少し前のことになりますが、千里市民フォーラム総会後の懇親会の場で、こんな話をお聞きしました。
千里ニュータウンができた当初、府営住宅(いくつかの府営住宅?)では、1棟1棟、建物の色が微妙に違った。恐らく、メンテナンスの都合で、いつかの時点で、ベージュ色に統一されてしまったけれど、とのことでした。
当時の千里ニュータウンの風景を移した写真は、モノクロのものが多いため、住棟の違いに気づきませんでした。
当時の府営住宅の風景をカラーで撮影した写真、どこかに残っていればいいのですが…
1990年代以降、フィルムカメラに変わって、デジタルカメラが普及し、今や、圧倒的に多くの人々がデジタルカメラで写真を撮っていると思います。これだけデジタルカメラが普及しても、意外と、日常の風景は残っていない、という話も出ました。意識的に千里ニュータウンの風景を撮り続けている方もいますが、それでも、例えば建て替え前の団地を映した写真は意外と残っていないんじゃないか、と。
千里グッズの会(現在のディスカバー千里)では10年近く、絵葉書を作るために千里ニュータウンの写真を撮り続けてきました。そして、この10年間はあちこちで団地の建て替えが行われた時期と重なっていたため、もう二度撮れない写真を撮ることもできました。
こうしたことができたのは、メンバーの中に千里ニュータウンの住民ではない者がいるから、(住民にとっては日々目にするため、あえて写真に撮ろうとは思わない)風景を撮影対象とすることができたのではないか、と。
そう考えると、千里ニュータウンの住民ではない者が、千里ニュータウンに関わること意味は、こういうところにもあるのかもしれません。