『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

府営千里佐竹台住宅の単位自治会:千里ニュータウンにおける自治会の始まり

管理人と単位自治会

千里ニュータウンの府営住宅では、これまで団地に住んだ経験がなかった住民をサポートするため、大阪府職員とその家族が管理人(管理員)として暮らしていました。
例えば、千里ニュータウンで最初に入居が始まった府営千里佐竹台住宅には11人の管理人が生活していました。

号館    住所     氏名 備考
一~二   二の三〇二  Y (庶務課)*1)
四~五   四の三〇一  M (知事室)
六~八   八の一〇一  H (水産課)
九~一一  一〇の二〇一 T (住宅建設課)
一二~一四 一二の五〇一 H (職業安定課)
一五~二二 一七の一〇一 O (林務課)
二三~二九 二五の一〇一 K (統計課)
三〇~三八 三五の二〇二 S (西成府税)
三九~四一 三九の二〇一 N (計画課)
四二~四三 四二の一〇一 N (枚方土木課)
四四~四五 四四の一〇一 S (耕地課)
※「千里丘陵ニュータウン 9月15日入居開始」・『千里山タイムス』昭和37年9月14日号*2)

管理人だった方の話によると、府営千里佐竹台住宅では管理人を中心として、管理人が担当するブロック単位で自治会(単位自治会)が立ち上げられたということです。

130119府営千里佐竹台住宅 単位自治会

(府営千里佐竹台住宅の単位自治会)*3)

団地という均質なイメージを持ちますが、府営千里佐竹台住宅は「囲み型配置」(コの字型配置)の住棟で、B9〜11棟によって立ち上げられた「コの字会」は住棟配置の形態からその名前が付けられています。

「コの字型配置と平行配置
・・・・・・、私どもの企業局が造成した造成地に住宅を建てるのは戸建住宅以外は同じ大阪府のなかでも建築部であり住宅協会(後の府住宅供給公社)であり、あるいは住宅公団(後の住宅都市公団で現在の都市基盤整備公団)や一部給与住宅(社宅住宅)で、仲々最初に私どもが描いた配置通りにはなりません。彼らは実際の住宅供給の経営責任から、企業局で先に描いたようないわゆる「コの字型」配置に対して従来からの南面重視の平行配置を主張しました。
「コの字型」配置は住宅棟の囲みによるコミュニティの構成を企図したものです。佐竹台の自治会にいまも「コの字会」というのがありますがこれはその名残りです。」(山地英雄, 2002)

「コの字会」の人々は仲がよかったようで、コの字の中の砂場は子どもも母親も集まる場所で、コの字の中で衣類や靴の交換もしていたとのことです。「囲みによるコミュニティの構成」という計画者の思いが、上手く実現した例だと思います。

この他、「東陵会」「睦会」「千里会」などそれぞれの単位自治会に個性的な名前がつけられていることからも、府営千里佐竹台住宅が均質でないものとして捉えられていた可能性が浮かびあがってきます。

自治連合会の立ち上げ

府営千里佐竹台住宅の入居が始まったのが1962年(昭和37年)9月15日。入居後、管理人を中心としてブロックごとに単位自治会が立ち上げられ、入居から2ヶ月が経過した1962年11月末には早くも、11の単位自治会をまとめる「佐竹台地区自治連絡協議会」が結成されています。

「この連絡会議は早速大阪府および吹田市の関係機関に、住みよいニュータウンづくりのために次のような六項目の要望事項を提出しました。

(一)ニュータウンの水道料金を吹田市内なみにすること。
(二)公衆電話は近隣センター内のタバコ屋さんに1カ所、それもタバコ屋さんが店を閉める午後7時以降は利用できないので、ボックスの街頭公衆電話を早急に設置してほしい。郵便関係では、速達郵便が配達区域外ということで配達してもらえないので速やかに対策を考えてほしい。
(三)診療所が開設されたが、お医者さんは自宅から通勤ということで夜間は無医村状態になる。吹田市民病院から急患の場合に往診できる体制をつくってほしい。
(四)国鉄の小荷物扱いも配達区域外になっているので検討してほしい。
(五)公立幼稚園を来年4月までにつくって欲しい。
(六)ニュータウン内の阪急バスの始発・終発時間帯を繰り上げ繰り下げてほしい。

