近年、千里ニュータウンでは再開発により民間の分譲マンションが建設されつつありますが、当初、千里ニュータウンの団地は、府公社団地(A棟)、府営住宅(B棟)、公団団地/UR団地(C棟)、社宅(D棟)の4つに分けられていました。この記事では府公社団地(A棟)について、特に再開発前の様子をご紹介します。
府公社団地(A棟)は、大阪府住宅供給公社によって建設された団地で、賃貸と分譲があり、高野台を除く11住区に建設されました。
「大阪府住宅供給公社は、もとの大阪府住宅協会の事業を引き継ぎ、大阪府下の住宅難の解消、都市の不燃化を基本的な目的として、昭和40年11月に発足したものである。公社は住宅に困まっている勤労所得者を対象に、中高層の賃貸住宅の建設、および一般入居者を対象にした分譲住宅、宅地分譲などを行なっている。
千里ニュータウンでの公社住宅の建設戸数は当初3,000戸の予定であったが、最終的には約4,700戸が建設される。これらは中級勤労者をおもな入居対象とした賃貸住宅で、公社ではこのほか現在までに一般分譲住宅764戸、勤労者分譲住宅768戸、中高層長期分譲住宅73戸を建設している。」(大阪府, 1970)
府公社住宅(A棟) | 建設年度 | 戸数 | →変更 | |
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佐竹台(C) | 千里丘陵団地 | 1961 | 150 | →(建替)市営新佐竹台住宅 |
佐竹台(C) | 千里丘陵B団地 | 1962 | 350 | →(建替)OPH千里佐竹台、OPH千里佐竹台II、ザ・パークハウス南千里 |
佐竹台(C) | 佐竹台C団地 | 1965 | 280 | →(建替)ライオンズ南千里佐竹台グランハート |
佐竹台(C) | 佐竹台メゾネット団地【分譲】 | 1969 | 71 | →(建替)ブランズ南千里 |
高野台(B) | × | |||
古江台(H) | 千里古江台(H-A)団地(千里古江台団地)【分譲】 | 1972 | 120 | |
津雲台(A) | 千里丘陵C団地 | 1963 | 550 | →(建替)OPH南千里津雲台、プレミスト南千里津雲台パークブリーゼ |
津雲台(A) | 津雲台団地【分譲】 | 1965 | 96 | →(建替)プレミスト南千里津雲台パークフロント |
津雲台(A) | 千里津雲台第1次団地(千里津雲台団地)【分譲】 | 1969 | 106 | |
津雲台(A) | 千里津雲台第2次団地(千里津雲台団地)【分譲】 | 1969 | 66 | |
藤白台(G) | 千里丘陵G団地 | 1964 | 500 | →(建替)OPH北千里駅前、プレミスト北千里クラッシィ |
藤白台(G) | 藤白台B団地 | 1965 | 300 | →(建替)OPH北千里駅前 |
藤白台(G) | 藤白台メゾネット団地(千里メゾネット)【分譲】 | 1966 | 54 | →(建替)プラウド北千里 |
青山台(F) | 千里丘陵F団地 | 1964 | 200 | →(建替)OPH北千里青山台、ローレルコートアトレ千里青山台 |
新千里北町(I) | 新千里北町団地【分譲】 | 1970 | 112 | |
新千里東町(J) | 千里J団地(新千里桜ヶ丘住宅)【分譲】 | 1965 | 272 | →(建替)新千里桜ヶ丘メゾンシティ |
新千里東町(J) | 新千里東町団地 | 1965 | 110 | →(建替)OPH新千里東町、新千里東町アーバンライフ |
新千里東町(J) | 千里東町第1次団地(東丘住宅)【分譲】 | 1966 | 152 | →(建替)グランドメゾン千里中央東丘 |
新千里東町(J) | 千里東町第2次団地(深谷第一住宅)【分譲】 | 1967 | 128 | →(建替)ガーデンヒルズ千里中央 |
新千里東町(J) | 千里東町第3次団地(深谷第二住宅)【分譲】 | 1967 | 120 | →(建替)ジオメゾン新千里東町 |
新千里東町(J) | 千里東町第4次団地(あかしや)【分譲】 | 1968 | 120 | →(建替)ローレルコート新千里東町あかしやの丘 |
新千里東町(J) | 千里東町第5次団地(深谷第三住宅)【分譲】 | 1969 | 68 | →(建替)シティハウス千里中央 |
桃山台(D) | 千里桃山台団地【分譲】 | 1970 | 181 | |
竹見台(E) | 竹見台団地 | 1969 | 206 | |
竹見台(E) | 竹見台(E-A)団地(千里竹見台団地)【分譲】 | 1972 | 90 | |
新千里西町(K) | 新千里西町団地 | 1966 | 270 | →(建替)OPH千里西町緑地、千里中央エアヒルズ、プレステージ新千里西町 |
