ネパールのパタンは、カトマンズ市のすぐ南に位置する古都です。
パタンの道は細く、迷路のように入り組んでいます。そして、門をくぐると急に広場が現れる。以前ご紹介したように建物に囲われた中庭はバハール(Bahal)、あるいは、ビハール(Bihar)と呼ばれています。
大小様々な大きさのバハール/ビハールに限らず、パタンには寺院、象、お祈りする場所など宗教に関わるものが至るところにある。こうした光景を目にして、最初は宗教が日常の暮らしの中に溶け込んでいると感じましたが、この表現は恐らく正確ではなく、日常的な暮らしの中に、既に宗教が含まれていると表現すべきなのだと思わされました。
パタン旧市街を歩いてもう1つ気がつくのはお店が至るところにあること。
細い通路(中庭に対して表通り)の両側にある建物の1階部分、中庭であるバハール/ビハールに面した建物の1階部分は野菜や果物、食品を売る店、日用品を売る店、ちょっとした食事ができるお店や、家具や象を作る工房などが並んでいます。ちょっとした広場には屋台で物を売る人、天秤をかついで野菜や果物などを売り歩いている人。
ここで見られる光景は、住宅地と商業地区、業務地区が明確に分けられたニュータウンとは正反対のもの。
このようにパタンでは宗教に関わりのあるもの、お店が至るところに見ることができますが、住宅、宗教施設、商業施設、業務施設といった視点を持っていると、パタンは住宅が種々の施設と混じり合った街なのだと捉えたくなります。
けれども、こうした捉え方は正確ではないのだろうと思います。日々の暮らし、あるいは、住まいの場においては、宗教的なもの、お店などが不可欠のもの。
それが近代化の過程において、日々の暮らし、あるいは住まいの場から特定の機能をもった施設が分化することで成立し、そこに(現在、使われている意味での)住宅というものが残された。
パタンを歩いていると、日々の暮らし、あるいは、住まいの場とは住宅や種々の施設によって構成されているという見方は決して当たり前ではないことを思わされます。
このことは、大阪府の千里ニュータウンにおける「ひがしまち街角広場」の試み、つまり、住宅と様々な施設が明確に分けられ計画されたニュータウンには、住民が気軽にふらっと立ち寄り、気軽に話ができる場所がないという問題意識を抱いた住民の女性によって、空き店舗を活用して開かれている場所が教えてくれることに通じています。