まちびらき当初、佐竹台の近隣センターに開かれていた店舗。
*店舗は『千里山タイムス』(昭和37年8月15日)に掲載の図をもとに作成。
青字部分は分譲された住宅付店舗です。入れ替わったり閉店となった店舗もありますが、現在もほぼ当時のままの建物を見ることができます。
住宅付店舗の西側には銭湯(浴場)。銭湯は既に存在しませんが、名前を「菩提湯」と言いました。
赤字部分はマーケットで、ここも既に1階に店舗が入居するマンションに建替えられています(マンションは1986年(昭和61年)に竣工)。
マーケットについて、以下の記事のように早期に入店者を決定する必要があると述べられていますが、最終的に入店者が決まったのは、まちびらきのわずか2週間前の1962年(昭和37年)9月1日でした。
然し新開拓地でのマーケットはすくなくとも新入居者よりも一カ月位前には店舗や商品の準備にかかる必要がありいずれ入居開始の暁にはいわゆる出張販売の商人がドッと押しかけて入居者と顔馴染をつくりり〔つくり〕恒久的な取引を狙うことも予想されるので先の大阪府よりの三十戸地元優先の意志表示が事実であるなら八月上旬には三十商人を確定して今後伸びてゆく千里丘陵新都市での吹田産業界の百年の体計を立てるために努力する必要がありそうだ。
*「吹田商人のド根性拝見」・『千里山タイムス』昭和37年8月15日
千十戸、五千人の新入居者の台所として期待されているニュータウン内マーケットについては大阪府企業局と吹田市との話合によって第一回入店商人は吹田市優先ときまり吹田市市民課商工係では吹田市ニュータウン産業対策協議会とともに八月上旬その選考に着手したが九月一日ようやく最終的な決定がなされたが・・・・・・
*「二転三転 ニュータウンマーケット商人 ようやく本決り」・『千里山タイムス』第4号 昭和37年9月14日
吹田市の人が優先的に入店するという決定もなされたとのことで、記事に掲載されている25の入店者の居住地は以下のようになっています。
・佐井寺:8名
・旭町:4人
・垂水:3人
・南泉町、北泉町:各2名
・山田、下新田、二ツ池、千里天道、上栄町:各1名
・記載無し:1名
佐竹台近隣センターの店舗はこのような経緯でオープンしました。
近隣住区論に基づく千里ニュータウンの計画段階では、居住者は近隣センターの店舗で日々の買物をするものとされていました。近隣センター以外に店舗は計画されていないことから、近隣センターの店舗は競争相手がいないと思われるかもしれません。
しかし、以下の記事の読むと、当時の佐竹台では行商人がやって来て店を開いていたようで、これは近隣センター店舗の経営を脅かすものとして懸念されていました。近隣センターの店舗側では、行商人への対策として「利潤の何パーセントかを還え〔還元〕して団地内の共同事業に寄附するというような方針」も考えられていたことが伺えます。
千里丘陵佐竹ショップセンターでは開店以来日増しに内容も充実して来たがなお行商々人が相当入り込んでいる模様でこの調子では将来市場経営に障害になることとも生れることを懸念し、内容の充実に努力するとともに顧客対策として利潤の何パーセントかを還え〔還元〕して団地内の共同事業に寄附するというような方針を考えているようである。
*「佐竹ショップセンター 顧客対策に新企劃?」・『千里山タイムス』第12号 昭和37年11月23日