新千里西町(K) | 新千里西町B団地 | 1966 | 340 | →(建替)OPH新千里西町、ライフ&シニアハウス千里中央、千里中央プレイムステージ |
新千里南町(L) | 新千里南町B団地 | 1968 | 286 | →(建替)リバーガーデン千里中央あかり絵のみち |
新千里南町(L) | 新千里南町団地 | 1969 | 300 | →(建替)OPH新千里南町 |
新千里南町(L) | 千里南町メゾネット団地【分譲】 | 1969 | 104 | →(建替)シティテラス千里桃山台 |
新千里南町(L) | 新千里南町団地【分譲】 | 1970 | 310 | →(建替)ジオ千里桃山台 |
新千里南町(L) | 千里南町団地【分譲】 | 1971 | 60 | →(建替)エスリード千里桃山台 |
新千里南町(L) | 千里南町第2次(L-B)団地【分譲】 | 1972 | 120 | →(建替)シンフォニア新千里南町ガーデンズ |
新千里南町(L) | 千里南町(L-A)団地(千里南町第1次住宅)【分譲】 | 1972 | 132 |
- 千里ニュータウン開発時に建設された府公社団地。
- 表では入居が始まった順に住区を並べている。
- ( )内のアルファベットは計画時に用いられていた住区の記号を表す。
- 建設年度と戸数は、千里ニュータウン再生プラン研究会編『千里ニュータウン住宅地再生に向けた提言』(豊中市政研究所 2002年6月)に掲載の「参考資料2 千里ニュータウンにおける公的賃貸住宅の概要」、「参考資料3 千里ニュータウンにおける公的分譲住宅の概要」より。
表に掲載している通り、一見すると府公社団地の名称の付け方には統一したルールがないようですが、次のようなルールが見られます。
- ○○○団地(○○○は住区名)。これを基本として、同じ住区に複数の団地がある場合は「第1次」「第2次」としたり、「B団地」としたりする。また、佐竹台C団地」、「千里古江台(H-A)団地」、「千里J団地」(新千里東町)、「竹見台(E-A)団地」、「千里南町(L-A)団地」、「千里南町第2次(L-B)団地」のように住区名が正式に決定される前に用いられていたアルファベットの住区記号を用いた団地もある。
- 千里丘陵○団地(○はB、C、G、F、J)。BとCは建設された順番だが、G(藤白台)、F(青山台)は住区名が正式に決定される前に用いられていたアルファベットの住区記号を表す。
- ○○○メゾネット団地:(○○○は住区名)。佐竹台、藤白台、新千里南町の3団地のみ。
府公社団地は、既に大半が再開発により建て替えられています。このうち、大阪府住宅供給公社の賃貸住宅として建て替えられた場合、新たな団地には先頭にOPH(Osaka Prefectural Housing corporation:大阪府住宅供給公社)をつけた「OPH千里佐竹台」、「OPH新千里西町」という名称に変わっています。
団地の住棟配置は大きく囲み型配置(コの字型配置)と平行配置(並行配置)に分けることができます。千里ニュータウンでは主に府営住宅で囲み型配置が、公団団地/UR団地で平行配置が採用されていますが、府公社団地では囲み型配置を採用した団地、平行配置を採用した団地の両方が見られます。
「公社住宅の配置設計は、企業局のマスタープランに基づき、その趣旨を生かしながら過去の団地計画、建設等からの経験で公社独自の技法で設計される。まず配置をきめる条件の一つとして住宅の規模が問題となるが、公社住宅の建設資金が住宅金融公庫の融資をうけているため、融資の対象規模が配置設計の大きな条件となる。賃貸住宅は1戸当たりの敷地面積がすべて83平方メートル以下である。したがって、建設敷地に、大きな法面があって計画戸数の建設が困難な場合には、一度造成した敷地を、さらに公社の配置計画に合わせて再造成することもあった。
千里における公社団地の特色を地域ごとに眺めてみる。36年から37年にかけて建設した賃貸500戸の佐竹台団地は、公社がニュータウンにおいて最初に建設したものである。敷地は比較的高い位置にあるため、団地への進入路は多少こう配がついているが、団地中央の広場には集会所、子供の遊び場などがあり、その周囲に建物を囲み型に配置して団地特有のふん囲気をつくり出している。
38年度建設の津雲台550戸の地域は配水池についで高い位置にあり、配置は囲み型である。これは、すぐ西隣の公団住宅の白色の壁や平行配置とよい対照となっている。
39年度建設の藤白台、青山台の700戸については大部分が東西軸住棟を主にした平行配置である。ここでは各戸の居住条件と、戸数を多く建てることに重点が置かれた。40年度は佐竹台で290戸、藤白台300戸、新千里東町110戸を建設している。しかし、用地収得難から佐竹台ではマスタープランで予定している200戸に対し290戸の高い密度で建設しており、建物は平行配置である。」(大阪府, 1970)
