『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

上新田と千里ニュータウンの関係

先日、千里ニュータウンの人口について次のような問合せがありました。
吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議作成の「千里ニュータウンの資料集(人口推移等)」(2017年10月)には千里ニュータウンの人口・世帯数の統計データが掲載されているが、上新田は含まれていない。千里ニュータウンの人口・世帯数を考える時、上新田の人口・世帯数を含めるべきか否かという趣旨の問合せです。

上新田は、千里ニュータウンの中央に位置しますが、集落があったためニュータウン開発からは除外された地域(計画除外地とされた集落)です。2018年3月31日/4月1日で、「ニュータウンとして開発された」12住区が人口99,112人、世帯数45,745世帯に対して、上新田は人口20,751人、世帯数8,766世帯と無視できないボリュームとなっています。

上新田の人口・世帯数を含めるべきか否かは、どのような視点から千里ニュータウンを捉えるかに関わる重要なポイントです。

開発事業の視点から

千里ニュータウンを開発事業の視点から捉えるならば、「ニュータウンとして開発された地域」の人口・世帯数がどう変化したかは重要な情報になります。この場合、「ニュータウンとして開発された地域」ではない上新田の人口・世帯数を統計に加える必要はありません。「千里ニュータウンの資料集(人口推移等)」に掲載されている統計はこの立場に立ったものということになります。

暮らしの視点から

上新田は「ニュータウンとして開発された地域」ではありませんが、「ニュータウンとして開発された地域」と無関係だったわけではありません。ニュータウン内は住宅建設が規制されているため、上新田が住宅需要の受け皿になってきたという側面があります。上新田の人口・世帯数の増加はこのことの表れ。

また、「ニュータウンとして開発された地域」にお住まいの方の中には、次のような思い出をお持ちの方もいます。

(新千里北町の方)三丁目の府営は餅つき、秋には芋掘りハイキングとかありますね。上新田まで歩いて行って、掘った芋の大きさを競い合ったり、商品が出たりして。子どもが小さい時は何回も参加しました。いつの間にかマンションが建ち、畑も無くなったから、行事自体も消滅しちゃったんだけど。今でも写真が残ってますけど、懐かしいですね。
※ディスカバー千里「新千里北町の暮らし①」のページより

(新千里東町の方)上新田はよく行ったよ。今打ちっぱなしがある付近は池やったんです。そこに釣りに行ってましたよ、ザリガニ釣り。町で違うんですけど、〔東町の〕僕らはちくわで釣ってたんです。北町の子は多分スルメでやってたかな。・・・・・・。それから、上新田橋を渡ったところは湿地帯だったんです。理科で習うようなゲンゴロウおるわ、水カマキリおるわ、タガメおるわ。でも、裸足で入ると怪我するんですよよ、切り株とかあるから。

(新千里東町の方)上新田の天神社にも行きましたよ。元々は小さい神社やったのが、今は駐車場もできて。上新田橋渡ったら急に竹藪になって。
※ディスカバー千里「千里の昔の遊び」のページより

芋掘りハイキング、昆虫採集、神社へのお参り。この他、ゴルフの打ちっ放しでアルバイトをする主婦も多かったという話も聞いたことがあります。これらの話からは、上新田はニュータウンにはなかった田畑、自然、宗教施設、仕事場といった機能を補完していたことが伺えます。
もちろん、鉄道やバスなどの運行を計画する上でも、上新田は無視できません。
従って暮らしの視点に立てば、上新田を加えた人口・世帯数を示すことが重要ということになります。

上新田は「ニュータウンとして開発された地域」の暮らしを支えてきました。開発事業からは除外されたが、暮らしの上では常にニュータウンの一部であり続けてきたということになります。
このことからは、あくまでも結果として言えることですが、千里ニュータウン開発においては社会の変化に合わせた柔軟な住宅開発(一度に開発してしまわない姿勢)、田畑、自然、宗教施設、仕事場といったことが十分に考慮されなかったということになるのかもしれません。

以上のような考えから、問合せされた方には、その統計データによって何を伝えたいかによって、上新田の取り扱いを考える必要があることをお伝えしました。


上新田は「ニュータウンとして開発された地域」ではないため、計画除外地という表現がしばしば使われます。しかし、上新田にお住いの人々にとって計画除外地という表現は決して気持ちの良いものではなく、実際、千里ニュータウンのマップで、上新田の部分が白くくり抜かれて表現されていることが気になると話す方もいます。
千里ニュータウン開発から既に50年以上。計画除外地ではなく、連携、あるいは、包摂に迎えるような新たな表現を見つける必要があります。