三陸鉄道で久慈駅まで向かった帰り、田老駅で途中下車しました。「「万里の長城」と呼ばれた高さ10m、総延長2.4kmにおよぶX型の防潮堤」があったにも関わらず大きな被害が生じたことは、東日本大震災後、何度もニュースに流れていたので、田老の名前を聞いた方も多いと思います。
「万里の長城」と呼ばれた防潮堤
昭和8年(1933)の三陸津波の翌年、昭和9年(1934)から建設が始まり、「万里の長城」と呼ばれた高さ10m、総延長2.4kmにおよぶX型の防潮堤(写真)。
平成23年(2011)の津波によって被害を受けるまで、防潮堤は、田老の町を守ってきました。
*三陸ジオパーク「田老の防潮堤」(2018.3)の掲示板より
震災前の田老の様子。「道の駅たろう」にある観光案内所「たろう潮里ステーション」に展示されている模型の写真。
田老の復興状況はどこまで進んでいるのか、復興の景色は大船渡市と違うのかを見ておきたいと思い、今回、田老駅で途中下車することとしました。
田老駅で三陸鉄道を降りると目に飛び込んでくるのが太陽光発電のパネル。津波の浸水域が太陽光発電所として転用されており、「宮古市スマートコミュニティ田老太陽光発電所」との掲示。
田老にあった「X」型の防潮堤のうち、内陸側の「>」の部分はほぼそのままのかたちで残されており(津波で倒壊せず)、「>」の部分の内陸側の浸水域(「>」の防潮堤と国道45号線の間)には野球場、「道の駅たろう」などの施設が建設されています。
「X」型の防潮堤のうち、海側の「<」の部分は津波により多くの部分が倒壊。一部、破壊したまま残されている部分もありましたが、既に瓦礫とともに撤去。代わって、海岸沿いに新たな「<」の字型の防潮堤の建設が進められていました。
「>」と「<」の間では、漁協関係の施設を見かけました。震災遺構として保存されることになった「たろう観光ホテル」もこのエリアにあります。「<」の外側は港になっており、ここにも漁協関係の施設を見かけました。
湾を見下ろす北側の高台には、高台移転として開発された三王団地。防災集団移転による戸建住宅と災害公営住宅(戸建形式・2階建の集合住宅形式)の他、保育所、駐在所、公園などが建設。見た限りでは建設中の住宅もなく、高台移転は完了しているように思いました。
高台移転は(ほぼ)完了し、防潮堤の建設も進められている。ただし、津波の浸水域(防潮堤の内側)をどう活用していくかの十分な見通しが立っていない。これが、東北の被災地に共通する状況のように感じます。
津波の浸水域にかつて住んでいた人々は高台へと移転した。かといって、人口が増加するわけでもない。そうすると、ぽっかりと空いてしまった浸水域をどう活用するかが課題になるのは当然と言えば、当然かもしれません。