これに対し、ただちには良い回答は得られませんでしたが、その後、この要望がきっかけとなって住民運動の輪が大きく広がり、その一つ一つが改訂・改善に向かいました。」(山地英雄, 2002)

千里ニュータウンに入居した人々が何を求めていたのかが、この6項目の要望書には現れています。この後、入居から約10ヶ月が経過した1963年(昭和38年)7月に自治連合会が結成されました。

「・・・・・・、住民運動も佐竹台地区の府営住宅の「管理人」ごとの11グループをまとめる自治会組織ではなくもっと範囲を広めた自治会連合会結成への気運が翌年の昭和38年のはじめから活発化してきました。

このような動きを見せながら昭和38年6月19日には各単位自治会の代表者が準備委員会を開催、7月7日の代表者会議で「佐竹台自治連合会」が結成されました。」(山地英雄, 2002)

「これまで千里丘陵佐竹台地区では十一ブロックが夫々単独自治会を結成、自治活動をつづけて来たが、隣接の高野台地区もすでに入居が完了、千里丘陵ニュータウンもようやく四千戸約二万人の人口を抱える市街地に発展したのを機会に連合会結成の気運が盛りあがって来たので去る六月十九日各自治会代表が開発センターに集まつて準備委員会を開催討議の結果、会則等の草案も完了したので七月七日第二回代表者会議を招集、満場一致で連合会結成を決議した。

当日定刻一時には各自治会代表として
東陵会    T B四五の二〇二
睦会     A B三〇の一〇一
       M B三三の一〇一
千里会    H B四二の三〇一
菩提会    A B一二の一〇八
       Y B一三の一〇一
佐竹台四五会 M B五の二〇七
七幸会    S B二七の二〇一
       F B二三の一〇一
佐竹会    F B一七の二〇四
       N B一八の一〇二
一二三会   H B一の一〇六
       T B二の二〇五
みつわ会   N B四一の一〇六
コの字会   S B一一の一〇八
       E B一一の三〇八
千陵会    M B八の二〇五
       W B六の一〇一
の各氏が出席、Y氏が議長に選ばれて会則の審議を行なった会則審議中で注目された点は、第二条目的の自治連合会としては政治宗教活動は認めないとうたったことと今後結成されるであらう協会住宅、分譲住宅地域の自治会との友好と協力を推進してゆくことなどでその他字句の一つ一つについて真剣に討議されたがおおむね原案通り承認された。
会則の審議完了と同時に役員選出が行なわれ初代役員には夫々次の人たちが選ばれた。
会長  A氏(菩提会)
副会長 Y氏(コの字会)
〃   H氏(一二三会)
会計  F氏(佐竹会)
なお会則第七条に依る専門員会は広報、施設等七部が設けられ次の単位自治会の代表が部長として今後の自治連合会の実践活動を担当することになった。
佐竹四五会 広報部
東陵会   厚生部
睦会    文化体育部
千稜会   生活部
七幸会   衛生部
みつわ会  防犯部
千里会   施設部
※「千里佐竹台地区 自治連合会結成」・『千里山タイムス』昭和38年7月11日号*4)

1963年8月初めには「自治連合会」結成を記念して、盆踊り大会が開かれています。

団地盆踊大会
日時  八月三日より五日間 午後八時——十時迄
ところ 佐竹台診療所裏広場

特報
盆踊り唄募集 (佐竹台地区居住者に限る)
締切 七月二十一日午前中
投稿場所 センター事務所
賞金 一位入選作に金五千円(千里山タイムス賞)
詳細は各自治会文化部でお尋ね下さい

主催 千里山丘陵佐竹台自治連合会
後援 千里山タイムス社
※「佐竹台地区自治連合会 結成記念団地祭り」・『千里山タイムス』昭和38年7月11日号

ただし、自治連合会の活動は順調だったわけでないようで、結成から4ヶ月後の10月には会長の辞意表明という出来事も起こっています。

「去る七月七日佐竹台地区十一ブロックの単位自治会が結集、佐竹台自治連合会として発足以来四ヶ月、住民の意志の疎通を図るとともに住区の発展に寄与することを目的にして活躍して来たが十月十三日の役員会の席上、A会長が突然辞任を申入れた、加えてA会長辞任表明の責任をとつて一部単位自治会々長も辞任するとの噂もありニュータウンの自治活動の今後に多くの波紋が投げかけられている。

