建築計画学、環境行動論、環境心理学などの分野では、人間と環境の関係をどう捉えるかが重要なテーマとされてきました。人間・環境関係を理解する立場としては、環境決定論、相互作用論(Intaractionalism)、トランザクショナリズム(Transactionalism)の3つがあるとされています。
環境が直接的に人間の行動に影響するとみる環境決定論、人間と環境を二元論的に捉えたうえで両者の相互作用により行動が生まれると見る相互作用論に対して、人間と環境を一元論的に捉えるトランザクショナリズムは理解しにくいものとなっており、これまで何度か、トランザクショナリズムについての考察を行ってきました*1)。
ここでは建築学者の舟橋國男(1997)が参照している心理学者のデヴィッド・カンター(David Canter/1994年〜)のによる英国サリー大学就任記念講義の記録(以下、(David Canter, 1985)とも表記)を読むことで、トランザクショナリズムについて考えるための手がかりを得たいと思います。
デヴィッド・カンターは就任記念講義
デヴィッド・カンターは就任記念講義で、心理学者の役割は特定の問題を解決するために「事実」や「発見」を集めるのでなく、体系的で科学的な観察に基づいて、メタファーや枠組み、あるいは、理論を構築すること、つまり、その問題に対して新たな見解を与えるようなモデルを提示することとしたうえで、人間と環境との関係(relationships between people and their surroundings)を探求するために発展してきた理論を、決定論者(determinist)、相互作用論者(インタラクショニスト/interactionist)、トランザクショナリスト(transactionist)の3つに分類することを提案。このうち、決定論者とトランザクショナリストは強い立場、弱い立場があるとして、人間と環境との関係を捉える立場を次のように5つに分類しています*2)。
■強い決定論者(Strong Determinist)
「環境(environment)が人間(people)に直接影響を与えると考える一連の理論で、周囲の環境(surroundings)の比較的単純な単一の側面が、人間(people)が考え、感じ、行動することに特定の結果をもたらすと見なされている。」
※David Canter(1985)の翻訳
■弱い決定論者(Weak Determinist)
「意味は刺激の影響を修正する役割を果たす。このようなかたちの全ての理論は、物理的環境(physical environment)やその社会的類似性が行動を決定する要因であることに変わりはないが、行動の結果をより効果的に予測するためには、人間(people)が環境(environmental)の手がかりに対して与える意味や解釈を理解することが重要だと考える。」
※David Canter(1985)の翻訳
■相互作用論者(Interactionist)
「相互作用(interaction)という用語が使われるのは、個人(individual)のある側面が、周囲の環境(surroundings)が及ぼす影響の性質を変えると見なされるからである。意味は、周囲の環境(surroundings)から受ける影響を修正するフィルターとして扱われるわけではない。何を意味するかが理解された物理的刺激は、何らかの一般的な結果をもたらすわけでない。結果の性質は個々人によって(from one person to another)劇的に異なる。」
※David Canter(1985)の翻訳
■弱いトランザクショナリスト(Weak Transactionist)
「人間(people)が周囲の環境(surroundings)に与える影響は、周囲の環境(surroundings)を修正する以上のものである。人間(people)は、周囲の環境(surroundings)や、その意味の本質を完全に変えてしまうかもしれない。」
「誰もが(we are all)、物理的環境(physical environment)の操作や変更を通じて、関係をもったり対応したりする人々(people)を選ぶことで社会的環境(social environment)を変化させることを通じて、ある場所(place)の目的や重要性を再解釈することを通じて、物理的環境(physical environment)に働きかけ、変化させることに絶えず関与している。これがトランザクショナリストの視点の基本である。個人(individual)は、環境(environment)の性質を変える一連の期待、仮定、行動を環境(environment)に持ち込む。」
「トランザクショナリストの枠組みにあるのは、個々人(individuals)が周囲の環境(surroundings)の意味するものについてモデルを持っており、そこで想像された結果や可能性に関連して行動しているという認識である。」
※David Canter(1985)の翻訳
■強いトランザクショナリスト(Strong Transactionist)
「強いトランザクショナリストの枠組みはまだ模索中であり、その意味する多くは明らかになっていない。この枠組みにおいて効果的な理論を展開するためには、新たなかたちの問題設定とデータ分析が求められる。既に見たように、この枠組みは、人間(people)と物理的・社会的文脈との関係を確立することの格闘から発展してきたものである。」
「行為と文脈を厳格に区別し、両者の過去の関係が現在も同じ機能を持つと仮定することは、有機体(organism)と環境(environment)が共に進化することをふまえれば、非論理的である。」
※David Canter(1985)の翻訳
相互作用論者とトランザクショナリストの違いを捉える視点
トランザクショナリストの立場を理解する手がかりを得るために、デヴィッド・カンターの就任記念講義では相互作用論者とトランザクショナリストの違いがどのように言及されているかに注目します。既に、舟橋國男をはじめとする研究者によって言及されているものと重なる部分もありますが、以下、個人のメモとして記しておきたいと思います。
時間による変化
デヴィッド・カンターの就任記念講義では、5つの立場が人間と環境との関係に関する心理学的思考の歴史的発展を反映したものと捉えられ、次のように、ある立場に投げかけられる問いに対応して、次の立場が提案されたというかたちで整理されています。
