古い看板と思われるかもしれませんが、これは千里ニュータウンの新千里北町が、日本で初めて、新住法(新住宅市街地開発法)に基づいて開発されたことを示す看板です*1)。
新住法は、居住環境の良好な住宅地の大規模な供給を図ること等を目的として1963年に制定された法律で、看板には次のように記されています。
- ①新住宅市街地開発事業が施行された土地の区域に含まれる地域の名称:豊中市計画千里丘陵住宅地新住宅市街地開発事業I住区第4工区豊中新千里北町2丁目の一部
- ②施行者の名称:大阪府企業局
- ③工事完了公告の年月日:昭和42年5月12日
- ④標識設置者の名称:大阪府
備考:当該工事完了公告にかかる区域を表示した図書は大阪府および豊中市に備え置き縦覧に供する。
先に書いた通り、新千里北町は、日本で初めて新住法に基づいて開発された街。例えば、新千里北町以降に開発された街(住区)には、千里ニュータウンの道路の特徴と言われることの多いクルドサック(袋小路)は見られなくなること、住区全体をめぐる歩行者専用道路がもうけられていることなど、同じ千里ニュータウンでも、新千里北町を境として街(住区)の作り方が大きく異なっています。
新千里北町には、この看板が2ヶ所設置されていました。つつじ公園のすぐ北東(医療センターのすぐ北)の住宅地、北町2丁目第3公園の南西角の2ヶ所です。
2ヶ所のうち、新千里北町に設置されていた新住法の2つの看板のうち、北町2丁目第3公園内に設置されていた看板は、2020年度の公園再整備の際、支柱がさび付いて倒れる危険性があるいうことで撤去されてしまいました。
(2016年10月7日、北丘小学校の「出前授業」で子どもたちに紹介)
(2023年11月3日撮影)
看板は、錆びて文字が読みづらくなっていたものの、歴史がないと言われる千里ニュータウンにおいて、開発という側面から街の歴史を伝えるものとして、さらに、日本の住宅地開発の歴史においても貴重な資料だっただけに撤去されたのは残念です。看板1つであっても保存することの難しさ、ニュータウンで歴史を継承することの難しさを実感させられる出来事です。
残されているもう1つの看板も撤去されることがないよう、この看板の価値を伝えるところから始めるしかないように思います。ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)が毎年行っている北丘小学校の「出前授業」はこの取り組みの1つだと考えています。
【2024年9月13日追記】2024年9月12日、新千里北町のつつじ公園のすぐ北東(医療センターのすぐ北)の住宅地を通りかかったところ、ここに設置されていた新住法の看板も撤去されているのを見かけました。ディスカバー千里のメンバーの話によると、数ヶ月前に通りかかった時には見かけたとのことでした。新千里北町に残されていた新住法の看板は2つとも撤去されたことになります。
■注
- 1)新千里北町が新住法(新住宅市街地開発法)によって開発されたことについては、こちらの記事も参照。
(更新:2024年9月13日)