、次のような文章を見つけました。
昭和30年代、大阪府で公共団体の手による初の東西向住戸をもつ(南北軸線)中層集合住宅が出現し、それに対し環境工学者から疑問が提起され、方位と熱環境に関する実測調査が行われた*1。それによると予期に反して南北向住戸の東西向住戸に対する優位性を定量的に明確に示すことができなかったとしている。居住者の応答では、いずれも南北向が有利であることを示したと報告されている。その調査では、居住者がすでに入居しており、生活しているそのままの状態で行なわれている。
*澤田絋次「方位の異なる集合住宅の自然室温の実測調査」・『日本建築学会東北支部研究報告集』Vol.38 pp.171-178 1981年11月
- 引用文の中で(*1)として参照されているのは以下の資料:中村泰人「建築学会 環境工学委員会熱シンポジウム 第7回 『住宅の方位と熱環境』」
大阪府企業局による囲み型配置は、建築学会で議論されることになりましたが、上に引用した文章に書かれている通り、東西軸の住棟と南北軸の住棟とでは、定量的な差は見られなかった。これを受け、大阪府企業局はその後も囲み型配置の団地を計画していくことになります。現在、建替えが進んでいる新千里東町の囲み型配置の府営住宅は、こうした議論を経て生み出されたものです。
囲み型配置がなされた府営新千里東住宅
千里ニュータウンでの実験が、建築学会を巻き込んだ議論へと発展し、住戸配置と室内環境との関係を明らかにするという研究テーマを生み出していった。きちんと伝えていくべき、千里ニュータウンにまつわる歴史です。