『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

「適当に」やることの意味

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「居場所ハウス」で運営している料理ハウス(食堂)。これまで平日はうどん・そばを中心に提供していましたが、最近、平日もカレーライスを提供し初めました。

カレーライスにいれるご飯の分量をスタッフが確認するため、料理ハウスの中に「大盛りの場合は○○g、普通盛りは○○g」と書かれた紙が貼られています。これに対して、わざわざ貼り紙をしなくても目分量でいいのにという意見もあります。

カレーライスにいれるご飯の分量を書いた貼り紙は必要か? それとも、不要か? 些細なことに思われるかもしれませんが、この背景には、「居場所ハウス」の運営を継続するため食材を無駄にしたくない、みなに同じものを食べてもらいたいという考えと、「居場所ハウス」をおおらかな雰囲気で運営したいという考えがあり、いずれも「居場所ハウス」にとっては大切な考えです。

無駄を出さないことに固執する余り堅苦しい雰囲気になってはいけませんし、かといって、おおらかにする余りみながバラバラになってしまってもいけません。当たり前のことですが、両者のバランスを取ることが大切です。

ただ、両者のバランスをとるとは、どっちつかずの中途半端なルールを定めることではないと思います(どっちつかずというのは、バランスを取ることとは違う)。大切なのは、「このようにする」という大きな枠組みきちっとみなで共有した上で、それを目安としながら各自の判断でやること。こういう意味での「適当に」やるという姿勢。
そして、大きな枠組みを共有する際、「居場所ハウス」のような色々な世代の、色々な考え方の人が集まってくる場所では、「わざわざ言わなくてもわかるでしょ」というのでは最初からそれを共有しない人に対して排他的になってしまう恐れもありますし、みながわかったつもりだったが全然違ったということもあります。だから、あえて明示的に文書として大きな枠組みを示しておくことも必要だと思います。
カレーライスのご飯の分量で大袈裟な話をしていますが、必ずしも固執する必要のないマニュアルが求められているのだと思います。

カレーライスの提供を始めたことによって、料理ハウス内貼られた貼り紙。今後、料理ハウスの運営を継続していって、みなが慣れてくれば、貼り紙がなくなる日がやって来るのかもしれません。