佐竹台
千里丘陵団地
- 建設年度:1961年
- 戸数:150戸
大阪府住宅供給公社が千里ニュータウンに最初に建設した団地で、南千里駅の東側、佐竹台2丁目交差点の南東角に位置していた。市営新佐竹台住宅に建て替えられた。
千里丘陵B団地
- 建設年度:1962年
- 戸数:350戸
大阪府住宅供給公社が千里ニュータウンに最初に建設した団地で、南千里駅の南東に位置していた。再開発にあたってはラウンドテーブル方式(佐竹台方式)が採用され、OPH千里佐竹台I・IIに建て替えられた。敷地の北東部は再生地とされ、民間の分譲マンションが建設された。
佐竹台C団地
- 建設年度:1965年
- 戸数:280戸
千里丘陵B団地の南に位置する団地で、再開発により民間の分譲マンションが建設された。
佐竹台メゾネット団地【分譲】
- 建設年度:1969年
- 戸数:71戸
南千里駅の東側に位置する団地で、大阪府住宅供給公社が千里ニュータウンに建設したメゾネットタイプの3団地のうちの1つ。通常、集合住宅の住戸は1フロアだが、メゾネットでは住戸が2フロアになっている。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
古江台
千里古江台(H-A)団地【分譲】
- 建設年度:1972年
- 戸数:120戸
カトリックさゆり幼稚園の東側に位置する団地。
津雲台
千里丘陵C団地
- 建設年度:1963年
- 戸数:550戸
津雲台近隣センター(津雲台の南側のラウンドアバウト)の東側に位置する団地で、住棟は囲み型配置がなされていた。再開発によりOPH南千里津雲台と民間の分譲マンションに建て替えられた。
津雲台団地【分譲】
- 建設年度:1965年
- 戸数:96戸
津雲台近隣センター(津雲台の南側のラウンドアバウト)の南東に位置する団地。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里津雲台第1次団地【分譲】
- 建設年度:1969年
- 戸数:106戸
千里南公園の北側に位置する団地。
千里津雲台第2次団地【分譲】
- 建設年度:1969年
- 戸数:66戸
千里南公園の北側に位置する団地。
藤白台
千里丘陵G団地
- 建設年度:1964年
- 戸数:500戸
北千里駅前の交差点の東側から高台にかけて建設された団地。大部分の住棟は平行配置がされた板状の住棟だったが、団地の景観に変化をつけるためのポイント型住棟も配置されていた。再開発により、北千里駅前の敷地にはOPH北千里駅前が建設。残りの敷地は再生地とされ、民間の分譲マンションが建設された。
藤白台B団地
- 建設年度:1965年
- 戸数:300戸
北千里駅のすぐ東側に位置する団地で、板状の住棟が平行配置されていた。再開発により民間のOPH北千里駅前に建て替えられた。
藤白台メゾネット団地(千里メゾネット)【分譲】
- 建設年度:1966年
- 戸数:54戸
藤白台B団地の南、藤白公園の北に位置する団地で、大阪府住宅供給公社が千里ニュータウンに建設したメゾネットタイプの3団地のうちの1つ。通常、集合住宅の住戸は1フロアだが、メゾネットでは住戸が2フロアになっている。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
青山台
千里丘陵F団地
- 建設年度:1964年
- 戸数:200戸
青山台小学校の東側に位置する団地。再開発によりOPH北千里青山台と民間の分譲マンションに建て替えられた。
新千里北町
新千里北町団地【分譲】
- 建設年度:1970年
- 戸数:112戸
北丘小学校の南側に位置する団地。
新千里東町
千里J団地(新千里桜ヶ丘住宅)【分譲】
- 建設年度:1965年
- 戸数:272戸
東町公園の北側に位置する団地で、再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。再開発後の分譲マンションの多くは、住民以外が敷地内に立ち入れないゲート型(ゲーティッド・コミュニティ)になっているのに対して、新千里桜ヶ丘メゾンシティは敷地が開放されている。歩行者専用道路の紅葉橋通り沿いには、「桜ヶ丘まちかど広場」という共用施設が設けられた。建て替えに携わっていた会社の社員が、近隣センターで運営するコミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」を見て、建て替え後の分譲マンションにもこのような場所があればよいと考えたのが開設のきっかけである。
新千里東町団地
