『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

都市の中庭(バハール)で遊ぶ子どもたち@ネパールのパタン

写真はネパールのパタン(Patan)で撮影した写真。パタンはネパールの古都のあった場所で、正式名はラリトプル(Lalitpur)。

以前、ネパール出身で歴史的建築物の保存などに関わっている方から聞いた話では、パタンではコミュニティの単位をグチ(Guthi)、建物に囲われた中庭をバハール(Bahal)、あるいは、ビハール(Bihar)と呼ぶということです。小さなバハールは1つのグチで、大きなバハールになると複数のグチで管理されているというように、バハールはグチによって管理されるコミュニティの場所になっている。

写真はゴールデン・テンプルのすぐ裏側のバハールで撮影したものですが、この光景を見て次のようなことを感じました。

1つは、暮らしが宗教的な場所とともにあること。
子どもたちは祠の脇にある台を利用して卓球をしています。(現在の日本に住む者にとってみれば)宗教的な場所は安易に触れてはいけない、遊びに利用してはいけないというように、宗教的な場所を日々の暮らしの外側にある厳かなものと考えてしまいます。しかし、ネパールを歩くと、宗教的な場所が日々の暮らしに溶け込んでいるのではないかと強く感じます。

もう1つは、子どもたちが大人に見守られながら遊んでいること。
卓球をしている子どもたちの後ろには、座って話をしている女性の姿が見えます。2階の窓から眺めている女性の姿も見えます。子どもは、大人と直接話をしているわけではありませんが、大人たちの目の届く中で遊んでいる。バハールというコミュニティの場所があることで生まれる子どもと大人の関わりの光景と言えるかもしれません。