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千里ニュータウンのまちびらき当初からの人口の推移

先日の記事で、千里ニュータウンの近年の人口・世帯数の推移をご紹介しましたが、まちびらき当初からの人口・世帯数の推移もご紹介します。先日の記事と同様、今回も①吹田市域8住区(佐竹台、高野台、津雲台、藤白台、古江台、高野台、竹見台、桃山台)、②新千里北町、新千里東町、新千里西町、新千里南町、③上新田の3つに分けて集計しています。

人口・世帯数

*人口・世帯数は、2010年までは国勢調査の結果をもとに、2015年は住民基本台帳(吹田市は2015年3月31日、豊中市は2015年4月1日)をもとにした値です。上新田は、1970年のデータが見つからなかったため空欄としています。

千里の人口が最も多かったのは1975年(昭和50年)の国勢調査の時点で、その後、減少が続いていましたが、近年の集合住宅の建替えラッシュにより、2015年の時点では人口が増加しています。計画された12住区だけをみると、2015年春の時点で人口が97,156人であり、10万人に近づいています。

世帯数は2010年まではほぼ横ばいでしたが、集合住宅の建替えにより2010年から2015年の間に増加。5年間の間に吹田市域8住区で約4,200戸、豊中市域4住区で約1,900戸、上新田で約700戸と、合わせて約6,700戸もが増加しています。
なお、千里ニュータウンの計画住戸数は当初は3万戸、後に3万7330戸であり、2010年まではほぼ計画された住戸数でした。しかし、2015年の時点では上新田を除く12住区だけで4万5千戸近くになっています。半世紀前、ある意志(ビジョン)をもって計画された千里ニュータウンが、その後、住戸数を増やしていく上でどのような意志(ビジョン)のもとにより良い街にしようとされているのか? そこで、当初の意志(ビジョン)はどのように継承されているのか? あるいは、継承されていないのか? 我が国最初の大規模ニュータウンであり、ある意味社会実験として計画された側面をもつ千里での出来事を後世へと伝えるためにもきちんとした検証をしておく必要がありそうです。

一世帯当たりの人員はまちびらき当初から減少し続けています。

150508人口・世帯数の推移[国勢調査+住民基本台帳].001 150508人口・世帯数の推移[国勢調査+住民基本台帳].002 150508人口・世帯数の推移[国勢調査+住民基本台帳].003

高齢化率

*千里ニュータウンの高齢化率は、2005年までは国勢調査の結果をもとに、2015年は住民基本台帳(吹田市は2015年3月31日、豊中市は2015年4月1日)をもとにした値です。
*日本の高齢化率は、2010年までは国勢調査の結果をもとにしたもの。2015年の部分には、参考として2013年10月1日現在の高齢化率(『平成26年版高齢社会白書』より)を記入しています。

当初、千里ニュータウンは若い世代が住む街でしたが、徐々に高齢化率は上昇し、2000年の時点では全国平均を上回っています。その後も高齢化率は上昇し2010年には約30%となりました。ただし、近年の集合住宅の建替えラッシュにより、高齢化率は約30%と横ばいになっています。

150508高齢化率の推移.001 150508高齢化率の推移.002

(更新:2015年5月26日)