佐藤優氏の『国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読んだ。
1年ぐらい前に紹介してもらった本。すぐに購入したものの、なかなか読む機会がなく、ずっと本棚に眠っていた。最近、ふとこの本を手に取り、ひきこまれるようにして読んだ。
2002年、鈴木宗男氏が逮捕された背景についての分析が興味深い。鈴木氏は、日本で進行している内政における「「公平配分モデル」から「傾斜配分モデル」へ」の転換、外交における「「国際協調的愛国主義」から「排外主義的ナショナリズム」へ」の転換を促進するための標的となったとのこと。
こういう見方ができるのかと、同時に、自分自身は何も考えずマスメディアに流れるイメージを鵜呑みにしていたのだなと思わされる。
現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので、どうも国策捜査の対象になったのではないかという構図が見えてきた。
小泉政権の成立後、日本の国家政策は内政、外交の両面で大きく変化した。・・・・・・。内政上の変化は、競争原理を強化し、日本経済を活性化し、国力を強化することである。外交上の変化は、日本人の国家意識、民族意識の強化である。
*佐藤優『国家の罠』新潮文庫 2007年(新潮社 2005年)
新自由主義とナショナリズム、佐藤氏はこの2つは両立できないものだと書いている。
内政上の転換の基礎となる「ハイエク型新自由主義モデル」と「ヘーゲル型有機体モデル」は基本的に両立できない。なぜなら、ハイエク型新自由主義モデルでは、究極的には外部に対する「窓」を持たない個人が基礎単位となるのに対して、ヘーゲル型有機体モデルでは個人ではなく民族や国家が基礎単位となるからである。・・・・・・
本来、両立しえない二つの目標を掲げ、現在日本の政策転換が進められているように私には思えてならない。この絶対矛盾が自己同一を達成し、新たなパラダイムを構築するのであろうか。それとも、この矛盾が解消されず、現在断罪されつつある鈴木氏に代表される公平配分路線、国際協調的愛国主義の価値がもう一度見直されることになるのか。
*佐藤優『国家の罠』新潮文庫 2007年(新潮社 2005年)
両立し得ない新自由主義とナショナリズムとを、無理に両立させようとする時に立ち現れてくるのは…
ファシズム??
柄谷行人氏は次のように書いている。
近代国家においては、異なる三つの交換原理の三位一体、すなわち、資本=ネーション=ステート(capitalist-nation-state)が形成されます。それらは相互に補完しあい、補強しあうようになっています。たとえば、経済的に自由に振る舞い、そのことが階級的対立に既決したとすれば、それを国民の相互扶助的な感情によって越え、国家によって規制し富を再分配する、というような具合です。その場合、資本主義だけを打倒しようとすると、国家的な管理を強化することになるし、あるいは、ネーションの感情に足をすくわれる。前者がスターリン主義で、後者がファシズムです。資本主義のグローバリゼーションによって、国民国家が解体されるだろうという見通しが語られることがありますが、国家やネーションがそれによって消滅することはありません。たとえば、資本主義のグローバリゼーション(新自由主義)によって、各国の経済が圧迫されると、国家による保護(再分配)を求め、また、ナショナルな文化的同一性や地域経済の保護といったものに向かいます。資本への対抗が、同時に国家とネーション(共同体)への対抗でなければならない理由がここにあるのです。資本=ネーション=ステートは、三位一体であるがゆえに、強力です。そのどれかを否定しようとしても、結局、この環のなかに回収されてしまうほかない。それは、それらがたんなる幻想ではなくて、それぞれ異なった「交換」原理に根ざしているからです。
*柄谷行人「NAM結成のために」・柄谷行人 西部忠 高瀬幸途 朽木水編『NAM原理』太田出版 2000年
3つの交換の原理が三位一体となった「資本=ネーション=ステート」に対して、柄谷氏は「アソシエーション」というもう1つの交換の原理を提示する。
そこで、この三つの交換でないような交換の原理、つまり、アソシエーションによる交換が重要となってくるのです。つまり、諸個人の自由な契約にもとづき、相互扶助的だが排他的でない、貨幣を用いるがそれが資本に転化しないような、交換です。だから、この交換は倫理的−経済的なものです。このような交換原理をトランスナショナルに広げたときにのみ、三つの交換原理に根ざす資本=ネーション=ステートは、その基盤を失い、消滅するでしょう。
*柄谷行人「NAM結成のために」・柄谷行人 西部忠 高瀬幸途 朽木水編『NAM原理』太田出版 2000年
考えたいこと、考えるべきことはまだまだ多い。
あくまでも身体をもった、具体的な場所に生きる人間ということにこだわりつつ考えてみたい。