『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

継承される地域の暮らしの記憶

先日、新聞で次のような記事を見つけました。

地震や津波で大きな被害を受けながらも、住民が力をあわせて一歩を踏み出そうとしている集落がある。地域コミュニティーを大切にしたいという思いから、以前の住所に従って体育館内で「引っ越し」すらした。・・・・・・
宮城県気仙沼市唐桑町で避難所となっている小原木中学校では、隣近所の家族的で緊密なつながりを保つため、体育館内で大々的な「引っ越し」に踏み切った。当初は、避難してきた順番で場所を決めていたが、隣組単位で並ぶように変えたのだ。
引越し後に「おとなりさん」になった伊藤きん子さん(80)と熊谷れい子さん(82)は、生まれも嫁ぎ先も同じ集落という「80年のつきあい」だという。家が流されたが、体育館でも「また一緒になった」と笑い合う。
伊藤さんの夫、清美さん(70)は津波で流された。寂しさとつらさはあるものの、横に並んで寝てくれる熊谷さんがいてくれて「心強い」という。「泣いてばかりもいられない。力をあわせてがんばって生きていくしかない」。そう言って顔を見合わせた。
*「お隣いっしょ 地元避難所」・『朝日新聞』2011年3月26日号

この記事からは、まず、情報技術が進展した現在においてもなお、場所がもつ力について教えられました。

これまで千里ニュータウンでの活動に関わったり、海外のニュータウンのコミュニティ・ミュージアムを訪れたりしてきましたが、地域の暮らしの記憶・記録を継承していくことの大切さについても、改めて気づかされました。

地域の全てが津波に押し流されてしまった時、それでも、避難所での暮らしを続けたり、遠く離れた避難・疎開先で暮らしを始めていかざるを得ない時、これまで暮らしてきた地域の暮らし、記憶、記録がどのようにして暮らしの支えとなり、継承され、そして、新たな暮らし・コミュニティの再建に寄与できるか。
(こういうことは、食料や水を確保したり、医療や介護に比べたら、即座に命に関わることではないという意見もあるかもしれませんが)今、きちんと考えねばならないことです。今はまず、地域の暮らしの記憶・記録についての情報を集めていくことを意識したいと思います。
地域の暮らしの記憶・記録が継承されることの可能性を見つけるために、それによって、今後長く続くであろう復興に対して少しでもお手伝いをするために。

もちろん、このような作業は千里ニュータウンでのアーカイブ・プロジェクトを、より豊かなものにすることにも繋がると信じています。