『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

みえてはいるが誰れもみていないもの

最近読んだ本の話を。
詩人の長田弘氏の『アウシュヴィッツへの旅』です。このような文章が書かれています。

目のまえのなんでもないアンダルシアのごくありふれた村が、目のなかで、瞬くまに「嘆きのアンダルシア」の「ほろびかけた村」に変わってゆくのが、わかる。みえる村のなかに、みえない村がみえてくる。おもいだされたロルカの一篇の詩が、陽射しをまあるく溜めたぬくもりのなかにぼんやりすわっているわたしの肩を、ふいに生なましいちからで揺すった。みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ。ロルカは、そのようにしてじぶんの詩を書いた詩人のひとりだった。
*長田弘『アウシュヴィッツへの旅』中公新書 1973年

学生の頃、建築の研究をすることに迷っていた時、ある方が長田弘氏の言葉を紹介してくださいました。

「みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ」。
そして、研究も詩と同じかもしれない、と。