写真はネパールのパタン旧市街で見かけた結婚パレードの様子。
パレードの先頭は赤い服を来たブラスバンド。その後ろを、親類や友人だと思われる人がついて歩いています。最後に、新郎新婦らが乗ったデコレーションされた車。通りかかった人や、道で物を売っている人もパレードの様子を見守っています。
パタン旧市街の道は細く入り組んでおり、パレードとすれ違うバイク、追い越そうとするバイクは渋滞になっていました。それでも、パレードが規制されることなく行われている。
特別な日の行事が施設の中ではなく、日々の暮らしの場で行われていること。2月に訪問したパシュパティナート(Pashupatinath)で火葬を見た時にも同じことを感じました。
現在、日本では結婚式は式場で、葬儀は葬儀場でというように、特別な日の行事は施設の中で行われている。参加するのは新郎新婦や故人と何らかの関係をもっている人。特別な行事が施設の中で、個々人の関係において行われているのに対して、ネパールでは結婚式のパレードや葬儀が、居合わせた不特定多数の人が触れることのできるものになっているということ。
結婚式や葬儀といった特別な行事を、個々人の関係の中だけに収めるのではなく、そこに居合わせた誰もが共に祝い、弔うことを共有できるような関係。施設化によって失われた関係です。
けれども、日本でも少し前ではこのような関係が地域には存在したのだと思います。「居場所ハウス」のある末崎町でも、何十年か前(現在、高齢の方が既に生まれていた時期なので、そんなに遠い昔ではない)には、結婚式では新婦の家から新郎の家まで行列が行われたとのこと。行列の途中では地域の人が迎え、道中ではお酒が振る舞われたため、お婿さんは家にたどり着くまでに酔っ払ってしまうこともあったようです。行列には道化が来て、踊ったり歌ったりしていたとのこと。
こうした話を聞くと、地域とは日々の暮らしを送る場であると同時に、結婚式や葬儀という特別な日の行事を行う場でもあることを思い知らされます。
現在、日本では地域での暮らしを見直すことの重要性が盛んに言われていますが、地域とは特別な日の行事を行う場でもあったことは、それを直に体験したことのない世代にとっては、思い描くのが難しいかもしれません。