- [立場]強い決定論者(Strong Determinist)
- →[問い]人間の行動は、環境からの刺激を直接的に反映するとは限らない
- →[立場]環境からの刺激の影響を修正するフィルターとしての意味(Meaning)に注目する弱い決定論者(Weak Determinist)
- →[問い]環境からの影響が同じでも、引き起こされる行動は個人によって異なる
- →[立場]個人のある側面に注目して、個人による違いを説明する相互作用論者(Interactionist)。
- →[問い]時間の経過によって環境は変化し、環境の変化は人間によってもたらされる
- →[立場]人間は、環境を修正するのみならず、環境に働きかけることで環境や環境の意味を変えることに注目する弱いトランザクショナリスト(Weak Transactionist)
- →[問い]人間がモデルを形成し、世界(world)を積極的に理解しようと試み、それを自らの反応に生かそうとする見方を受け入れるなら、その積極的な姿勢の目的や、それを構造化し組織化するプロセスとは何か
- →[立場]環境とのトランザクションにおける動機づけのプロセスを考え、重視する強いトランザクショナリスト(Strong Transactionist)
デヴィッド・カンターの整理をふまえれば、トランザクショナリストは時間による変化を考慮する立場であることがわかります。逆に言えば、相互作用論者とは時間による変化を考慮しない立場ということになります。
相互作用論者は心理学者のクルト・レヴィン(Kurt Zadek Lewin/1890〜1947年)のB=f(P, E)という関数、即ち、人間(Person)と環境(Environment)の関数(Function)の結果として行動(Behavior)が出力されるというモデルによって説明されています。相互作用論者における人間と環境との関係は、値を入力すると「瞬時に」結果を出力する関数のようなものとして捉えられているということです。
デヴィッド・カンターは就任記念講義の記録を読むまで、相互作用論者を、人間と環境を二元論的に捉えたうえで、
- 人間が環境に影響を与え、
- 環境が人間に影響を与え、
- 人間が環境に影響を与え、
- 環境が人間に影響を与え、
- 人間が環境に影響を与え、・・・・・・
というように、人間と環境とが影響を与え続けるようなイメージで捉えていました。しかし、このような捉え方には時間の側面が入り込んでいる意味で、デヴィッド・カンターの整理によれば、既に弱いトランザクショナリストの立場に一歩足を踏み入れたものということになります。
接頭語「inter-」と「trans-」
相互作用論者(Interactionist)とトランザクショナリスト(Transactionist)は、「inter-」と「trans-」という接頭語の違いに現れていると考えることができます。『ウィズダム英和・和英辞典』によれば、「inter-」は「・・・の間、相互の[に]」、「trans-」は「越えて、横切って、貫いて、ほかの側へ、別の状態[場所]へ」と説明されています。
この説明により、「inter-」と「trans-」の違いは言葉としてはわかりますが、例えば、「interpret」と「translate」がいずれも「翻訳する」と訳されたり、「Interdisciplinary」と「transdisciplinary」がいずれも「学際的」と訳されるように、日本語を母語とする者にとって「inter-」と「trans-」の違いは理解しにくいものとなっています。これも相互作用論者とトランザクショナリストの違いを理解することを難しくさせている1つの要因だと思います。
こここで、デヴィッド・カンターの就任記念講義で、「interaction」と「transaction」がどのように使い分けられているのかに注目すると、次のように、「interaction」は3例*3)、「transaction」は2例*4)使われています。
■「interaction」が使われている文
「Students clearly had some perspective on the types of interactions they wished to have in the lecturing situation and chose where to sit in relation to that.」
(学生は明らかに、講義の場面でどのようなinteractionsを望むかについてのある観点を持っており、それとの関連でどこに座るかを選んでいた。)「Why students have a desire for a particular type of interaction is left unasked.」
(なぜ学生が特定のタイプのinteractionを望むのかという理由は問われていない。)「The term interaction is used because the view is held that some aspects of the individual are brought to bear to change the nature of the influence that the surroundings have.」
(interactionという用語が使われるのは、個人のある側面が、周囲の環境が及ぼす影響の性質を変えると見なされるからである。)
※David Canter(1985)より。( )内は本稿著者による翻訳
■「transaction」が使われている文
「Once we consider the motivating processes at the heart of these transactions with the surroundings and give emphasis to them we are in the realm of strong transactionism.」
(このような環境とのtransactionsの中心にある動機づけのプロセスを考え、それを重視すれば、強いトランザクショナリズムの領域に入る。)「The understanding of the meanings that the inner life of people have for their transactions with the outer world is the key to applying psychology.」
