『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウン「ひがしまち街角広場」から学べること

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千里ニュータウン新千里東町の近隣センターでは、コミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」が運営されています。2001年9月30日に近隣センターの空き店舗を活用してオープン。半年間の豊中市の社会実験の後、2002年3月1日からは地域住民による自主運営がスタートしました。2006年5月に同じ近隣センターの空き店舗に移転し、現在まで運営が継続されています。月曜〜土曜の運営を支えているのは女性のボランティアの方々です。

近年、各地にコミュニティ・カフェ(まちの居場所)が開かれていますが、2001年に開かれた「ひがしまち街角広場」は先駆的な場所であり、ボランティアによって14年間も運営が継続され続けていることからは学ぶべきことが多いです。
実際の運営に関わる方々からは、ボランティアが高齢化している、若い世代にも運営に関わって欲しい、近隣センターが移転・建替えになった場合にどう運営を継続するか、などの課題があるという声を聞きます。こうした課題に向き合っていくためにも、「ひがしまち街角広場」が投げかけているものをきちんと受け止め、そこから学んでいくことが大切だと考えています。

「ひがしまち街角広場」から学ぶべきこととして次の点をあげることができます。

1)ニュータウン計画には大切なものが抜け落ちていた

「ひがしまち街角広場」ができる前は「何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」がなかったという話を聞きます。ニュータウンには各種施設、店舗が計画的に設置されており、一見、整った町のように見えますが、人々の暮らしは各種施設や店舗の寄せ集めだけでは成立しない。地域には用事がなくてもふらっと気軽に立ち寄れて、地域の人と接することのできる場所が欠かせないことを「ひがしまち街角広場」は教えてくれます。

2)近隣センターに具体的な場所として存在することの重要性

近隣センターとは、千里ニュータウンで住区の中心として計画された場所で、郵便局、スーパーマーケットなどがもうけられています。かつては府営住宅等の住戸に風呂場がなかったため、近隣センターには銭湯がありました。その意味で、近隣センターはまちびらき当初から住区の中心でした。
「ひがしまち街角広場」がこのような場所で運営されていることで、買い物のついでにちょっと立ち寄ったり、学校帰りの子どもたちが水を飲みに立ち寄ったり、幼稚園に子どもを通わせる母親たちが過ごしたりと、多世代の人々がやって来ます。世代間にはたとえ密な接触がなかったとしても、多世代の人々が立ち寄ったり、過ごしたりしている姿を認識し、共有できるのが、(ネット上のコミュニティではなく)具体的な場所があることの大きな意味です。

3)まちの居場所(コミュニティ・カフェ)の運営のあり方の1つのモデル

以前ご紹介したように、現在、「ひがしまち街角広場」で提供しているのは飲物だけです。食べ物も提供せず、プログラムもほとんど行われていない代わりに、大きな設備や備品を所有せず、ボランティアで、お金をかけずに(軽装備で)運営されています。「何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」を実現することだけに特化して14年間も運営が継続されていることは、こうしたスタイルはまちの居場所の運営の1つのモデルだと言えそうです。
また、先日ご紹介したように、「ひがしまち街角広場」ではあらかじめ運営内容を固定せずに徐々に運営していく、主客の関係を固定しない、ありあわせのものを活用して運営していく、活動に参加することを強いない、などの考えによって具体的な場所がしつらえられており、この点でもまだまだ学ぶべきことは多いと感じています。

4)安い値段でコーヒーが飲めるだけでなく、地域活動を生み出す場所

コミュニティ・カフェには安い値段でコーヒーが飲めて、何時間でもゆっくりできてという印象があるかもしれません。もちろん、このような場所が大切であることは言うまでもありませんが、「ひがしまち街角広場」はこれとは違う側面も持っています。
「ひがしまち街角広場」はオープン以来、千里グッズの会、千里竹の会、東丘ダディーズクラブなどのユニークなグループが生まれるきっかけになったり、活動拠点になったりしてきました。また、新千里東町の府営住宅で月に2回開かれている「3・3ひろば」や、千里文化センター・コラボで運営されている「コラボ交流カフェ」も、「ひがしまち街角広場」のような場所が欲しいという思いで生まれました。この意味で「ひがしまち街角広場」は地域での活動を生み出すきっかけにもなっていると言えます。
これも以前ご紹介しましたが、「居場所」には①ゆっくりできる、安心できるという意味と、②活動に参加できる、自分の役割があるという意味の2つがあります。「ひがしまち街角広場」はこの両方の役割を併せ持つ場所になっています。

5)メンバーが入れ替わりに伴う場所の継承

「ひがしまち街角広場」は豊中市の社会実験としてスタートしました。社会実験期間中はコンサルタントが運営のサポートを行っていましたが、社会実験が終了した後は地域住民による自主運営へと運営体制が変化しました。また、設立時から代表を務めていた方が、2011年5月に代表を交代しています。
現在、各地に開かれているまちの居場所(コミュニティ・カフェ)に行くとキーパーソンに出会うことが多く、「キーパーソンがいるから運営が成立しているんだ」ということもよく耳にします。それに対して、「ひがしまち街角広場」は代表が交代した後もほぼ同じような雰囲気で運営が継続されています。中心となるメンバーが代わっていく時、場所をどう引き継いで行くのか? この点についても、「ひがしまち街角広場」から学ぶべきことはあります。

6)地域の歴史とともに歩んでいる

「ひがしまち街角広場」は地域と無関係に成立しているわけではないため、地域が変化していくと、運営もその影響を受けます。現在、新千里東町の近隣センターは移転・建替の計画が進んでいます。近隣センターの空き店舗を活用して運営を続けてきた「ひがしまち街角広場」にとっては、近隣センターが綺麗になることで、手頃な価格で利用できる空間(空き店舗)が失われてしまうというのは皮肉です。もちろん、近隣センターの移転・建替はこれからであり、現在、どのように「ひがしまち街角広場」を継続するかが話し合われています。
地域の歴史とともに歩むというのは、「ひがしまち街角広場」のオープン後に限りません。1966年のまち開き以来、地域で築かれてきた人間関係が「ひがしまち街角広場」にもつながっています。この意味では、地域の歴史の流れの中にあるという見方もできそうです。

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