『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウンまちびらき当初の人口・世帯数

以前の記事でご紹介した通り、千里ニュータウンは人口15万人の街として計画されましたが、計画人口には達することなく、ピーク時で約13万人。現在は約9万人になっています。
ただし、近年ではマンションの建て替えが進んでおり、今後しばらくは少しずつ人口が増えていくと予想されます。

今回ご紹介するのは、まちびらき当初の千里ニュータウンの人口。
1962年(昭和37年)9月15日のまちびらき以来、人口は急激に増え、7年2ケ月が経過した1969年(昭和44年)11月に10万人を突破しました。

千里ニュータウンの人口が、この十四日やっと十万人目を迎えました。
昭和二十六年に造成された千里ニュータウンですが、初めて入居開始された三十七年9月の佐竹台以来、満七年二ケ月にして待望の大台に乗ったものです。
*「ニュータウン人口 10万人を突破」・『千里タイムズ』第234号 昭和44年11月21日

150508初期の人口・世帯数の推移.002 150508初期の人口・世帯数の推移.017 150508初期の人口・世帯数の推移.031

*『千里山タイムス(千里タイムズ)』『ニュータウン』に掲載の吹田市新千里山出張所・豊中市新千里出張所の調査結果をもとに作成。
*グラフは毎月末の人数・世帯数。ただし、以下は記載の日時点での人数・世帯数を表す(1964年10月27日、1965年5月10日、1965年6月24日、1965年7月28日、1965年12月8日)。

グラフからは、人口、世帯数ともに急激に増加している様子が伺えます。
一方、一世帯当たりの人員は、3.3人前後とほとんど変化していませんが、これは各家庭の人数の増減がほとんどなかったという意味ではありません。以下のように、千里ニュータウン内で多数の子どもが誕生し、「ベビーブーム」になっていたことは、しばしば新聞にも取り上げられています。

・・・・・・妊婦届出数は、ここ数カ月うなぎのぼりに増加、日本一といわれる出産率は目下十戸に一・五戸が妊婦家庭だということになる。・・・・・・、目下のニュータウン世帯数が一万戸余りであるところから十世帯に一・五の割合で妊産婦がいることになるわけ。
*「ベビーブーム到来 一・五割が妊婦家庭」・『ニュータウン』第16号 昭和40年9月5日

なお、四十年には1891人の新生児が誕生しているが、これは世帯数12436家族から算出すると、ニュータウンでは毎日、6家族のうちのどこかでどなたかが赤ちゃんを産んでいるわけで、ニュータウンの赤ちゃん誕生は益々さかんということである。
*「毎日6戸毎に新生児一人誕生 男系家族を指向? ニュータウン男女別構成」・『千里山タイムス』第84号 昭和41年1月1日

また、いくつかの住区の世帯人数の推移を表した以下のグラフからは、入居開始直後から世帯人数が増加し、数年経過するとその増加のスピードが緩やかになっていることが読み取れます。このことから、「ベビーブーム」は入居開始から数年間の間に起きていた言えそうです。

150508初期の人口・世帯数の推移.032 150508初期の人口・世帯数の推移.037 150508初期の人口・世帯数の推移.042 150508初期の人口・世帯数の推移.043

*他の住区のグラフはこちらのページに掲載しています。

結果として、同じ時期で比較すると、早い時期に入居が始まった住区ほど、人数の多い世帯の割合が多いという傾向がみられることになります。

150508初期のニュータウン内家族構成[S400801].002

つまり、まちびらき当初の千里ニュータウンでは子どもの誕生によって世帯員数は増えているが、新たな住区が次々とまちびらきをしている段階(つまり、まだ人数の少ない世帯が次々とやってくる段階)では、千里ニュータウン全体でみると世帯人数が平均されるため、世帯人数が約3.3人前後とほぼ変化しないグラフになると考えることができそうです。