『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

万博にやってきた象の行進 北千里駅前(1970年)

大阪万博にはタイから象がやって来ました。
これは、以前新千里東町にお住まいだったAさんが万博会場に向かう象を撮影した貴重な写真。撮影したのは1970年08月04日です。撮影場所は北千里、藤白橋の上から北に向かって撮影したものです。この頃はまだ街路樹が育っていないこともあり、今と少し違った印象を受けます。

当時の新聞(何新聞かは不明)には、象の行進について次のような記事が掲載されています。

万国博に出演するため、タイ国からやってきたゾウ十六頭は三日、神戸から会場に向けてパレードの途中、一頭が足を痛めたため、尼崎市常松、西国街道(国道171号線)甲武橋下の武庫川でダウン、同夜は川原で野宿した。
自動車排気ガスと騒音に驚き、焼けつくようなアスファルト道路を歩くうちスピードが落ち、中間地点の甲武橋に着いたのは、予定より二時間も遅れた午後三時過ぎ。
約二万人の見物人が待受けるなかを到着したゾウたちは、青い草と水の流れに大喜び。長い鼻を浸かって青草を食べたり、水をからだに吹きつけたり。一行の中の二十歳の○“ボーイ”が足を痛めており、競技した結果、川原での野宿が決まった。首の上に乗せたゾウ使いが乗るかごをはずし、両足を軽く鎖でつないだだけで放し飼い。思いがけぬ“自然動物園”の出現に見物人は大喜び。初めはこわごわとへっぴり腰で近寄っていた子供たちは「大きいけれど、やさしそうだよ」とワイワイ。アマチュアカメラマンも盛んにシャッターを切っていた。
ゾウが野宿と聞いて、夜にはいってもあとからあとから見物客がやってくる。周辺の道路は交通渋滞を起こすほど。ゾウたちも久しぶりの自然がうれしいのか、○くなってもあたりの雑草をむしゃむしゃ食べたり、のっしのっしと歩いたり。「落着くと横になって寝るのですが、このにぎわいではせいぜい立ったまま居眠りするのが精いっぱいでしょうね」とゾウ使い。
「訓練されたおとなしいゾウなので、野宿しても危険はありませんよ」と保証したが、万一を考え尼崎北署は署員五十人を動員、徹夜で警戒に当たった。

けさ九時発
ゴールは?
一行は四日午前九時出発、時速五キロで国道をパレード、西国街道を東へ軍行橋−夫婦池−箕面市今宮−千里2号線を経て、正午ごろ万国博会場に着くことになっているが、なに分、相手が相手だけにプラン通りいくかどうか・・・。
*「武庫川原で野宿−万国博へのゾウ一行−」・『○○新聞』1970年8月4日号

(更新:2017年4月10日)