千里ニュータウンにおいては、府公社団地(A棟)、府営住宅(B棟)、公団団地/UR団地(C棟、以下、UR団地と表記)の3つの公的主体による団地(集合住宅)が建設されました。
近年の再開発により、公的主体による団地は、大きく分類すると次のようなかたちでの建て替えが進められています。
- ①府公社団地(A棟)の賃貸→府公社団地の賃貸(OPH)、民間の分譲マンションへの建て替え
- ②府公社団地(A棟)の分譲→民間の分譲マンションへの建て替え
- ③府営住宅(B棟)の賃貸→府営住宅の賃貸、民間の分譲マンションへの建て替え
- ④UR団地(C棟)の賃貸→UR団地の賃貸への建替え
- ⑤UR団地(C棟)の分譲→民間の分譲マンションへの建て替え
※①③の再開発は、賃貸住宅の敷地を集約し高層の賃貸住宅を建設すると同時に、開いた土地(再生地)を民間事業者に売却する方式による再開発である。再生地の事業は、プロポーザル方式かPFI方式によって民間事業者に発注される。
この再開発に伴い、団地・分譲マンションの名称も次のように変化してきました。
団地名称の変化
府営住宅(B棟)の名称の変化
再開発前、府営住宅の名称は、吹田市域の住区は「千里○○台住宅」(○○は住区名)、豊中市域の住区は「新千里○住宅」(○は住区名の東西南北)に統一されていました。
建て替え後の府営住宅の名称は、吹田市域の住区は「吹田○○台住宅」(○○は住区名)、豊中市域の住区は「豊中新千里○住宅」(○は住区名の東西南北)となっており、住区名が用いられています。ただし、先頭に吹田・豊中がついたことで、吹田市域の府営住宅からは「千里」の名称が用いられなくなっており、千里ニュータウンとしての統一感が弱まった印象を受けます。
再開発で建設された分譲マンションは、ほとんどが住区名が用いられておらず、ディベロッパーのマンションブランド名と鉄道駅名(千里中央、北千里、南千里)の組み合わせとなっています。
UR団地(C棟)の名称の変化
再開発前、UR団地の名称は、吹田市域の住区は「千里○○団地」(○○は住区名)、豊中市域の住区は「新千里○町団地」(○は住区名の東西南北)が基本とされていました。分譲の団地は、この名称に「第二団地」「第三団地」が組み合わされていました。
再開発により、千里竹見台団地、新千里東町の一部と、千里高野台団地が建て替えられましたが、建て替え後の名称は「千里グリーンヒルズ○○台」「千里グリーンヒルズ○町」(○○は住区名、○は住区名の東西南北)と統一されており、住区名と「千里」の名称は継続して用いられています。
一方、再開発で建設された分譲マンションは、ディベロッパーのマンションブランド名と鉄道駅名(千里中央)の組み合わせというように、住区名が用いられていない分譲マンションもあります。
府公社団地(A棟)の名称の変化
府公社団地の名称は、府営住宅やUR団地のようには統一的なルールはないものの、次のようなルールを見出すことができます。
- ○○○団地(○○○は住区名)。これを基本として、同じ住区に複数の団地がある場合は「第1次」「第2次」としたり、「B団地」としたりする。また、佐竹台C団地」、「千里古江台(H-A)団地」、「千里J団地」(新千里東町)、「竹見台(E-A)団地」、「千里南町(L-A)団地」、「千里南町第2次(L-B)団地」のように住区名が正式に決定される前に用いられていたアルファベットの住区記号を用いた団地もある。
- 千里丘陵○団地(○はB、C、G、F、J)。BとCは建設された順番だが、G(藤白台)、F(青山台)は住区名が正式に決定される前に用いられていたアルファベットの住区記号を表す。
- ○○○メゾネット団地:(○○○は住区名)。佐竹台、藤白台、新千里南町の3団地のみ。
府公社団地はこのようにいくつかのルールに従って名称が付けられていますが大半(33団地のうち27団地)の団地の名称に住区名が使われています。
なお、住区名を用いてない6団地のうち4団地では、住区名が正式に決定される前に用いられていたアルファベットの住区記号が用いられています。
建て替え後の府公社団地は、先頭にOPH(Osaka Prefectural Housing)が付けられています。そして、ほとんどの団地で住区名が用いられていますが、「OPH北千里駅前」のみ鉄道駅が名称になっています。また、住区名が用いられていても、「OPH南千里津雲台」、「OPH北千里青山台」と鉄道駅が用いられている団地もあります。
一方、再開発で建設された分譲マンションは、多くの場合で住区名が用いられておらず、ディベロッパーのマンションブランド名と鉄道駅名(千里中央、北千里、南千里、桃山台)の組み合わせとなっています。
