少し前のことですが、千里ニュータウンの歴史を調べるため、吹田市の図書館で『吹田市統計概要』のページをめくっていたところ、以下のような表が掲載されているのを見つけました。
『吹田市統計概要』昭和43年度版に掲載されている「保育所の概況(昭和43年4月1日現在)」の表です。
吹田市で運営されている保育所の一覧が掲載されているこの表の一番左、「設置主体」の列に「協同組合」と書かれている保育所として「ニュータウン保育園」があげられています。
*当初のブログ記事では「あやめ保育園」も「協同組合」として設立されていたと記載されていましたが、「あやめ保育園」は当初から「社会福祉法人」として設立されているというご指摘をいただきましたので、訂正致します。
協同組合とは「共通する目的のために個人あるいは中小企業者等が集まり、組合員となって事業体を設立して共同で所有し、民主的な管理運営を行なっていく非営利の相互扶助組織」(Wikipediaの「協同組合」のページより)のことですが、まちびらき間もない千里ニュータウンにおいて、保育所が十分に整備されていないという状態に直面した、小さな子どもを抱える親たちが集まり、出資して、協同組合の保育所を作ったということでしょうか?
もしそうだとすると、計画された街における居住者による住環境整備のための働きかけとして非常に興味深く、協同組合という点ではアメリカのグリーンベルトとそっくりです。
当時のことをご存知の方がおられたら、協同組合としての保育園が設立された経緯についてお伺いしたいと思います。
『千里ニュータウンの建設』(大阪府, 1970)には、保育所の計画についてほとんど記述が見られませんが、幼児教育施設に関して次のように書かれています。
幼児教育施設の設置については、両市の性格を反映してそれぞれ異なった方針をとっている。豊中市においては従来から公立幼稚園は設置せず、住宅都市であるだけに保育所の開設を強く推進しており、一方吹田市においては保育所の設置は見られず、幼稚園を1園だけ設置しているに過ぎなかった。
ニュータウン建設着手当初、幼児教育施設の設置について、両市と再三にわたり折衝を行なったが、前述のように既成市街地においても整備されていないこともあって、当分の間は実現困難となったが、住宅の入居が進むとともに住民の要望が強くなり、この居住者の不便をなくするため、やもなく学校法人による幼稚園を各住区に設置する方針をたてざるをえなかった。
そこで学校法人による経営者の募集を行ない、昭和39年4月に玉川学園がニュータウン最初の幼稚園として開園した。その後、ニュータウンがわが国における住宅団地の既成概念とはかけ離れた姿をあらわし始めるとともに、幼稚園経営希望者がつぎつぎと現れた。
居住者が増加するに伴い、比較的若い世帯層が多くなり、府営住宅を中心とした入居者の間に、保育所の設置と公立幼稚園設置の要望が高まり、府および吹田市に対して再三にわたる陳情が行なわれた。その結果、吹田市は佐竹台小学校分校を市立幼稚園として昭和40年5月に開設した。この私立幼稚園の開設は1住区1園の原則が保たれたため、私学経営者との間に問題は起こらなかったが、各住区に一園ずつ整備された段階にいたって、北地区住民から市立幼稚園設置の要望が高まった。しかし私学経営者側の主張する経営圧迫となるという意見と対立し約一年間紛争を続けたが、結局、募集定員を規制することで解決、昭和43年4年〔月〕古江台小学校に市立幼稚園を併設した。
おお〔なお〕、豊中市は2住区に1ヵ所の保育所設置を計画し、まず新千里東町に昭和44年6月に開設した。なお昭和41年度からは既成市街地を含めて公立幼稚園設置審議会を発足させている。(p250)
同書には「保育所用地分譲状況」についての表が掲載されており、そこには、
- 佐竹台:千里ニュータウン消費生活協同組合(昭和40年5月開設・定員120名)
- 津雲台:千里福祉法人千里保育センター(昭和42年4月開設・定員60名)
- 竹見台:財団法人淀川善隣館(昭和43年7月開設・定員60名)
- 古江台:吹田市(昭和43年4月開設・定員100名)
- 桃山台:吹田市(昭和44年4月開設・定員100名)
- 新千里東町:豊中市(昭和44年4月開設・定員70名)
の6つの保育所があげられています。
なお、『吹田市統計概要』に協同組合法人の保育所として掲載されている「ニュータウン保育園」は、現在の社会福祉法人藍野福祉会が運営する「千里ニュータウン保育園」(佐竹台)です。
(更新:2013年7月31日)