『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウンの近年の地域活動について

千里ニュータウンは地域活動が活発だと言われてきましたが、2000年頃から地域活動のあり方が変化したと言われています(「千里文化センター・コラボ設立10周年記念フォーラム」より)。

この背景には人口の変化があります。千里ニュータウンは1962年にまち開きが行われました。当時、20〜30代の若い人々がニュータウン第一世代として入居しましたが、2000年頃からニュータウン第一世代の人々が定年退職を向かえるようになりました。ベッドタウンとしての千里ニュータウンでは、それまで地域活動を担っていたのは専業主婦であった女性。そこに、それまで地域活動にあまり関わりを持ってこなかった男性が参加するようになったこと。2000に入ると再開発に伴う分譲マンションの建設により、若い世代が入居するようになりました。その影響で、近年では千里ニュータウンの人口は増加しています。

2000年頃、千里ニュータウンに生まれた特徴的な動きとして、吹田市佐竹台の「佐竹台ラウンドテーブル」(2000年〜)、豊中市新千里東町の「ひがしまち街角広場」(2001年〜)があり、この2つはその後の千里ニュータウンの地域活動に大きな影響を与えているとされています(「千里文化センター・コラボ設立10周年記念フォーラム」より)。

以下ではこれをふまえ、「佐竹台ラウンドテーブル」、「ひがしまち街角広場」以降の千里ニュータウンの地域活動を整理したいと思います。

テーマ型の活動

□千里市民フォーラム(2003年〜)、千里文化センター・コラボ市民実行委員会(2010年〜)

「佐竹台ラウンドテーブル」は当時の佐竹台地区の連合自治会長が、「ひがしまち街角広場」は当時に新千里東町の公民分館長というように、以前から住区における活動に携わっていた人が中心となり設立、運営されていました。従って、これらの住民活動は、団地の建替え、近隣センターの空き店舗、住民の高齢化など住区で切実とされている課題に関わったものになっていました。
「千里市民フォーラム」設立時にはこの2つの、「千里文化センター・コラボ市民実行委員会」設立時には「ひがしまち街角広場」の中心人物が携わっていたため、その個人を介して住区との結びつきがあったと言えます。
しかし、設立からの時間経過に伴いメンバーの入れ替わりが進み、定年退職後の男性、新たに越してきた子育て世代の女性など、これまで住区に関わりをもってこなかった人々が参加するようになりました。これは、「千里市民フォーラム」、「千里文化センター・コラボ市民実行委員会」が新たな人々が地域活動に参加するための窓口としての機能をもっていることを表します。しかしその反面、住区との関わりが薄くなり、団地の建替え、近隣センターの空き店舗、住民の高齢化など住区で切実とされている課題からは離れたイベントの場、カルチャーセンター的な活動になる傾向も見られます。

近隣センターを物の販売から生活サービスの提供の拠点として蘇らせようとする場所

□笹部書店のカフェコーナー(2007年〜)、さたけん家(2011年〜)など

「ひがしまち街角広場」は最初の半年間のみ豊中市の社会実験として運営されていましたが、半年間の社会実験終了後は行政からの補助を一切受けない自主運営がされています。「ひがしまち街角広場」は、府営新千里東住宅集会所の「3・3ひろば」、千里文化センター・コラボの「コラボひろば」(コラボ交流カフェ)、OPH千里佐竹台集会所の「佐竹台サロン」を始め、大きな影響を与えました。ただし、ここで紹介した場所の運営を担うのは住民ボランティアであり、仕事場、あるいは、コミュニティ・ビジネスとしての側面はもっていません。
こうした場所に対して、千里ニュータウンでは新たなタイプの場所も生まれています。「笹部書店」のカフェコーナー、「さたけん家」です。いずれも近隣センターの本屋を、人々が求めるサービスを提供する場所として蘇らせようとするものであり、しかもそれを仕事場、コミュニティ・ビジネスとして成立させようとする試みです。

地域の環境を自分たちで管理・改善しようとする協働作業

□千里竹の会(2003〜)、「ひがしまち街角広場」主催の竹林清掃(2017年〜)、「畑のある交流サロン@kitamachi」(2014年〜)、「八中の中庭を蘇らせよう!プロジェクト」(2017年)、「北町車止めペイント祭り」(2018年)など

千里ニュータウンは計画された街であるが故に、原っぱ、空き地のような場所、あるいは、住民の共有財産(コモンズ)となる場所が存在しません。公と私の領域が明確だと言えます。そのため、公の領域は行政が管理・改善するもので、そこには住民には手が出せないという認識があるように思われます。
しかし近年では、次のような活動が生まれています。

  • 「千里竹の会」:桃山公園・東町公園の竹林の整備
  • 「ひがしまち街角広場」主催の竹林清掃:東町公園の竹林の整備
  • 「畑のある交流サロン@kitamachi」:北丘小学校内での畑作り
  • 「八中の中庭を蘇らせよう!プロジェクト」:第八中学校の使われず放置されていた中庭をリノベーション
  • 「北町車止めペイント祭り」:新千里北町のユニークな車止めのペンキ塗り替え

これらの活動は、従来は行政が管理するとされてきた公園、学校、道路を、住民たちの協働により管理・改善しようとする動きとして興味深い動きです。
なお、豊中市では2001年から「アダプト活動」が導入されました。「「アダプト」(英語)とは、「養子にする」という意味」で、「アダプト活動」とは「道路や公園などの公共の場所をわが子のように慈しみ、愛情をもって面倒を見る=清掃・美化する活動」のこと(豊中市「アダプト活動」のページより)。新千里東町では、「アダプト活動」として住民による歩行者専用道路の清掃が行われています。