このように、再開発によって、特に分譲マンションの名称からは住区名が消え、代わりに鉄道駅名(千里中央・北千里・南千里・桃山台)が用いられるという傾向が見られます。分譲マンションを購入する際には、どの住区に位置するかではなく、どの鉄道駅に近いか(=都心との距離)が重視されるため、この変化は当然かもしれません。
これによって、「ブランズ南千里」「プラウド北千里」「千里中央ヒアヒルズ」という名称からは、どの住区にあるかがわからない分譲マンション、あるいは、新千里南町にあるにもかかわらず、「シティテラス千里桃山台」、「ジオ千里桃山台」、「エスリード千里桃山台」というように(別の住区名でもある)鉄道駅名の桃山台が用いられている分譲マンションもあります。
こうした変化からは、住区との関係が希薄になり、鉄道駅との結びつき、つまり通勤先である都心との結びつきが強くなっていると考えることができます。
住区名の由来
千里ニュータウンは約60年前に人工的に開発された街ですが、以下で見るように、吹田市域の住区名は千里丘陵の土地の記憶を継承したものでした。
千里ニュータウンの12住区のうち、豊中市域4住区(新千里東町・西町・南町・北町)は抽象的な名称になっていますが*1)、吹田市域の住区名には次のような由来があるとされています*2)。
- 佐竹台:旧大字名の「佐井寺」と、千里丘陵の名産である竹を組み合わせた。
- 高野台:旧小字名の「上高町」「下高町」に野原のイメージを加えた。
- 古江台:旧小字名の「古江」に由来する。
- 津雲台:旧小字名の「九十九」(つくも)に由来する。
- 藤白台:旧小字名の「藤白」(とうじろ)を読み替えた。
- 青山台:比較的高台だったから、清水が湧いていてそこから「サンズイ編」を外した、旧大字名の「山田」を隠したものなどの説がある。
- 桃山台:千里丘陵の名産である桃に由来する。この地域は桃の里だったと言われている。
- 竹見台:千里丘陵の名産である竹に由来する。
旧大字名、旧小字名という地名や、千里丘陵の名産である竹や桃というように、住区名は土地の記憶に結びついていたことがわかります。約60年前の千里ニュータウンの開発においては、このようなかたちで千里丘陵の記憶を継承することが考えられたと言うことができます*3)。
豊中市域の住区名は抽象的な名称ですが、新千里東町の深谷第一住宅(千里東町第2次団地)、新千里東町の深谷第二住宅(千里東町第3次団地)、新千里東町の深谷第3住宅(千里東町第5次団地)というように、旧小字名である深谷という名称が用いられていた団地もありました。
上に書いた通り、鉄再開発で建設された分譲マンションは、多くの場合で住区名が用いられておらず、ディベロッパーのマンションブランド名と鉄道駅名(千里中央、北千里、南千里、桃山台)の組み合わせとなっていますが、マンションブランド名としては「パーク」、「ガーデン」、「ヒルズ」、「コート」、「アーバン」、「シティ」などのカタカナ語が並びます。これらも一見すると土地のあり方を示すように見えますが、吹田市域の住区名が旧大字名・旧小字名や特産品という具体的なもの名付けられたのに対して、これらのカタカナ語は土地の抽象的なイメージであると言えます。
再開発に伴って、千里ニュータウン団地・分譲マンションの名称からは住区名が消え、鉄道駅名とディベロッパーのマンションのブランド名の組み合わせに変わる傾向があることがわかりました。この変化は、次の2つの意味で土地から、住まいが遊離していると言うことができます。
1つは、住まいがどの住区にあるかではなく、どの鉄道駅に近いか、言い換えれば、都心との結びつきが強くなっているという意味で、空間的な意味での土地からの遊離。
もう1つは、旧大字名・旧小字名や特産品という具体的な土地の記憶を継承していた住区名が、抽象的な土地のイメージにとって変わられつつあることに伴う、時間的な意味での土地からの遊離。
60年前、千里ニュータウンは千里丘陵という土地と切り離された人工的な街として開発されたと言えるかも知れません。けれども、住区名は旧大字名・旧小字名や特産品という具体的な土地の記憶を継承していた。
しかし近年の再開発によって、住まいは空間的・時間的に土地から遊離し、ベッドタウンとしての、あるいは、商品としての性格をより強めたと考えることができます。
注
- 1)ただし、抽象的な名称が用いられているのは千里ニュータウンの住区名に限ったことではなく、例えば、豊中市の市立中学校は第一中学、第二中学・・・と数字が用いられている。
- 2)千里ニュータウンまちびらき50年事業実行委員会・千里ニュータウン再生連絡協議会『SENRI NEWTOWN MAP 2013』2013年3月より。
- 3)千里ニュータウン開発前の地名は、公園内の池の名称としても継承されている。これらの池は農業用の溜池を活用したものである。