『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ひがしまち街角広場での偲ぶ会

先日(2017年9月24日(日))、まだ若くして事故でお亡くなりになられたYさんを偲ぶ会が行われました。
活動の実践者として、研究者として、そして、生活者として千里ニュータウンという地域に関わってこられた方で、新千里東町の近隣センターの空き店舗を活用して開かれているコミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」の設立、千里ニュータウン展、千里市民フォーラム、千里文化センター・コラボの市民実行委員、千里ニュータウンまちびらき50周年記念事業など参加された活動は多岐に渡ります。現在の千里ニュータウンの地域活動の土台を築いた1人だと考えています。

Yさんに初めてお会いしたのは、2004年の春。その頃、「ひがしまち街角広場」に集うメンバーが立上げた「千里グッズの会」(現在のディスカバー千里)というグループが、ニュータウンに関する映画上映会を企画されていました。その準備に顔を出した時のこと。自分自身はその後、「千里グッズの会」や「ひがしまち街角広場」に関わるようになり、千里ニュータウンと出会わなければ現在のような仕事、活動、研究をすることはなかったと思いますが、それは後の話です。
2004年春の時点ではまだ何もわからない大学院の学生。Yさんは、学生にも声をかけてくださるなど、誰とも分け隔てなく接してくださったのを覚えています。その後、東京、岩手に行ったこともあり、Yさんとはほとんどお会いする機会もなく、「ひがしまち街角広場」で会議をしている時に通りかかった際に挨拶する程度でした。実践者として、研究者として、生活者として地域に関わることの可能性や難しさについてお話を伺うことができたらと思っていました…

先日は13時から千里文化センター・コラボで、17時半から「ひがしまち街角広場」で偲ぶ会が開催。写真は「ひがしまち街角広場」の偲ぶ会の様子ですが、Yさんのご家族、千里ニュータウンでの活動や仕事を通しての仲間や知人、行政職員の方、「ひがしまち街角広場」のスタッフら50人ほどが参加されました。様々な年代、職業の方々が参加されたところにYさんが築いてこられたものの大きさを感じました。

先日、偲ぶ会で久しぶりにお会いした方々と、「ひがしまち街角広場」のこと、新千里東町のこと、千里ニュータウンのこと、あるいは、地域に関わる者にとっての専門性のことなどの話させていただきました。

偲ぶ会が改めて思い起こさせてくれたのは、「ひがしまち街角広場」は単に高齢者が集まってお茶を飲むだけの場所ではないこと(もちろん、このこと自体も重要な役割ですが)。地域活動の拠点であり、地域活動に関わる人々が集う場所。地域の人たちが、地域活動に関わる人と出会える場所。しかも、そこではお酒も飲める。そんな「ひがしまち街角広場」の姿です。

実は新千里東町の近隣センターは、現在、移転・建替が検討されています。千里中央のショッピングセンターである千里セルシーと状況は似ており、地権者の意向だけが優先されるという状況になっているような印象を受けますが、近隣センターの移転・建替は、空き店舗を活用して運営されてきた「ひがしまち街角広場」の今後を考える上でも大きな課題。
近隣センターの移転・建替後も、「ひがしまち街角広場」を継承できればと思いますが、その際、「ひがしまち街角広場」は単に高齢者が集まってお茶を飲む場所ではないということはきちんと継承していく必要がある。先日の偲ぶ会からは、このことに改めて気づかされました。