今年、千里ニュータウンはまちびらきから50年。
千里はどのような考えで計画されたのか、計画された街において人々はどのような工夫をして暮らしてきたのか、今どのような課題が生じているのか。そして、これからの千里においては、何を継承し、何を変えていくべきなのか?
50年という節目の年において最も大切なことは、こうしたことを振り返り、考えることだと思います。
このうち、千里はどのような考えで計画されたのかについて詳細に書かれたものとして、1970年に大阪府から発行された『千里ニュータウンの建設』という本があります。
残念ながら既に売切れとなっており(Amazonでは中古品として販売されています)、図書館で閲覧できるのみという状態なのですが、千里を振り返るためには必読の書だと思いますので、何らかの方法でこの本を再版することはできないものでしょうか?
そう思うものの、本が売れないと言われるこの時代。再版というのは難しいかもしれません。そうだとすると、より多くの人がアクセスできるように、例えば、電子版(PDFでも可)を売るか、あるいは、無料で公開するというようなことが実現できないものかと思います。
千里はどのような考えで計画されたのか?
もちろん半世紀前のことですから、現在では通用しないこともあると思います。けれども、今こそ注目すべき宝物となるアイディアも埋もれていると思います。
もっともっと多くの人に読んでもらえるようにするためには、何かいい方法はないでしょうか?
なお、この本の第15章は「今後の課題」に充てられており、その最後に次のようなことが書かれています。
6 コミュニティーの形成
わが国では一般にCommunityを「地域共同体」または「共同体」と訳しているが、使う人の立場によって多少その意味が異なる。広辞苑では「居住地域を同一にする共同社会、村落、都市、地方などであり、血縁社会とともに発生的に基礎社会とよばれる。生産、自治機構、厚生施設、風俗、習慣などに深い結びつきをもった共同体」という解釈をしている。建築家や都市計画家は一般に「何らかの精神的な連帯性をもつ一定の地域」という意味で使っている。ここでは一応「精神的な連帯性をもった地域共同体」という意味で使うことにする。
千里ニュータウンがいわゆるベッドタウンに終わることなく生き生きとした住みよい町、豊かな社会生活の場になるためには、単に住宅地としての安寧や利便だけでなく、居住者相互の信頼と愛情につちかわれた、新しいコミュニティーの形成が必要である。
千里ニュータウンでは、コミュニティーの健全な育成をはかるため、種々の配慮がなされている。たとえば、①住区の段階的な構成、②住宅配置におけるクルドサック方式による共同空間の確保、③各種の住宅を混合させることによって、片寄った社会構成をさける、④集会所やセンターホールの建設、⑤近隣センター等に各種の共用機関を適正に集める、⑥プレーロット、児童公園、近隣公園などをその地区に応じて適当に配置するなどいろいろあげられる。
千里ニュータウンでは各種の住宅を混合させたが、人間関係は同種の住宅地域内に限定され、必ずしも計画者の意図したようにはいっていないし、住民のコミュニティーに対する関心は非常にうすいと思われる。このことは千里だけでなく、日本の住宅団地ではほとんど似たような状態である。
近年、産業と人口の過大な都市集中が起こり、人々は働く場と住む場を分離する傾向にある。しかし、ニュータウンでは農村にみられるような部落共同体、中世の都市共同体、または利益共同体としての性格も共同防衛的性格もほとんどなく、そこでは人間は一人でも生きられる。また居住者が自ら作りあげた町ではないし、歴史も浅いので、居住者のニュータウンに対する愛着も責任感も薄い。
以上述べたコミュニティー形成の上から財団法人千里開発センターのもつ役割は大きい。千里開発センターが、単に公共施設や公益施設の維持、管理にとどまることなく、地元市や大阪府とも協力し、よりより施設の充実を図るとともに、住民の地域活動、文化活動、レクリエーション活動等を積極的に援助し、育成するようにすれば千里ニュータウンの新しいコミュニティーの形成に大きな役割を果たすであろう。(p278)
このように投げかけられた課題に対して、まちびらき50年を迎える今の時点でどのように返事をすればよいのでしょうか。「心配に及ばず、これらの課題は解決しました」と返事をしてよいのか、「いや、相変わらず同じ課題を抱えてます」と返事をすべきか、あるいは、・・・・・・