『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウンに暮らす明治・大正生まれの人々

初期のニュータウンは、都市への人口集中を解消するために、戦後の高度経済成長期に開発された郊外住宅地だと一般的に言えますが、当時のニュータウンにお住まいだったのは(考えてみれば当然ですが)高度経済成長期に生まれた方ばかりではありません。

千里ニュータウンの場合、まちびらき当初にはどのような方がお住まいだったのか?

『千里山タイムス』(後の『千里タイムズ』)に、千里ニュータウンのまちびらきから数年経った頃の年齢構成のグラフが掲載されています。

130202初期のニュータウン地区住民の年齢構成[S401205]s

*『千里山タイムス』(第84号 昭和41年1月1日)に掲載の図をもとに作成。

初期の千里ニュータウンにお住まいだったのは、昭和10年頃を中心とする昭和の戦前生まれの人々。男性は年下の女性と結婚する傾向があるため、やや男性の方が年齢が高くなっています。
そして、その子どもたち。先日の記事で、まちびらき当初の「ベビーブーム」についてご紹介しましたが、上のグラフからも0歳、1歳、2歳という小さな子どもが多いことがわかります(もちろん、全ての子どもが千里で生まれたわけではありません)。

なお、第一次ベビーブームだった1947年(昭和22年)〜1949年(昭和24年)に生まれた人々が団塊の世代と呼ばれますが、上のグラフからわかるように千里ニュータウンでは団塊の世代はちょうど谷間の世代になっています。

また、上のグラフからは明治・大正生まれの方も、千里ニュータウンにお住まいだったことがわかります。

この統計がとられた昭和40年12月5日の時点で、居住者の最高齢は92歳の男性。明治6年生まれの方です。
総人口41,963人のうち、明治生まれの方が2,218人(約5%)、大正生まれの方が3,835人(約9%)。あわせると約14%となって、決して無視できるような数字ではありません。

千里ニュータウンは、若い夫婦と子どもたち「だけ」の街だったわけではありません。