『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

福島原発付近の国道6号線沿いの光景(2020年9月)

先日、岩手県大船渡市から関西まで、JR常磐線を経由して移動する計画を立てました。
JR常磐線は仙台と東京を結ぶ路線。東日本大震災の被害を受け不通区間が残っていましたが、震災から約9年後の2020年3月14日、最後まで不通になっていた浪江駅・富岡駅の間が開通し、全線開通となりました。全線開通に伴い、仙台と東京を直通で結ぶ特急「ひたち」も運行しています。

震災から約9年半が経過し、福島第一原子力発電所(以下、福島原発)の近くはどのような景色になっているのか。観光気分で行くべきではない、電車の窓から見るだけで何がわかるのかなどとも考えましたが、そうであっても、実際に自分の目で見ないと何も知らない状況は変わらないと思い、JR常磐線に乗車することにしました。

※当日、大雨の影響でJR常磐線の一部区間が不通になり、急遽、高速バスで移動することに。さらに、常磐道の一部区間も不通になったため常磐富岡ICと南相馬ICの間は国道6号線を走行することになりました。結果的にはJR常磐線や常磐道よりも、福島原発の近くを通ることになりました。以下で掲載している写真は国道6号線を走行している時に撮影したものです。


記事執筆時点(2020年9月13日時点)でも、福島原発の周り(北から飯館村、南相馬市、浪江町、葛尾村、双葉町、大熊町、富岡町)には「帰還困難区域」が設定されています。「帰還困難区域」とは「年間積算量が50ミリシーベルトを超えて、5年間たっても年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれがある区域」で、「引き続き避難の徹底」が求められる区域のこと*1)。

この地域を故郷とされている方々には失礼な表現になるかもしれませんが、福島原発に近づくと草に覆われた光景にまず目が止まりました。住宅や店舗などの建物、田畑など、一帯が草に覆われています。歩道のコンクリートの割れ目からも草がはえています。

封鎖されている道路もいくつも見かけました。側には「通行制限中/この先帰宅困難区域につき通行止め」、「通行証確認中」、「ご迷惑をおかけします/建物等除染作業を行っています」という看板が設置されています。

除染のために除去した土の仮置き場も見かけました。ダンプカーが列になって走行している光景も印象に残っています。

福島原発の周りの避難指示区域は徐々に解除されるなど復興は進んでいますが、「帰還困難区域」に指定されたままになっている区域がどのようなかたちで復興していくのか、そもそも復興とはどのような状態をいうのかなどの思いが頭をよぎります。
その一方で、新型コロナウイルス感染症が発生していなければ「復興五輪」が開催されているはずでしたが、この景色を見ると色々なことを考えさせられます。


  • *1)ふくしま復興ステーション(復興情報ポータルサイト)「避難区域の変遷について−解説−」(2020年3月6日更新)のページより。2012年4月1日に避難指示区域は、○「避難指示解除準備区域」(年間積算線量が20ミリシーベルト以下になることが確実と確認された区域)、○「居住制限区域」(年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるおそれがあって、引き続き避難の継続が求められる区域)、○「帰還困難区域」の3つに見直された。2020年3月10日に双葉町、大熊町、富岡町で避難指示区域が解除されたことで、現在、残された避難指示区域は「帰宅困難区域」だけになっている。