2011年度から、千里グッズの会は豊中市との協働事業ディスカバー千里を進めています。
このプロジェクトにおいて、千里の暮らしの知恵や生活の物語を記録し、伝え、活かしていくために、千里にお住まいの方、開発に携わられた方へインタビューしたり、千里にまつわる様々な媒体の資料を収集したり、千里の風景を写真として記録するという「暮らしの歴史アーカイブ事業」を行っています。
この1つとして、統計という観点からも千里の歩みを振り返ることができればよいと考えており、少しずつ統計を集めています。まだ作業は進行中ですが、集めた統計はこのブログで紹介していきたいと考えています。
今回ご紹介するのは、北大阪急行についての統計。北大阪急行は1970(昭和45)年、つまり、万博が開催された年の2月24日に開通しました。以下のグラフは、北大阪急行の「千里中央駅」の1日の乗車人数の総数です。
グラフの通り、1970年の開通以来、乗車人数は増加。千里ニュータウンの人口はこちらにも掲載している通り、1975年にピークを迎えましたが、千里中央駅の乗車人員は1975年以降も上昇を続けています。千里中央へ働きに来る人が増加したため? あるいは、千里の周りに住んでいる人が千里中央駅を経由して、大阪都心に働きに行っているため? でしょうか…
2000年に入ると、1990年代に比べて乗車人数は減少していますが、近年、千里中央駅周辺の再開発が進められていますので。今後、乗車人数はまた増加していくのかもしれません。
なお、万博会場へのアクセスのため、1970(昭和45)年2月24日から9月12日まで「万国博中央口」駅が開設されていました。この間の「万国博中央口」駅からの乗車人数は22,647,837人。平均すると1日あたり11万5千人という人数になります。
ただし、万博の会期は3月15日から9月13日までですので、ピーク時に11万5千人を超える人々が乗降者していたことが予想されます。
統計自体は、数字ですし、無味乾燥なものかもしれません。しかし、統計は千里の歩みを振り返るための1つのきっかけになるのではないかと思います。
先日、アメリカ滞在に訪れたあるミュージアムでは、来訪者に対して上手く統計を提示して、ディスカッションの糸口とされていました。
統計を集めることと同時に、集めた統計をどうやって効果的に使っていくかということも考えていきたいと思います。
*グラフのデータについて
上のグラフは『豊中市統計書』に掲載されている人数を元に作成したものですが、1985(昭和60)年頃までは1年間の乗車人数の総数が、それ以降は1日の乗車人数の総数が掲載されているというように、掲載されているデータの形式が変更されています。
そこで、上のグラフの青色の部分は、1年間の総数を1日分に補正するため365で割った人数(ただし閏年は366で割った人数。1970(昭和45)年は2月24日から開通しているため302で割った人数)を掲載しています。
なお、1995(平成7)年は調査未実施です。