『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウン:千里砂漠から豊かな緑へ

大阪府の千里ニュータウンは緑が豊かな街。最近建設された分譲マンションの中には、森に住むを謳い文句にしているところもあります。

写真は上から、□もみじ橋通り(長谷北橋付近)、□もみじ橋通り(正面は新千里東町近隣センター)、□新千里東町近隣センター。

しかし、次の文章からは、まちびらき当初では「千里砂漠」という表現が使われていたことがわかります。

「この新千里東町が誕生してから、満八年過ぎました。八年前の今頃は、おぼえている方も多いと思いますが、どちらを向いても土とコンクリートばかりの荒涼とした町でした。今、町内を歩いてみますと、もうどこにも当時の面影を見つけることは、できません。それどころか落ち着き、しかも美しい町の姿についうっとりさせられる事さえあるのです。春は花、夏は緑、秋は紅葉につつまれて東町は「住区」と呼ぶにふさわしい町にと、すっかり成長しています。
このようなすばらしい発展は、もちろん、次々と結成され、善意と奉仕に支えられて、住みよい町づくりのために黙々と、活動を続けてきた各自治会、PTAその他の住民組織の活動の本当にすばらしい成果です。」
*『公民館だより』1 1974年9月10日(東丘公民分館の広報誌)

「68年当時、建設中の東町は、風が吹くと、砂が舞い上がり千里砂漠と言われていた。千里中央地区はまだ、谷の底で、沼のように水が溜まっていた。・・・・・・。メゾンの東側の峠の横に、種から生えた赤松の木が3本ある、今17〜18メートルの高木になって、30年の重みを感じさせる。」
*『三団体創立周年記念誌』三団体周年記念実行委員会 1998年10月25日

新千里東町もまち開き当初は「ちらを向いても土とコンクリートばかりの荒涼とした町」で「風が吹くと、砂が舞い上がり千里砂漠と言われ」るような状況だったということ。
今の千里ニュータウンの豊かな緑も、元から自然にあった森ではなく、まちびらき後に時間をかけて育てあげられてきたものだということは忘れてはならない歴史です。