歴史・魅力の見直し

□千里グッズの会(2002年〜。2012年〜は)による絵はがき作り、千里ニュータウン展(2006年)、千里ニュータウン展@せんちゅう(2006年)、千里ニュータウンまち開き50周年記念事業における「佐竹台タイムスリップ館」(2012年)、千里ニュータウン半世紀展(2012年)、『ぶらり千里:魅力発見ガイドブック』の刊行(2015年)、千里文化センター・コラボ主催によるボランティア養成講座(2015年〜)など

計画された街であり、ベッドタウンである千里ニュータウンには歴史や魅力がないと思われがちですが、近年、千里ニュータウンの歴史、魅力を見直そうという動きが生まれています。
2006年には吹田市立博物館で「千里ニュータウン展」、豊中市千里公民館で「千里ニュータウン展@せんちゅう」、2012年には吹田市立博物館で「千里ニュータウン半世紀展」が開催されていますが、展示の企画・運営には住民も参加しているという特徴があります。2012年の千里ニュータウンまち開き50周年記念事業における「佐竹台タイムスリップ館」では、千里ニュータウンで最初に入居が始まった府営千里佐竹台住宅の空き住戸を開放し、入居当初の物や写真などが展示され、府営千里佐竹台住宅の住民が案内人になっていました。
歴史を含めた千里ニュータウンを見直し、共有しようとする動きとしては2002年から始まる「千里グッズの会」(現在のディスカバー千里)による絵はがき作り、2015年に刊行された『ぶらり千里:魅力発見ガイドブック』、2015年から始まる千里文化センター・コラボ主催によるボランティア養成講座などがあります。

地域活動の住区単位でのネットワーク化・組織化

□豊中市地域自治システムによる新千里東町地域自治協議会(2012年〜)、新千里北町地域自治協議会(2013年〜)

現在、豊中市では市内の41校区のうち10校区で地域自治組織が設立されています。10校区のうちの2つが、千里ニュータウンの新千里東町、新千里北町の地域自治協議会です。これは行政の主導による仕組みですが、地域活動に大きな影響を与えるものです。
地域自治協議会の設立により、従来は同じ地域を対象としながらも、自治会、防犯、公民分館、福祉といった組織が、分野ごとに縦割りで活動するという側面がありました。それが、地域自治協議会の設立により組織が連携する機会が生まれ、住民間で意思決定がしやすくなり、住区全体としての動きを生み出しやすくなったと言えます。上にあげた「北町車止めペイント祭り」も地域自治協議会の主催によるものです。
新千里東町では地域自治協議会設立より前の、2000年に地域新聞『ひがしおか』が創刊。それまで自治会、防犯、公民分館、福祉がバラバラに出していた広報誌を統合したもので、建設省(国土交通省)の「歩いて暮らせる街づくり事業」の結果として創刊されたものです(「ひがしまち街角広場」もこの事業の結果として生まれたもの)。現在、地域新聞『ひがしおか』は、地域自治協議会が引き継ぎ刊行されています。
ただし、地域自治システムによる地域自治協議会には、次のような課題があると考えています。
地域自治協議会は自治会、防犯、公民分館、福祉といった既存の組織が連携したものであるがゆえに、「ひがしまち街角広場」のように既存の組織に入りきらない活動をしていた場所が、上手くその中に位置付けられていないのが現状です。
さらに、地域自治協議会に対しては、地域の構成員は住民だけなのかという問題提起もあり得ます。ベッドタウンとしての千里ニュータウンにはほとんど仕事場がなく、住区の構成員といえばほとんどが住民です。けれども、街には住民だけでなく、仕事をしている人、買い物にやって来る人、観光にやって来る人など多様な人々が存在する。魅力的な街とは、こうした多様なかたちでの関わりを許容するのかもしれません。地域自治協議会がほぼ住民によって構成されていることは、多様なかたちでの関わりに対して排他的になる恐れがあります。
地域自治協議会の単位は小学校区です。クラレンス・A・ペリーの近隣住区論をベースとする千里ニュータウンでは、1住区に1つの小学校が計画されました。従って、住区=小学校区は、千里ニュータウンにおいて非常に重要な単位です。けれども、人は必ずしも住区内だけで暮らしているわけではありません。こうした状況に対しては、次のような指摘もされています。

「「地域自治推進条例」による地域自治システムは、「『市民力』『地域力』をもっと発揮できる環境を整える」「豊中スタイル」などという「美しい言葉」に飾られています。しかしながら、“行政が地域自治の枠組みを小学校区に決める”という「上からのコミュニティ政策」の跳梁跋扈であり、その本性が市民の前に少しずつ明らかになりつつあります。」

「さらに言わせてもらえば、地域自治システムも含めた現行の豊中市の行政が進めているまちづくりに関係する制度やその運用には、まちの「しくみ」を支え、まちづくりを担う人材をどう育てるのかに細心の注意を払う「ひとづくり」の視点が決定的に欠けていると言わざるを得ません。」
*芦田英機(赤澤明編)『豊中まちづくり物語』啓天まちづくり研究会 2016年

地域自治における地域とは何か? 自治とは何か? それは誰によって担われるべきなのか? という問い直しが求められているように思います。