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千里ニュータウン再開発の光景:古江台・新千里東町の変化

千里ニュータウンの集合住宅(団地)は2000年代に入って以降、大規模な再開発が行われ、光景は大きく変化しました。
再開発は必ずしも否定すべきことではありませんが、千里ニュータウン開発ではどのような工夫がなされ、どのような課題が生じたのかが総括されないままに歴史が急速に失われること、また、再開発が一斉に行われたため、将来も急激に人口の高齢化、建物の老朽化が生じるであろうことなどの問題もあると感じます。もちろん、再開発のあり方については今後も議論とa検証がされていくと思いますが、それとは別に再開発前の光景は記録として残しておくべきだと考えています。
千里ニュータウンには再開発前の光景を残すような体制や仕組みがないため、それならば個人でもできることをと考え、千里ニュータウンを訪問する際には意識的に写真や動画を撮影してきました。ここでご紹介しているのはこのような考えで撮影した動画です。

動画は2011年に入ってから撮影するようになりました。当時、スマートフォンなどの端末が普及し始めており、手軽に動画を撮影することができるようになりつつありました(当初はアップルのiPod Touchを使って撮影していました)。現在のスマートフォンに比べると画質も劣り、また、最初の撮影時点でも既に府営住宅の再開発が始まっていますが、少しでも再開発前の様子をお伝えできればと思います。

千里ニュータウンにお住まいの方々が昔を振り返るための資料、子どもたちが千里ニュータウンのことを知るための資料などに役立てばと考えています。

2011年5月14日撮影(大阪モノレール:山田駅→千里中央駅)

2012年4月15日撮影(大阪モノレール:山田駅→千里中央駅)

2017年2月15日撮影(大阪モノレール:山田駅→千里中央駅)

大阪市立弘済院

大阪モノレール/阪急千里線の山田駅の北西には大阪市立弘済院があります。弘済院は「特別養護老人ホームと附属病院が連携して、認知症や高齢者疾患に対応する、大阪市立の医療福祉施設」で、千里ニュータウン開発のはるか前の昭和9年、この土地に事業所(山田事業所)が開設されています*1)。弘済院でも再開発が行われており、弘済院のグラウンド跡地を活用して、民間の分譲マンションが建設されています。

UR新千里東町団地

団地の住棟配置においては、一般的に各住戸の日当りを確保するために南側に部屋を配置することが考慮されます。結果として、団地では東西に細長い住棟(東西軸の住棟)が平行に配置されることになります(平行配置)。板状の住棟が整然と並ぶという一般的にイメージされる団地の景観は、「平行配置」によって生み出されたものです。
千里ニュータウンでは主にUR団地(C棟)で「平行配置」が採用されました。これに対して、千里ニュータウンの府営住宅(B棟)では、住棟を中庭を作るように配置することで、いくつかの住棟によってコミュニティのまとまりを作ることが考えられました(囲み型配置、または、コの字型配置)。

このように千里ニュータウンの団地の住棟配置は、UR団地(C棟)が「平行配置」、府営住宅(B棟)が「囲み型配置」という違いがありますが、この中で新千里東町団地はUR団地の中では珍しい「囲み型配置」が採用されています。ただし、府営住宅のように住棟をきちっと囲んで中庭を作る(囲われた中庭を作る)のではなく、住宅を緩やかに配置することで連続した中庭が作られているのが特徴です。

中層住棟の中には、1階部分を自由に行き来できるピロティをもつ中廊下型の住棟、階段室の入口が住棟の両側にある(通り抜けのできる階段室のある)住棟もあり、これらも連続的な中庭を作るための工夫です。
中庭の遊び場に面した中層住棟の壁面には、鳥、コアラ、象、宇宙飛行士などの壁画が描かれていました。しかし、壁画は屋外広告にあたるということで、一部の壁画は再塗装の時に消されてしまいました。また、中層住棟は大阪万博の各国の従業員の宿舎として利用されていたという歴史もあります。

141229新千里東町団地

(住棟により緩やかに囲まれた中庭)

(ピロティをもつ中廊下型の住棟)

(通り抜けのできる階段室)

4棟の高層住棟も屏風のようなかたちで配置されており、その間のスペースは中庭になっています。高層住棟も中廊下型と珍しいタイプとなっています。

(4棟の高層住棟)

4棟の高層住棟は、順次、UR千里グリーンヒルズ東町の住棟への建替えが進められています。

千里阪急・千里セルシー

動画の後半に映っている千里中央地区の千里阪急と千里セルシーは再開発されることが発表されています。このうち、千里セルシーは2018年6月18日に発生した大阪府北部地震の影響を受け、営業が見合わされることとなりました。その後、一部の店舗は営業が再開されましたが、再開発に向け2019年5月31日に商業施設としての営業が終了しています。


■注

(更新:2024年2月25日)