- 建設年度:1965年
- 戸数:110戸
第八中学校の西側に位置する団地。再開発によりOPH新千里東町と民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里東町第1次団地(東丘住宅)【分譲】
- 建設年度:1966年
- 戸数:152戸
近隣センターのすぐ南側、東丘小学校の東側に位置する団地。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里東町第2次団地(深谷第一住宅)【分譲】
- 建設年度:1967年
- 戸数:128戸
東町公園の東側に位置する団地で、深谷第一住宅と呼ばれていた。深谷は、千里ニュータウンが開発される前のこの地域の小字名である。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里東町第3次団地(深谷第二住宅)【分譲】
- 建設年度:1967年
- 戸数:120戸
東町公園の東側に位置する団地で、深谷第二住宅と呼ばれていた。深谷は、千里ニュータウンが開発される前のこの地域の小字名である。新千里東町における団地再開発の第一号として、民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里東町第4次団地(あかしや)【分譲】
- 建設年度:1968年
- 戸数:120戸
東丘小学校の東側に位置する団地。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里東町第5次団地(深谷第三住宅)【分譲】
- 建設年度:1969年
- 戸数:68戸
東町公園の東側に位置する団地で、深谷第三住宅と呼ばれていた。深谷は、千里ニュータウンが開発される前のこの地域の小字名である。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
桃山台
千里桃山台団地【分譲】
- 建設年度:1970年
- 戸数:181戸
桃山台駅の東側、桃山台2丁目交差点の南東角に位置する高層の団地。
竹見台
竹見台団地
- 建設年度:1969年
- 戸数:206戸
桃山台駅の北東側に位置する高層の団地。
竹見台(E-A)団地(千里竹見台団地)【分譲】
- 建設年度:1972年
- 戸数:90戸
桃山台駅の東側、桃山台2丁目交差点の北東角に位置する団地。
新千里西町
新千里西町団地
- 建設年度:1966年
- 戸数:270戸
西丘小学校の西側の高台に位置する団地。再開発によりOPH千里西町緑地と民間の分譲マンションに建て替えられた。
新千里西町B団地
- 建設年度:1966年
- 戸数:340戸
西丘小学校の東側、千里中央の業務地区の西側に位置する団地。再開発によりOPH新千里西町と民間の分譲マンション、高齢者向けの住宅であるライフ&シニアハウス千里中央に建て替えられた。
新千里南町
新千里南町B団地
- 建設年度:1968年
- 戸数:286戸
第九中学校の東側に位置する高層の団地。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
新千里南町団地
- 建設年度:1969年
- 戸数:300戸
第九中学校の南東側、千里南町公園の東側に位置する団地。再開発によりOPH千里南町に建て替えられた。
千里南町メゾネット団地【分譲】
- 建設年度:1969年
- 戸数:104戸
つばき公園の東側に位置する団地で、大阪府住宅供給公社が千里ニュータウンに建設したメゾネットタイプの3団地のうちの1つ。通常、集合住宅の住戸は1フロアだが、メゾネットでは住戸が2フロアになっている。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
新千里南町団地【分譲】
- 建設年度:1970年
- 戸数:310戸
新御堂筋に沿って、天竺川からつばき公園の間の土地に建設された団地。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里南町団地【分譲】
- 建設年度:1971年
- 戸数:60戸
つばき公園の南西側に位置する団地。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里南町第2次(L-B)団地【分譲】
- 建設年度:1972年
- 戸数:120戸
近隣センターの南側に位置する団地。再開発により民間の分譲マンションに建て替えられた。
千里南町(L-A)団地(千里南町第1次住宅)【分譲】
- 建設年度:1972年
- 戸数:132戸
つばき公園の南東側に位置する団地。
参考
- 大阪府編(1970)『千里ニュータウンの建設』大阪府