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大阪府豊中市の公民分館:独立した建物を持たない住民による日常生活に根ざした活動

千里ニュータウンのある大阪府豊中市には、全国的に珍しい公民分館という仕組みがあります。豊中市の広報誌には次のように紹介されています。

「公民分館って
市内には、中央(曽根東町)・蛍池(蛍池中町)・庄内(三和町)・千里(新千里東町)に4つの公民館があります。「公民分館」は、公民館活動をより身近な地域で取り組んでもらおうと設けられた全国的にも珍しい組織です。昭和24年(1949)に中央公民館の分館として設置した桜井谷公民分館が、その第1号。現在は市内全小学校区にあり、子どもから高齢者まで、地域のすべての人を対象とした生涯学習、文化活動、仲間づくりの場として活用されています。
分館を運営するのは、地域住民の皆さんです。市からの交付金を受け、校区の学校と連携を取りながら、その地域の住民を対象に催しや講座などを企画しています。
「分館」という名称ですが、独立した建物があるわけではありません。多くは、小学校の余裕教室が分館室として使われています。中には、学校内のコミュニティルームを地域の団体と共用しているところや、地区会館の一室を利用しているところもあります。」
*『広報とよなか』2010年3月号

公民分館は、独立した建物を持たない住民が運営する活動のこと。小学校の余裕教室、コミュニティルーム、地区会館などを拠点として「生涯学習、文化活動、仲間づくりの場」の活動が行われています。
豊中市の広報誌ではその具体的な活動として、公民分館講座、育成サークル、社会見学という「生涯学習の「学びの場」」、体育祭、文化祭、夏祭り、地域子ども教室という「地域ぐるみのコミュニティづくり」の催しなどがあげられています。

2019年、千里ニュータウン新千里東町の公民分館である東丘公民分館が設立50周年を迎えます。新千里東町のまち開きは1966年5月。それから3年後の1969年10月1日、東丘公民分館は設立されています。2019年9月21日(土)には50周年記念式典が開催され、ゆかりのある人々によるパネルディスカッション「分館活動を振り返り、次世代に引き継ぐ」が開催。「ディスカバー千里」(千里ニュータウン研究・情報センター)は、50周年記念式典に協力する予定です。

東丘公民分館が発行している『公民館だより』第1号(1974年9月10日)には、「美しい町を作るもの」と題する次のような文章が掲載されています。

「この新千里東町が誕生してから、満八年過ぎました。八年前の今頃は、おぼえている方も多いと思いますが、どちらを向いても土とコンクリートばかりの荒涼とした町でした。今、町内を歩いてみますと、もうどこにも当時の面影を見つけることは、できません。それどころか落ち着き、しかも美しい町の姿についうっとりさせられる事さえあるのです。春は花、夏は緑、秋は紅葉につつまれて東町は「住区」と呼ぶにふさわしい町にと、すっかり成長しています。
このようなすばらしい発展は、もちろん、次々と結成され、善意と奉仕に支えられて、住みよい町づくりのために黙々と、活動を続けてきた各自治会、PTAその他の住民組織の活動の本当にすばらしい成果です。
しかし、それでは、私達の理想の町は、もうでき上がってしまったのでしょうか。いやまだまだ問題は残っている——ということを町内での心暖まるニュースと共に、時折耳にする心の重くなるようなことがらの存在が示していると思います。時に、たとえ、見た目には、いかにすばらしい町であったとしてもそこに住む人が利己主義のからの中にとじこもっていたのでは、その人はもちろんの事、その周囲の人にとってもその町は、何の魅力もない殺伐とした町になってしまいます。反対にたとえ少しは不便な事があっても友情に囲まれて、生活できる町であるなら子どもたちが将来「私の故郷」と呼ぶにふさわしい良い町であると思うのです。
私達の心の持ち方にかかわりある問題——これが今後の私達の町づくりの主要な問題の一つである様に思われます。」
*『公民館だより』1 1974年9月10日

ニュータウンというと無機質な町というイメージで捉えられることが多いかもしれません。しかし、この文章にはニュータウンの捉え方について非常に重要なことが書かれていると感じます。
「土とコンクリートばかりの荒涼とした町」が、住民組織の活動の成果として「「住区」と呼ぶにふさわしい町」として成長してきたこと、しかし、「理想の町」はまだでき上がっておらず、「心の持ち方」を通して理想の町を目指していかねばならないこと、その結果、「子どもたちが将来「私の故郷」と呼ぶにふさわしい良い町」が実現されること。
ハードとしての完成は決してニュータウンの完成ではなく、住民が、無機質な町を「理想の町」へと育ていくものだという意志が伺えます。そして、その1つの方法が公民分館(公民館)活動と考えられていたのだと思います。

『公民館だより』第1号(1974年9月10日)には公民館への思いが次のように記されています。

「公民館といえば、一般に集会場とか映画会を行なう場所とか中には、結婚式場だと思っている人もあるようです。このような印象を与えていることは、公民館がまだ住民の生活の中で正しく理解されず、生活上必要であるという切実感がともなっていないということをあらわしているのでしょうか。公民館は、講座を開いたり、グループ活動やレクリエーション活動を行なったりして住民の実際生活に即した教育文化活動を行ないそれを住民の生活に還元させるところです。
では、本来の公民館とは、
1.公民館は、地域住民に奉仕する。生活のための学習や文化活動の場である。
2.公民館は、地域住民の日常生活に結びついて、常に利用され、他の専門施設や機会等と住民との結び目をはたす場である。
3.公民館は地域住民の日常生活から生ずる問題の解決を助ける場である。
4.公民館は仲間づくりの場である。
以上、簡単に公民館について書いてみました。」
*『公民館だより』1 1974年9月10日

現在、公民館というと公共施設としての建物と、そこで行われている「文化的な活動」というイメージで捉えられることが多いかもしれません。

これに対して、公民館とは「生活上必要であるという切実感」を伴うものであり、「住民の実際生活に即した教育文化活動を行ないそれを住民の生活に還元させるところ」。それを、独立した建物を持たない住民主体の動きとして実現しようとする公民分館という仕組みは、本来の公民館のあり方として、公共施設としての公民館に対する大きな問題提起をしています。


以前、大船渡の「デジタル公民館まっさき」に参加されている方から、当初、公民館とは建物のない青空公民館として、生活改良のための運動体だったという話を聞いたことがありますが、豊中市の公民分館には青空公民館の可能性が継承されているように思います。
時代の変わり目の今、改めて原点に立ち戻ることで、それが本来有していた可能性を(再)発見する作業が色々なところで求められているような気がします。

(更新:2019年9月22日)