『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

居場所ハウス、3年間のあゆみ

「居場所ハウス」は2013年6月13日にオープンし、間もなくオープンから3周年を迎えます。
3年間の歩みを振り返るため、これまでに撮影した写真を整理しましたのでよろしければご覧ください。変化がわかりやすいように、なるべく同じ場所から撮影した写真を選んでいます。

居場所ハウスの建物内

3年前の写真を振り返ると、物も少なく、壁にもほとんど掲示・展示がなされていません。購入したもの、寄贈されたもの、あるいは、地域の人々が持って来てくださったもの。運営を続けるうちに次第に物が増え、それを収納するための棚などを設置していきました。3年前に比べると、物が増えてゴチャゴチャした感じもしますが、これが生活感の表れというのかもしれません。
写真を見ていくと、空間が変化している部分がいくつかあることに気づくと思います。「居場所ハウス」ではオープンしてから土間(カフェ・スペース)と和室の間にあった柱を撤去したり、キッチン脇に勝手口を設置したり、和室奥の板の間部分に畳を敷いたり、照明を増やしたりしてきました。これらは土間と和室の間に柱があると邪魔、勝手口がないと不便、和室の畳と板の間の間に段差があるとつまずいて危険だし、畳の方が広々と使える、和室の照明が暗いなど、運営を続けていく上で出されてきた声に応えたもの。最近では土間(カフェ・スペース)の壁に棚を設置。地域の方々作った小物、帽子、エプロンなどを販売するためのコーナーとしています。

居場所ハウスの建物外

大きく変化しているのは建物内だけではありません。屋外も3年間で大きく変化しました。
特に大きく変化したのは月見台の奥です。3年前の写真を見ると月見台の奥には何もなく隣家が見えていますが、その後、法面に落ちないように安全柵を作っています。そして食事を提供するためにキッチンカーを借りていた時期もありました。しかし思うように使いこなすことができなかったため、キッチンカーを返却。2015年に入ってから食堂の奥に食堂の建設を始めました。建設工事はメンバーのKさんと、Kさんの同級生で大工を営む方が中心となりすすめられました。
こうして2015年5月から食堂の運営をスタートしましたが、食堂から「居場所ハウス」に食事を運ぶために屋外を通る必要がありました。雨の日は1人が食事を持ち、もう1人が傘を持って食事を運ぶという苦労をしてきましたが、スタッフからは食堂と「居場所ハウス」の間に屋根が欲しいという声。そこで2016年になってから、食堂と「居場所ハウス」の間の屋根付きの通路を増築することになりました。この通路は、屋外のテーブル、朝市の販売台などの収納スペースにもなっています。

「居場所ハウス」ではオープン以来様々な活動を展開してきましたが、誰も、今のような姿になるとは想像していなかったと思います。「こんなことができたらいいな、じゃあやってみよう」、「この部分が使いにくいな、じゃあ使いやすいように変えよう」ということの試行錯誤を通して、地域の人々が徐々に作りあげてきた場所。「居場所ハウス」の建物内外には、3年間の運営の蓄積が刻まれています。


3年間で変化したのは「居場所ハウス」だけではありません。「居場所ハウス」の周辺地域も大きく変化しました。

「居場所ハウス」の南側には県営の災害公営住宅55戸が建設されました。最初、林だった部分が切り開かれ、徐々に高層の集合住宅が姿を現していきました。また、「居場所ハウス」の北側には防災集団移転として約30戸の戸建住宅が建設されつつあります。
県営の災害公営住宅は今ちょうど鍵の引き渡しが行われ、引っ越しが始まろうとしています。一方、防災集団移転への入居は既に始まっています。復興の過程において大きく変化していく地域において、「居場所ハウス」はどのような役割を担っていけるか。周囲に移転してくる方々を交えて、どのような場所を実現していくか。これが、「居場所ハウス」の今後の大きな挑戦となります。