『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

パブリックな場所について

写真はネパールのカトマンズ市の南にあるラリトプル(Lalitpur)を歩いていた時に見かけた光景。住宅、お店が並ぶエリアを歩いていると、急に開けたオープンスペースに出ました。地図にはヒンドゥー教のシヴァ寺院と書かれています。
写真のように多くの洗濯物が干されています。水場で洗濯している人、座って話をする人、走り回っている子ども。周りには食べ物を売る屋台も出されていました。
それぞれの人が、それぞれの場所で、それぞれのことをしている。それぞれの人は決して非日常としてではなく、日常の暮らしとしてそこに居る。

自然と集まってくる人々が、日常の暮らしの光景を生み出していること。このような場所こそ、パブリックな場所と呼ぶに相応しいのではないか。この光景を見て感じたことです。
これを裏返せば、パブリックな場所を目指して空間を作ったものの、そこに人が集まってこないという状況は、その時点で既にその空間はパブリックな場所になっていない、ということかもしれません。