(人間の内面の生活が外の世界とのtransactionsに持つ意味を理解することが、心理学を応用する鍵である。)
※David Canter(1985)より。( )内は本稿著者による翻訳
文の数が少ないため印象に過ぎませんが、「interaction」は人間を外部から見たうえで、人間と他のものとの関係についての文で使われているのに対して、「transaction」は動機づけ、内面の生活というように、人間というものの内側に入り込むような視点をとっている文で使われているという違いを見出すことができるように思います。
「inter-」が対象を外部から捉える視点をとることに関係があり、「trans-」は対象の内部から捉える視点をとることに関係がある。この違いは、次のように人間と環境との関係を二元論的に捉えるか、一元論的に捉えるかの違いと対応しているのではないか。つまり、相互作用論者(Interactionist)は人間と環境との関係を二元論的に捉える立場であり、ここでは人間を外部から捉える視点がとられる。人間を外部から捉えることは、既に人間と環境とを二元論的に捉えることになるため、人間と環境との関係を一元論的に捉える立場であるトランザクショナリスト(Transactionist)では、人間を内部から捉える視点がとられる。そして、人間を内部から捉えるためのアプローチとして、動機づけ、内面の生活というような心理的なものに注目されているのではないか。
けれども、人間を内部から捉えるためには、心理的なものに注目するのではないアプローチがあるのではないか。ここで、思い起こすのが日本語と英語とでは話者の視点が異なるという議論です。
言語学者の金谷武洋(2019)は日本語と英語の話者の視点の違いを次のように指摘しています。
「英語においては、『私』と、自分を『神の視点』から眺めるもう一人の私がいる。その、状況から引き離された高みから『I/You/He/She/They』など、全ての人称が見下ろされるのである。・・・・・・ 一方、日本語における話者は『虫の視点』におり、つまり状況の中に入り込んでいる。一人称である『私』は自分には見えないから客体化することが出来ない。そもそも人称を前提とする動詞活用などもない。話者自身が見えない地平では人称論は成立しにくいのだ。」(金谷武洋, 2019)
話者の視点の議論をふまえれば、次のように考えたくなります。英語は、話者の視点が「神の視点」をとるという言語的な制約があるため、人間と環境との関係を一元論的に捉えるためには心理的なものに焦点をあてて、人間を内部から捉えるというアプローチを取らざるを得ない。けれども、話者の視点が「虫の視点」をとることができる日本語には、そのような制約はない。日本語に注目することで、心理的なものに焦点をあてるのとは異なったあり方で、人間と環境とを一元論的に捉える可能性が開けてくるのではないかと考えています*5)。
環境と場所
デヴィッド・カンターの就任記念講義では、5つの立場が図によって表現されています。5つの図を見て気づくのは、強い決定論者から弱いトランザクショナリストまでの4つの図には「環境」(environment)が記されているのに対して、強いトランザクショナリストを表す図には「場所」(places)と記されています。
5つの立場は心理学的思考の歴史的発展を反映したものであるというデヴィッド・カンターの指摘をふまえれば、人間と環境との関係を捉えることを追求すれば、環境が消え、代わりに場所が現れてくる。それはなぜなのか? 就任記念講義では言及されていませんが、これは重要な問いのように思います。
先に触れた金谷武洋(2019)は、西田幾多郎に触れて、場所について次のように指摘しています。
「主体は、どこかに置かれているのであって、その場所無くしては主体は存在しないではないか。我々は外部観察者ではありえない。アリストテレスの主張とは逆に、主体(主語)は場所(述語)に包摂されて存在するのだ、と。これが西田の名高い『場所的論理』と呼ばれるものの要点だ。さらに西田は日本語の文章構造を援用する。日本語では、明らかに主語よりも述語に比重がおかれている、と指摘して西洋の『主語の論理』に対する『述語の論理』を主張した。」(p118)(金谷武洋, 2019)
現時点ではこれ以上の議論を展開する力はありませんが、強いトランザクショナリズムにおいては場所が現れてくることについて、引き続き考えていきたいと思います。
■注
- 1)トランザクショナリズム(Transactionalism)を「相互浸透論」と訳した高橋鷹志が、この訳語について、人間と環境を一元論的に捉えるというトランザクショナリズムの意味に即せば「『相互』ということばは必ずしも適切とはいえない」(高橋鷹志, 1997)と述べているのをふまえ、本稿ではトランザクショナリズムと表記することとする。
- 2)以下は本稿著者がDavid Canter(1985)を翻訳したものだが、翻訳にあたっては、舟橋國男(1997)を参考にしている。
- 3)ただし、「interactionist」を除く。なお、「interactionism」の表現は使われていない。
- 4)ただし、「transactionist」、「transactionism」を除く。
- 5)日本語における話者の視点とトランザクショナリズムについての議論は、こちらの記事を参照。
■参考文献
- David Canter (1985) “Applying Psychology: University of Surrey Inaugural Lecture”
- 金谷武洋(2019)『述語制言語の日本語と日本文化』文化科学高等研究院出版局
- 高橋鷹志(1997)「序にかえて」・高橋鷹志・長澤泰・西出和彦編『環境と空間(シリーズ〈人間と建築〉1)』朝倉書店
- 舟橋國男(1997)「環境デザイン研究と計画理論」・日本建築学会編『人間-環境系のデザイン』彰国社
- 舟橋國男(2004)「トランザクショナリズムと建築計画学」・舟橋國男編『建築計画読本』大阪大学出版会
※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。