今回のA会長辞任表明は突然と云えば突然ながらそうした気運が一ヶ月程前から動いていたことは事実で予期し得ないことではなかった。
かつて単位自治会(佐竹台府営住宅十一ブロック)が大阪府の官制自治会だとの批判もあつてそれからの脱皮と云う目的も手伝つて住民の自主的な自治会に発展することに最大の期待をかけてこの連合会が結成された。しかし、ニュータウンと云う新しい町づくりに同じ時に同じ条件でこの町に住みついた人々には旧市に見られるような新旧や社会的地位の序列はなかった。こゝではすくなくとも会長初め会員の誰もが独裁的な強引さは許されなかつたし又誰もがその横暴を敢えてやらなかった。自治連合会はあくまで住民の意志を尊重し民主的なルールで運営されて来た。だがその民主的なルールには時には多数の意見をすべて会運営の中に反映させねばならない難しさがあつた。まして十一単位自治会にはそれぞれ独自の意向とカラーがあり連合会役員である単位自治会会長はそれぞれの単位自治会の意向に忠実であらねばならない苦しさがあったようである。」
※「佐竹台地区自治連合会 A会長辞意表明 多頭集団制の犠牲?」・『千里山タイムス』昭和38年10月25日号*5)

新しい町である千里ニュータウンは「旧市」と違って「新旧や社会的地位の序列」のない町であり、「民主的なルールで運営」される必要がある。その一方で、「十一単位自治会にはそれぞれ独自の意向とカラー」がある。この記事からも、千里ニュータウンは「旧市」とは異なるものの、決して均質な町ではなかったことが伺えます。また、入居からわずか1年で「十一単位自治会にはそれぞれ独自の意向とカラー」があると認識される状況になっていることも興味深い点です。

管理人と単位自治会の代表

佐竹台では、管理人を中心としてブロックごとに単位自治会が立ち上げられました。このことに関して、管理人は単位自治会の代表になったのかどうかを最後に確認したいと思います。

先に紹介した2つの新聞記事から、管理人と単位自治会の代表を整理すると次のようになります*6)。

この表を見ると、単位自治会の代表は全員が、管理人とは別の人物になっています*7)。つまり、管理人を中心としてブロックごとに単位自治会が立ち上げられましたが、管理人自体が単位自治会の代表になったわけではないということになります。

なお、佐竹台の隣の高野台では、ブロックごとの単位自治会ではなく、最初に「高野台生活共同体」が結成され、それが自治連絡協議会に発展したというように、佐竹台とは異なる道を歩んいます。


■注

  • 1)新聞記事では三号館が抜け落ちているが、以下で見るようにB1~3棟で「一二三(ひふみ)会」という名前の単位自治会が立ち上げられたため、この3棟が同じブロックだったと考えることができる。それゆえ、三号館が抜け落ちているのは、新聞記事の誤り(抜け落ち)だと思われる。
  • 2)記事には実名が記載されているが、ここでは性の頭文字のアルファベットのみ記載している。
  • 3)府営千里佐竹台住宅の住棟の中には既に建て替えられたものもあるため、住棟の位置は、1972年(昭和47年)に刊行された地図によって確認した。当初、府営千里佐竹台住宅の単位自治会は11だったが、その後、B46~48棟が完成したため、最終的に単位自治会は12になった。
  • 4)記事には実名が記載されているが、ここでは性の頭文字のアルファベットのみ記載している。
  • 5)記事には実名が記載されているが、ここでは性の頭文字のアルファベットのみ記載している。
  • 6)「千里丘陵ニュータウン 9月15日入居開始」・『千里山タイムス』昭和37年9月14日号、千里佐竹台地区 自治連合会結成」・『千里山タイムス』昭和38年7月11日号より作成。
  • 7)表では姓の頭文字のアルファベットしか記載していないが、新聞記事には姓名が記載されている。

■参考文献

(更新:2022年4月18日)